2015.4.11
ビートポップスの想い出

 娘が洋楽好きなので、ほぼ毎週夕食時に洋楽TVに付き合っている。テレビ神奈川のbillboard TOP40という番組である。
私も嫌いではないし、娘の趣味に合わせる気もないのだが、ビデオクリップと言う物は私の青春時代には無かったので、映像に結構目を奪われて箸が止まってしまうほうである。これ、どうやって撮影、編集しているのだろう?と想像するのも楽しいし、センスの良さにハッとさせられる映像が出てくると夕食のおかずが一品増えたごとくである。
 私の青春時代は洋楽の映像は殆ど日本には入って来ず、映像に飢えていた時代である。このイントロはどうやって弾いているの? これってオルガンなの?それともギターにイフェクター? そういう飢餓状態はギター少年の想像力を逞しくさせたものである。自らあ〜でもない、こ〜でもないと推測と実践を繰り返すことで青春時代を無事に通過出来たことは幸いであった。
 80年代になって家庭用ビデオが普及すると、あの頃のお目当てのアーチストのライブコンサート映像や本人の種明かしビデオが出回ったおかげで飢餓状態は脱したが、代わりに虚脱感で満たされたものである。
最近の音楽映像は映画の予告編やショートフィルムのように感性に訴えかける作品があり、音楽の趣味は違っても親子で栄養・滋養を吸収できるところがいい。

 そんな夕食がここ一年くらい続いたのだが、ある晩の会話。
”これ先週も見たよ。同じ映像を繰り返し見せられると飽きるよね!”
今週のTOP○○の紹介がメインなので、先週と順位に変動が少なければ映像は今週も見せられることになる。 そこではたっと青春時代の洋楽番組がフラッシュバックした次第である。60〜70年代が青春時代であった世代ならご記憶の伝説の洋楽番組、”ビートポップス” である。
大橋巨泉司会、ミュージックライフ誌編集長の星加ルミ子、音楽評論家の湯川れい子が出演していた、”あれ” である。
 番組の主旨は今どきと変わらないのだが、ビートポップスはアーチストの映像はない代わりに、スタジオで曲に合わせて踊る(ゴーゴーとかモンキーダンスと称していた)若者の姿が映し出されていたのである。
YouTubeを見ていて、これは当時の英米の音楽番組の様式を真似たものと知った次第である。懐かしさのあまり箸が止まるのもさることながら、面白いのはそこで踊っている若者の千差万別の個性なのである。カッコイイ(今風に言えばcool?)子はそれなりで良いのだが、どこか羞恥心を捨て切れずにノリ切れていない子、どこかあか抜けていない子が居ると、その子のことが気になってしょうがないのである。
 ビートポップスもしかり。どこの学校に通っているのだろう?とか、彼氏居るのかな?両親に何と言って出かけてきたのかな? などなど....
であるから、飽きるなんてことは無かったのである。音楽は同じでも同じ映像は一度として出て来ない。視覚ゆらぎの滋養分と言ったらよいだろうか?
 あの時、ビートポップスで踊っていたあの子も今はお婆さん。娘が婆さんになったとき、今の洋楽TVを思い出して何を思うのだろうか?

"想い出 西暦1969年"

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