『神道集』の神々

第二十七 天神七代事

一は国常立尊である。 その由来を尋ねると、天地開闢の初め、天地の間に一つの物が有った。 形は葦牙のようで、化して神と成った。 これを国常立尊という。 これは日本国の根本である。
二は国狭槌尊である。 陽神で男である。 乾道が独化した神である。
三は豊斟渟尊である。 陽神で男である。 これは天地分別の神である。
四は埿土煮尊、これは陽神で男で兄である。 その妹は沙土煮尊、これは陰神で女である。 (この二神は)終には夫婦となった。
五は大戸之道尊、これは陽神で男である。 次は大戸間辺尊、これは陰神で女である。 これは夫婦と成り政を行った。
六は面足尊、これは陽神で男である。 次は惶根尊、これは陰神で女で妹である。 これは夫婦と成り政を助けた。
以上の三代六神は男女の姿は有ったが、夫婦婚姻の義は無かった。
七は伊弉諾尊、これは陽神で男である。 次は伊弉冊尊、これは陰神で女である。 夫婦婚姻の義を顕した。 この二神は天浮橋の上で、山川草木を生んだ。 次に一女三男を生んだ。 その一女は蛭児尊である。 今の恵美酒御前である。 次の三男は、一は素盞烏尊、今の出雲大社である。 次は日神、今の伊勢太神宮である。 次は月神、今の月弓尊で、筑紫の本満宮である。

天神七代

『日本書紀』巻第一(神代上)の第一段[LINK]には、
「古に天地未だ剖れず、陰陽分れざりしとき、渾沌まろかれたること鶏子の如くして、溟滓ほのかにしてきざしを含めり。其れ清陽なるものは、薄靡きて天と為り、重濁れるものは、淹滞ゐて地と為るに及びて、精妙なるが合へるはむらがり易やすく、重濁れるが凝りたるはかたまり難し。故天先づ成りて、地後に定まる。然して後に、神聖、其の中に生れます。故曰く、開闢あめつちひらくる初に、洲壤浮き漂へること、譬へば游魚の水上に浮けるるが猶し。時に、天地の中に一物生れり。状葦牙の如し。便ち神と化為る。国常立尊と号す。次に国狭槌尊。次に豊斟渟尊。凡て三の神ます。乾道独化す。此の純男を成せり」
とある。

第一段一書(一)[LINK]には、
「天地初めて判るるときに、一物虚中に在り。状貌言ひ難し。其の中に自づから化生づる神有す。国常立尊と号す。亦は国底立尊と曰す。次に国狭槌尊。亦は国狭立尊と曰す。次に豊国主尊。亦は豊組野尊と曰す。亦は豊香節野尊と曰す。亦は浮経野豊買尊と曰す。亦は豊国野尊と曰す。亦は豊囓野尊と曰す。亦は葉木国野尊と曰す。亦は国見野尊と曰す」
とある。

第一段一書(二)には、
「古に国稚く地稚かりし時に、譬へば浮べる膏の猶くにして漂蕩ただよへり。 時に国の中に物生れり。状葦牙の抽け出でたるが如し。これに因りて化生づる神有す。可美葦牙彦舅尊と号す。次に国常立尊。次に国狭槌尊
とある。

第一段一書(三)には、
「天地混れ成る時、始めて神人有す。可美葦牙彦舅尊と号す。次に国底立尊
とある。

第一段一書(四)には、
「天地初めて判るるときに、初めて倶に生づる神有す。国常立尊と号す。次に国狭槌尊。又曰はく、高天原に所生れます神の名を、天御中主尊と曰す。次に高皇産霊尊。次に神皇産霊尊」
とある。

第一段一書(五)には、
「天地未だ生らざる時に、譬へば海の上に浮べる雲の根係れる無きが猶し。其の中に一つの物生れり。葦牙の初めて埿の中に生ふるが如し。便ち人に化為る。国常立尊と号す」
とある。

第一段一書(六)には、
「天地初めて判るるときに、物有り。葦牙の若くして、空の中に生れり。此に因りてる神を、天常立尊と号す。次に可美葦牙彦舅尊。また物有り。浮べる膏の若くして空の中に生れり。此に因りて化れる神を国常立尊と号す」
とある。

同書の第二段[LINK]には、
「次に神有す。埿土煮尊沙土煮尊〈亦は埿土根尊・沙土根尊と曰す〉。次に神有す。大戸之道尊〈一に云はく、大戸之辺といふ〉・大苫辺尊〈亦は大戸摩彦尊・大戸摩姫尊と曰す。亦は大富道尊・大富辺尊と曰す〉。次に神有す。面足尊惶根尊〈亦は吾屋惶根尊と曰す。亦は忌橿城尊と曰す。亦は青橿城根尊と曰す。亦は吾屋橿城尊と曰す〉。次に神有す。伊弉諾尊伊弉冉尊
とある。

第二段一書(二)には、
国常立尊、天鏡尊を生む。天鏡尊、天萬尊を生む。天萬尊、沫蕩尊を生む。沫蕩尊、伊弉冉尊を生む」
とある。

同書の第三段[LINK]には、
「凡て八の神ます。乾坤の道、相参りて化る。所以に、此の男女を成す。国常立尊より、伊弉諾尊伊弉冉尊にいたる迄、是を神世七代と謂ふ」
とある。

第三段一書(一)には、
「男女耦ひ生る神、先づ埿土煮尊沙土煮尊有す。次に角樴尊活樴尊有す。次に面足尊惶根尊有す。次に伊弉諾尊伊弉冉尊有す」
とある。

『古事記』上巻[LINK]では、冒頭には、
「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は、天之御中主神、次に高御産巣日神、次に神産巣日神。此の三柱の神は、並独神成り坐して、身を隠したまひき。次に国稚く浮膏の如くして、くらげなすただよへる時に、葦牙の如萠え騰る物に因りて、成りませる神の名は宇麻志阿斯詞備比古遅神、次に天之常立神。此の二柱の神も独神成り坐して、身を隠したまひき。上の件五柱の神は、別天神」
と別天神五柱を挙げた後、
「次に成りませる神の名は、国之常立神、次に豊雲野神。此の二柱の神も独神成り坐して、身を隠したまひき。次に成りませる神の名は、宇比地邇神、次に妹須比智邇神、次に角杙神、次に妹活杙神、次に意富斗能地神、次に妹大斗乃弁神、次に淤母陀琉神、次に妹阿夜訶志古泥神、次に伊邪那岐神、次に妹伊邪那美神。上の件国之常立神より、以下伊邪那美神以前、并せて神世七代と称す。〈上の二柱は、独神各一代と云す。次に双びます十神は、各二神を合せて一代と云す〉」
と伝える。

『日本書紀』『古事記』では「神世七代」と称してるが、平安時代末期までには人皇以前を「天神七代」「地神五代」として定式化するようになった(例えば、藤原資隆『簾中抄』上の帝王御次第の条[LINK])。

『神皇実録』[LINK]には、
「国狭槌尊〈水蔵戸〉 豊斟渟尊〈火蔵戸〉 泥土煮尊〈木蔵戸〉 沙土煮尊〈耦生の荒魂〉 大戸之道尊〈金蔵戸〉 大苫辺尊〈耦生の荒魂〉 面足尊〈土蔵戸〉 惶根尊〈耦生の荒魂〉 件の五代八柱は、天神の光胤也。名相有りと雖も、未だ形体を現はさず、五大の府中に坐します。故に天地耦生の神と名づける也」「伊弉諾尊〈天降陽神を日子ひのかみと名づくる也。亦は大自在天子と称す〉 伊弉冉尊〈天降陰神を月子つきのひめと名づくる也。亦は大自在天女と称す〉 国常立尊より惶根尊に至る天神六代の間、則ち名字有れども未だ尊形を現はさず。五位の神に坐します。其の後に転変して、陰陽合して男女の形有り」
とある。

『麗気記』巻第四(天地麗気記)[LINK]には、
天神七葉は、過去の七仏。転じて天の七星と呈はる。地神五葉は、現在の四仏に遮那を加増して五仏と為す。化して地の五行神と成る」
とある。
「崇め敬い奉るべき本の御霊は、金色の如意宝珠、浄菩提心の宝珠と為る。是れ国常立尊の心神にして、本有の満字の御形文也。法中の大毘盧遮那仏なり」「国狭槌尊〈毘盧遮那仏〉 豊斟渟尊〈盧舎那仏〉 此の二神、天に浮り地に跡して、報応の二身、青黒二色の宝珠也。青色は衆生果報の宝珠、黒色は無明調伏の宝珠なり」
と説き、国常立尊・国狭槌尊・豊斟渟尊の三神を法・報・応の三身に配す。
「泥土煮尊〈毘婆尸如来〉 沙土煮尊〈尸棄如来〉 大苫辺尊〈毘葉羅如来〉 大戸之道尊〈狗留孫如来〉 面足尊〈狗那含牟尼如来〉 大富道尊〈釈迦牟尼如来〉 惶根尊〈弥勒如来〉」
と三代七神(大戸之道尊と大富道尊が重複)を過去仏(迦葉如来を除く六仏)と弥勒に配す。
「伊弉諾尊は金剛界、俗体男形。馬鳴菩薩の如し。白馬に乗りて、手に斤を持して、一切衆生の善悪、之を量る。伊弉冉尊は胎蔵界、俗体女形。但し阿梨樹王の如し。荷葉に乗り、説法利生す。唯、釈迦如来の如くして、権に百千の山川に亘す」
と二神を金胎両部に配す。

一条兼良『日本書紀纂疏』巻第二(神代上之二)[LINK]には、
「道教には北極を称して中極宝上真人と為す。北斗七星を称して中天の七星と称す。儒も亦云ふ、斗(北斗)は帝車と為して、中央に運り、四郷を臨制す。陰陽を分かち、四時を建て、五行を均しくし、節度を移し、諸紀を定むと。此等の説に據れば、或は天御中主を以て、北極帝座の星と為し、七代神を以て、北斗七星の降迹と為す者也」
とある。 即ち、天御中主尊(北極)が宇宙の中心にあり、天神七代(北斗七星)がその下で政事をとる存在であるとする。
(二藤京「『日本書紀纂疏』における帝王の系譜」[LINK], 高崎経済大学論集, 49巻, 3・4合併号, pp.139-152, 2007)

国常立尊

中世神道では国常立尊は原初の根源神として特に重視された。

『神皇実録』[LINK]には、
「国常立尊〈名も無く状も無き神なり。此れは蒼精の君、木官の臣、古より以来、徳を著はし功名を立つる者也。所化の神を名づけて天御中主神と曰ふ也〉 太易と謂ふは虚無也。因りて動を有の始と為す。故に太初と曰ふ。気有りて形の始と為る。故に太始と曰ふ。気形相分れて、天地人生ずる也。大方をほよその道徳は、虚無の神なり。天地は没すれども、道は常に在り。性命をたづぬれば、化を心に受け、心は之を意に受く。意は之を精に受け、精は之を神に受く。形体は消ゆれども神は毀れず、性命は既くれども神は終らず。形体は易れども神は変わらず、性命は化すとも神は常に然り。因て以て国常立尊と名づけ、初を以て常の義と為す者也」
「応化の神を名づけて天御中主神と曰ふ。未だ顕露あわはれざるを国常立尊と名づく。亦は国底立尊と称す」
とある。

『神皇系図』[LINK]には、
「古に天地未だ剖れず、[中略]天先づ成りて、地後に定まる。然して後に、神聖、其の中に生れます。国常立尊と号す。亦無上極尊と名づく。亦名づけて常住毗尊と曰ふ。惟れを三世常住の妙心、法界体相の大智と謂ふなり。故に天神地祇の本妙、大千世界の大導師は是の尊也。所形かたちあらはるるは天御中主神と曰ふ、亦は尸棄大梵天王と曰ふ、故に則ち大千世界主と為す也」
とある。

『神道大意』[LINK]には、
「混沌とは天地陰陽分れず、喜怒哀楽未だ発らず、皆是れ心の根元なり。心とは一神の本、一神とは吾国常立尊を云ふ。国常立とは無形の形、無名の名、此を虚無太元尊と名づく。此の大元より一大千界を成して、一心より大千の形体を分つ」
とある。

葦牙

『大和葛城宝山記』[LINK]には、
「天地開闢の嘗、水変じて天地と為りしより以降、高天海原に独化れるの霊物在り。其の形葦牙の如し。其の名を知らず。爾の時、霊物の中よりして神聖化生す。之を名づけて天神と曰ひ、亦大梵天王と名け、亦尸棄大梵天王と称す。天帝の代に逮びて、霊物を名けて天瓊玉戈と称す。亦金剛の宝杵と名づく」
とある。

『両宮形文深釈』下巻[LINK]には、
「日本開闢は水より生す。天竺の開闢も水より生す。大唐の開闢は風水より生す。皆是れ法爾不思議を表す。金剛界大日वं(vaṃ)字智水なり。昔開闢の初、天地の中に一物あり。状葦牙の如し、葦牙とは独股なり。独股は日本国の形体なり。今の両宮の心御柱也」
とある。

天浮橋

『日本書紀』巻第一(神代上)の第四段[LINK]には、
「伊弉諾尊・伊弉冉尊、天浮橋の上に立たして、共に計らひて曰く、「底つ下に豈国無けむや」とのたまひて、廼ち天之瓊矛を以て、指し下して探る。是に滄溟を獲き。其の矛の鋒より滴瀝る潮、凝りて一つの嶋と成れり。名づけて磤馭慮嶋と曰ふ」
とある。

『丹後国風土記』逸文〔卜部兼方『釈日本紀』巻第五(述義一)に引用〕[LINK]には、
「国生みましし大神伊射奈芸命、天に通行はさむが為に椅を作り立て給ひき。故、天の椅立といひしを、神の御寝坐せる間に仆れ伏しき」
とある。 卜部兼方は
「之を案ずるに、天浮橋とは天橋立是れ也」
と注す。

『日本書紀纂疏』巻第二(神代上之二)[LINK]にも
「旧説に云く、天浮橋は、今の丹後州天橋立是れ也」
とある。

山川草木

『日本書紀』巻第一(神代上)の第五段[LINK]には、
「(大八洲国の)次に海を生む。次に川を生む。次に山を生む。次に木の祖句句廼馳を生む。次に草の祖草野姫を生む。亦は野槌と名づく。伊弉諾尊・伊弉冉尊、共に議て曰はく、「吾已に大八洲国及び山川草木を生めり、何ぞ天下の主たる者を生みざらむ」とのたまふ」
とある。

一女三男

参照: 「神道由来之事」一女三男

恵美酒御前

参照: 「神道由来之事」西宮・恵美酒

出雲大社

参照: 「神道由来之事」出雲大社

伊勢太神宮

参照: 「神道由来之事」内宮

筑紫の本満宮

参照: 「神道由来之事」本満宮