『神道集』の神々
第二十四 宇都宮大明神事
宇都宮大明神は諏方大明神の舎兄である。この明神には男体と女体がある。
俗体の本地は馬頭観音である。
女体の本地は阿弥陀如来である。
橋本七所大明神は御守である。
高尾神は大明神の一二の王子である。
この明神は千犬、千烏、千狐を眷属とする。
宇都宮大明神(女体)
末社・女体宮祭神は三穂津姫命。
田代善吉『宇都宮誌』の二荒山神社の条[LINK]には
仁徳天皇の御代に奈良別王を以て下毛野国造に任ぜられし時其祖豊城入彦命を祀りて国社となし、大物主命、事代主命、三穂津姫命の三神を合殿に祀りたれど後世三穂津姫命を女体宮と称し別殿に祀れり。とある。
垂迹 | 本地 | |
---|---|---|
宇都宮大明神 | 男体 | 馬頭観音 |
女体 | 阿弥陀如来 |
諏方大明神の舎兄
「諏方縁起事」には(甲賀太郎は)下野国宇津宮と云ふ処へ打下りつつ、今は神と顕れて、示現大明神と申すは即ち是れなり。
甲賀太郎は本より下野国宇津宮に御在ければ、示現太郎大明神と顕れ給ふ。とある。
橋本七所大明神
未詳。中世における明神の神事祭礼の役割分担を描いた『造営日記』[LINK]『慈心院造営之日記』[LINK]等の史料からは、慈心院・不動院・高尾神・池上坊・橋本坊・蓬莱坊等の存在が窺え、これらは明神の祭礼に関わる主要な寺社であったと考えられる。
(渡辺康代「宇都宮明神の「付祭り」にみる宇都宮町人町の変容」[PDF], 歴史地理学, 44巻, 2号, pp.25-44, 2002)
橋本七所大明神はこの橋本坊に関りが有る神だろうか。
高尾神
「高尾神」は宇都宮市今泉の小字で、『宇都宮市地誌』[LINK]には高龗神社 今泉字高尾神 明治四十年[1907]二月七日今泉字富士山神社[宇都宮市元今泉3丁目]へ合祀。とある。
上記の史料『造営日記』『慈心院造営之日記』には高尾神の名も見られる。
宇都宮大明神(男体)
二荒山神社[栃木県宇都宮市馬場通り1丁目]祭神は豊城入彦命で、大物主命・事代主命を配祀。 一説に小野猿麻呂あるいは柿本人麻呂とする。
式内論社(下野国河内郡 二荒山神社〈名神大〉)。 下野国一宮(論社)。 旧・国幣中社。
史料上の初見は『続日本後紀』巻第五の承和三年[836]十二月丁巳[25日]条[LINK]の であるが、この二荒神が現在の二荒山神社(宇都宮、日光)のどちらに該当するかは未詳。
『宇都宮大明神代々奇瑞之事』[LINK]には とあり、温左郎磨が日光から遷座したと記している。
『日光山縁起』[LINK]には とあり、日光三所の太郎大明神を遷座したものとする。
林羅山『二荒山神伝』[LINK]の大筋は『日光山縁起』と同様であるが、
とあり、小野猿麻呂を宇都宮大明神とする。
吉田兼倶『延喜式神名帳頭註』[LINK]には とある。 また、『大日本国一宮記』[LINK]にも、
とある。
『宇都宮大明神由緒』[LINK]には とある。
秋里籬島『木曽路名所図会』巻之五の宇都宮大明神の条[LINK]には とある。
寺島良安『和漢三才図会』巻第六十五(地部)の宇津宮大明神の条[LINK]には とある。
槙島昭武『関八州古戦録』巻之二の「宇都宮尚綱野州早乙女坂合戦ノ事」[LINK]には とある。
本居宣長『古事記伝』二十三之巻(水垣宮巻)[LINK]には とある。
河野守弘『下野国誌』三之巻(神祇鎮座)の二荒山神社の条[LINK]では
と諸説を否定し、
と述べる。
『下野国一の宮国幣中社二荒山神社略記』[LINK]には とある。 下之宮[宇都宮市馬場通り3丁目]について、同書[LINK]には とある。
笠間時朝の私撰歌集『前長門守時朝入京田舍打聞集』には の歌が収録されており、宇都宮大明神の本地仏として馬頭観音が神宮寺に安置されていた事がわかる。
(『宇都宮市史』第3巻、第4章 宇都宮歌壇の誕生、第1節 宇都宮歌壇の展開[LINK]、1981)