98.3.24
醍醐味

 衣、食、住、足りてなんとやら・・・と言うが。 食について言えば、空腹感が満たされると、次は味にこだわりたくなるのが自然の成り行きだろう。美味いかまずいかが問題である。
自分にとって音楽を楽しむという行為は、食を楽しむ行為と同じように美味いかまずいかが問題である。 ただ、食の場合は幕の内弁当のように和食に中華に洋食に・・・どんな国の料理が並んでいても美味しく頂けるのに、音楽の場合は和楽器と洋楽器を一緒に頂こうとすると、どうも妙に身構えてしまうのだった。
自分が物心ついた頃にはほとんど和楽器の音は聞こえて来なかったせいもあると思うが、そのことが日本に生まれた私には何か悔しい気がしていた。自分で音楽を制作していても尺八や琵琶の音は、単独ではとても美味しいと思うのだが、どうしてもギターやチェロと一緒に料理するには身構えてしまうのだった。どうして刻み海苔がかかった明太子スパゲッティのようにうまくいかないのだろうか?
けれど、最近はようやくこのしこりみたいなものが消えていったのである。それは昨今のエスニックブームのおかげで、昔は簡単には聴けなかった世界中の民族楽器の音に接することができるようになってからである。そのなんと味わい深いこと、いろんなスパイスや不純物が絡み合って・・・その洋楽器から遥かに隔たった・・・発酵した上澄みだけをすくい取ったものが洋楽器だとすると、民族楽器は下の方にドロドロに沈殿しているエッセンスの塊。そのどろどろ加減が和楽器と全く同質だと感じたからである。
和楽器だけが特別なものではなかったんだ。
ものの本によると日本では乳製品でそのドロドロしたものを、昔の人は「醍醐」と呼んで珍重したそうである。

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