2015.8.15
奥多摩むかし道に学ぶ

 この夏休み、奥多摩むかし道を歩いた。このむかし道が整備されて一般に紹介されてからそろそろ40年近いだろうか。
 国道411号は青梅街道と呼ばれ、青梅から多摩川に沿って柳沢峠を越え山梨県塩山へ抜けるが、途中の東京都の水瓶のひとつである小河内ダムが出来る前に使われていた旧道を、JR青梅線終点の奥多摩駅(旧氷川駅)からダムまで辿るのがむかし道である。
 山沿いの国道というものは大方、旧道の拡幅から始まり、橋を架けたりトンネルを掘ったりしてショートカットして整備されてゆくものである。元のルートは自然に廃道と化して土砂崩れでもあると通行不能になって役目を終えるものである。
 地元の人でもクルマやバスがあるのでショートカットの恩恵に預かるが、登山者やハイカーにとっては歩く事が目的あるいは手段であるから、旧道に迂回してトンネルは利用しないものである。照明の乏しいトンネル内を歩行するのはクルマ側からは認知されず、非常に危険だからである。であるから旧道を整備するというのは殆どハイカーのためと言えるかもしれない。
 今回、旧道を歩いてむかし人の生活や苦労を偲ぶという文化遺産的な面も十分に堪能できたのだが、二つの貴重なミスを経験した次第である。一つ目:道を間違える。二つ目:方位を錯覚する。である。

・道を間違える
 登山、ハイキングの楽しさは準備段階から十分に味わえるものであるが、今回も事前にネットでpdf版案内地図を入手し、国土地理院1/50000地図、山と高原地図”奥多摩”版と見比べながら予習をしていた。
国道411号は奥秩父笠取山への山行の際にクルマで数え切れないくらい利用していたので、それとの位置関係からむかし道のルートは頭の中で即座にイメージが出来上がっていた。しかしながら現地、現場というものは勝手が違っていた。
 氷川から歩き始めて案内板に沿ってむかし道に入り、数百メートルも行かないうちに国道に戻ってしまったのである。原因は、片側下り、片側登りのY地路で案内板が僅かに国道側に斜めっていた事と、進むべき道が登山道然としていたからである。案内板が斜めっていて迷った経験は何度もあるのでよしとして、むかし道は舗装路という勝手な思い込みがいけなかった。

・方位を錯覚する
 むかし道は橋やトンネルの無い時代であるから、必然的にほぼ谷の斜面の等高線に沿って付けられている。従って移動と供に東西南北はくるくる替わる。
 大きなカーブを曲がり切ったところで前景の山の斜面の高い所に架かる橋が見えた。むかし道は一貫して多摩川の左岸に付けられているのだが、”あれ、対岸のあんな高い所に道なんか在ったっけ?” 図1参照
ところが接近していくにつれて、その橋がむかし道と同じ左岸に施設された小河内ダム工事の資材運搬用の鉄道橋と判明した次第である。(現在は廃線) 図2参照
 むかし道は国道から大きく逸れたり迂回するので時々、国道の橋の姿を遠くに見ながら現在位置が把握できる。ところがこれが錯覚の元だったようである。進行方向に対して直角に位置して見えたので対岸の山ひだに架かる橋と錯覚した訳である。
 見上げると周囲の山の斜面に囲まれて狭い空しか見えないような地形では地図とコンパス無しでは方位は判断し難い。なまじ人工物があるとそれを頼りに自分の現在地を把握してしまうが、山中で夕立や落雷を避けて緊急避難的に移動する際は錯覚が命取りになる場合があることを学んだ次第である。

 人は充分な備えをしていてもミスを冒すものである。先の戦争に至り、終戦を経て70余年。この国で小さなミスは至る所で起きたのだろう。軌道修正はうまくできたのだろうか?

図1:"奥多摩ビジターセンター発行 ハイキングマップ"より加筆転載

図2

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