99.4.18
日本音楽は廃れてしまう?

日本の音楽教育が西洋音楽崇拝、偏重だったと言われて久しい。日本の音楽を教える機会がことごとく抹消されてきたことも事実である。日本の音楽をちゃんと教える人材が居ないというのも確かだと思う。
さて、では日本の音楽を教えるって、いったいなにを教えればいいのか?
箏、三味線、尺八のいわゆる邦楽でいいのだろうか?もっと歴史の永い雅楽は?民謡は?わらべ歌は?過去の音楽だけが日本の音楽なんだろうか? もちろん、それらを全部教えられるに越したことは無いが、現実的には音楽学者でも無理だろう。
邦楽や雅楽や民謡のCDを探して来て聴かせたり、楽器をさわらせてあげることぐらいが精一杯かもしれない。それでもおそらく子供達は感じるものがあるだろうし、将来その道に進んでゆく人材が出るかもしれない。
よく、音楽の時間に邦楽器を演奏させたりする試みがニュースで紹介されたりする。大抵リポーターが「日本の音楽って好き?」と聞くと、「好きです。」と生徒が答える。でも、それだけだとしたら大人の○○文化教室を学校に持ち込んだのとなんら変わらないだろう。その先のフォローが問題である。
「あなたは好きだと言うけど、どうして今の時代は流行っていないんだろう?」「あなたは嫌いだと言うけど、昔の人はきっと好きだったんだろう。なんでかな?」「倭武尊の時代の音楽ってどんなだったんだろうか?」という質問を投げ掛けて想像力を刺激してやることが必要ではないだろうか?教師もいっしょになって考えれば良い。 教えるという態度をいったん捨ててはどうだろうか?
こうした質問をして理由を考えさせたり、想像させることで、 音楽に限らず、世界中には異なった文化、風土、歴史があり、それらがみな違うこと。お互いに少しずつ影響を受けながら変ってゆくものであることを理解させることが必要ではないだろうか?
だから日本音楽を取り上げるだけではなく、地球上では西も東も私達の祖先である古代人が歌い始めてから現代まで音楽は続いてきて、今もどこかで生まれていること。そして一生のうちに出会える音楽はそのほんの一部でしか無いことを教えたい。あなたが音楽が好きならば、それを探す旅を始めればよい。未来に行くか、過去に行くかはあなた次第。あなたが好きになった音楽は飽きるまで楽しめば良いと。
こうした上で日本の音楽が廃れてしまうのは自然の摂理(混ざり始めたものは均質化の方向に向かう)と捉えるしかないのではあるまいか?
こういいつつも私は楽観視している。日本音楽に陽があたらないのは過去の西洋音楽崇拝、偏重だけが原因だったとは思えない。日本の食の文化も大きく変わって来たけれど、みんな洋食になってしまっただろうか?

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