『神道集』の神々

第四十四 鏡宮事

人皇二十一代安康天皇の御代、奥州浅香郡の山形という山里に六十余人の百姓が住んでおり、その中から一人の小賢しい老翁が年貢を納めに上京した。 調物を納めてから、四條の町で京の土産を買おうとして、店先で鏡を見つけて「これは何と云う物でしょう。この中に五十四・五歳に見える老人がいます」と尋ねた。 鏡の売主は男が遠い山国から来たと知り、騙して鏡を売りつけようと思った。 「これは天照太神のお姿を写した鏡と云う物です。鏡と云うのは、天照太神が御子の天忍見尊(天忍穂耳尊)に授けた重宝です。内裏を守護している内侍所というのがこれです。国々の守りとして、諸神の御前に掛けられている御正体とはこれです。女性の財宝であり、また天岩戸の益鏡として、大きくはありませんが、様々な財宝を湧き出す宝物です。私と一緒に来れば、多くの財宝をお見せしましょう」と言い、男を連れて洛中を廻って、鎧・腹巻の座、弓矢・太刀の座、綾錦・馬鞍の座を見せた。 その時に、帝の御幸に出会ったので、お供の随兵や貴賎上下人々の有様を見せた。 その後、内裏の女房たちの物詣の儀を見せた。 店に帰ると、男は「面白い。もしこの鏡を買い取れば、この面に映った財宝は、金銀衣装の類から人馬輿車に至るまで、皆私の自由にしてよろしいですか」と尋ねた。 鏡の売主は男の所持金を尋ねた。 男が「砂金で百五十両です」と答えると、百五十文か高くても二百文ほどの鏡をもっと高く売ろうと思い、「それでは半分にも足りません」と答えた。 男は仲間からも金を借りて二百六十両の金を集めた。 鏡の売主は「半分にも足りませんが、これも慈悲です。道中では他人は見せず、錦の袋に入れて首に懸けなさい」と言い、男に鏡を売り渡した。

山里に帰った男がこの鏡を覗くと、財宝ではなく五十四・五歳の男の姿が見えるだけである。 男の妻がこの鏡を覗くと五十歳前後の女の姿が見えたので、「この家には私がいるのに、他の女を連れて来た」と泣き出した。 三人の息子の嫁たちもこの鏡を見て、「別の嫁を連れて来た」と泣き出した。
そこに一人の比丘尼が来て、「これは鏡といって万物の姿を写す物です。あなたたちが見たのは自分の姿です。鏡は人間は自分が老いていく姿を写して、後世を願うようにする宝なのです」と語った。
男はこれを聞いて持仏堂を建立し、その鏡を本尊に懸けた。
やがて男は仏道修行して立派な往生を遂げ、夫婦ともに神と顕れ、利益を施した。 今の世に鏡宮と云って浅香郡の鎮守であり、東八ヶ国の内に垂跡した。

鏡宮

奥州浅香郡(安積郡)は現在の福島県郡山市付近に相当するが、鏡宮に該当する神社は現存しない。

本説話には『鏡男絵巻』[LINK]や狂言『鏡男』[LINK]などの類話が有るが、夫婦が神と成る件は見られない。

内侍所

参照: 「神道由来之事」内侍所