2015.1.18
音のエッセイ その2:シャープペンシルのノック音


 今からおよそ半世紀前、ノック式シャープペンシルが登場したのは小学校高学年の頃だったか。
その数年前にシャープペンシルという名前で登場したのは回転式であった。
当時は小学生は鉛筆を削りなさい、というような大人の都合による禁止令があったように思う。そうは言っても、やはり新しいメカニズムは子供にとっても嬉しくてしかたないものである。
まず思い出すのは、回転式シャープペンシルを廻したときの滑らかさ。
安モノはどこかが擦れていて指先に引き擦り感が残るのである。メーカーはこの滑らかさにどこまで拘っていたか判らないが、気になっていたものである。授業中にK先生の話に飽きてくると、この滑らかさを確かめたくて筆箱に手を伸ばしたものである。
 そしてノック式の登場。次に気になったのがノック音である。耳元でノックしては確かめていたものである。当然、K先生の声は耳に届くはずは無かったのだが、ある日突然それは雷鳴に変わった。
小学校の前の文房具屋さんのケースにシャープを初め、ぺんてる、三菱、パイロットと次々とノック式が並ぶ度に耳元に当て、利き酒ならぬノック音三昧の日々がしばらく続いた。
文房具屋のおやじから見れば、”何をこの子はやっとるのか? 訳判らぬ子だなあ” と思われていたかもしれない。
 自分にとっての理想のノック音とは以下のようなものである。
・カチンという金属的な音でないこと。
・グノッという柔らかく、かつ重厚であること。
これはベンツのドア締まり音に通ずるところがあるかもしれない。
この理想のノック音行脚は小学校の前の文房具屋で飽き足らなくなると、デパートや文具専門店などに遠征するようになり、そんな状態が半年くらい続いただろうか。気まぐれなもので、ある日ぴたりと行脚は止まった。

 時は流れ、浪人時代がやってきた。
もうノック音への拘りは薄れていたが、中学の頃から愛用してきた製図用の0.5mm芯のシャープペンシルの調子が悪くなった。使っているうちに筆圧に負けて芯が引っ込むようになり、ノックしても芯が申し訳程度にしか出て来なくなった。
小学生時代はシャープペンシルの先端を緩めて中の部品を分解、再組するとノック音が変わることは経験していたのだが、芯がきっちり一定の長さだけ押し出され、固定されるメカニズムまで理解は及んでいなかった。
受験勉強の気分転換には最適な課題だったかもしれない。久しぶりに小学生時代を思い出して分解してみて、ノック式シャープペンシルとはなるほど実に巧妙で高精度なメカニズムであることをそのときに認識した次第である。それが当時最も安くて100円で売られていたことにも感心できる年頃になっていた。
調子が悪くなった原因は二つある事が判った。まず、部品が破損したのではなく、芯をくわえるチャック(上図赤)に芯の摩耗粉が溜まって摩擦力が低下していたこと。二つ目はノックして芯が押し出された後に一旦チャックが開いている間に替わって芯をくわえておくゴム栓(上図水色)が、永年の芯との擦動で摩擦力が低下していたことである。
要は、芯をくわえる二つの部品が滑っていたのである。洗剤を使ってチャックとゴム栓を洗浄して再組み立てしたところ、めでたく復活してくれた。
しかしながら、ひと月ほどで再発してしまった。やはりゴム栓が経年劣化によって痩せたのではないかと推測したものである。
同時に、理想としていたノック音の決め手がおおよそ判ったのである。カチンという金属的な音はチャックを締めていたリング(上図緑色)からチャックが抜け出て開く時の衝撃音であり、グノッという柔らかく、かつ重厚な音はゴム栓が衝撃音の吸収効果を持っていたということである。
そういう理屈が判ったことはスッキリしたし、勉強になったのであるが、妙なもので、同時になにか虚しい気分が湧いて来たことを覚えている。

 醸造に携わっている杜氏は利き酒の楽しみを味わえるのだろうか?
自分の拘りを究明すればするほど何かが去って行ってしまう。これもまた双対の関係にあるようだ。
"足るを知る" とはこういうことなのだろうか?

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