2015.10.3
人物エッセイ その1 Gene Parsons考

 ジーン・パーソンズ 1944年9月4日、北米はカリフォルニア州モハベ砂漠モロンゴバリー生まれ。
The Byrdsに1968〜1972年に在籍していたドラマーである。自分が影響を受けたミュージシャンの中でも性格的に波長がぴったりと感じたのが彼である。それはジーンのソロライブアルバムの中で彼自身が語る生い立ちを知ったからである。
 モロンゴバリーはロス・アンジェルスから東へ100マイルほどのジョシュア・ツリー国立公園の西端に位置し、ジーン曰く、砂漠の道路沿いから更に14マイル離れた峡谷で生まれたとのこと。大陸スケールで見ればロスも広大な砂漠の中の小さな街に過ぎない。ジーンの父 Lemuel Parsons はフランス系で、自動車や機械全般のメンテや修理を行う機械工場を経営していたとのこと。なぜそのような砂漠の中に住居と仕事場を構えたのか興味深かった。
 そのアルバム ”I Hope They Let Us In” の中の ”Studbaker Story” というMCが面白い。子供の頃にクルマを押しがけしようとして隣の家の納屋に突っ込んだ失敗談を語っているのだが、その様を見ていたジーンの父は陽気な男で、大自然の中で一人でも生活できる性格と見た。機械工場ゆえに街中で騒音を立てるのは気が引けたのかもしれない。ジーン曰く、砂漠に陽が沈む頃にはそびえ立つ岩の影が巨大な怪物のように見える所だそうで、そんな父と環境の元で育ったことが彼のパーソナリティ形成に大きな影響を与えたようだ。

 Byrdsにドラマーとして参加したのは24歳のときだが、ジーンの父はいずれ機械工場を継がせたいと望んでいたようで、ジーン自身も父親ゆずりのエンジニアとしての腕を磨き、片腕として働いていたようだ。その頃のジーンはブルーグラスに革新的なリードギター奏法を持ち込んだ盟友のクラレンス・ホワイトの求めに応じ、フェンダーのテレキャスターを使ってショルダーストラップ操作で弦をベンドするアイデアを実現させた頃で、設計から試作までジーンがその腕を駆使していたのである。特許も取得しており、クラレンスと思しきギタリストが操作している説明図が微笑ましい。
 今ではこのメカは ”2nd ストリング・ベンダー”、あるいは ”Bベンダー” という名前でカントリーやロック界では広く認知されている。Byrds解散後の1979年に2枚目のソロアルバム ”Melodies” をリリースした頃には、ギタリストの注文に応じてBベンダーを組み込んだり、完成品の制作を生業にし始め、インターネットが普及するとホームページを通じて世界中からの注文に応じている。
 ジーンの趣味はライブスティームと言って、SLを数分の一に縮尺して実物と同様に蒸気で動き、人を乗せて走る模型を制作することだそうだ。こんな具合に機械工作の腕を活かして生業から趣味まで一貫して楽しんでいる様子は羨ましい限りである。

 Byrds時代のドラマーとしてのスタイルは、オーソドックスな訓練を積んだというよりはギタリストがドラムを叩くようなところがある。変則的なリズムを変幻自在に操ることがあり、これはクラレンス・ホワイトの繰り出す変則リックに付き合っていたことから身に付いたのかもしれない。Byrdsへの参加はリーダーのロジャー・マッギンがクラレンスにリードギタリストとして参加を要請したところ、クラレンスが自分のギターと息がピッタリ合っていたジーンをドラマーとして推薦したとのこと。クラレンスもフランス系であり、1973年に惜しくも交通事故で他界したが、ジーンが彼を偲んで捧げた曲 ”Melodies” の歌詞から、2人はお互いにとても馬が合っていた様子が伺える。

 Byrds参加前は、クラレンスとセッションマンとして活動していたとのこと。1968年にEL Monteというクラブのハウスバンドとして出演中にジーンがSONY製の民生用テープレコーダーで録音した音源が残されており、1978年に ”Sierra Records” から ”Nashville West” なるタイトルでリリースされている。マルチトラックを使ったメジャーレーベルのライブレコードと思えるほどのクオリティで、マイクの音の拾い方や録音器材の扱いにも明るかったようである。
 ドラムス以外にはベース、バンジョーやペダルスティール、ハーモニカも扱えるマルチプレイヤーである。ソロ活動になってから見せたアコースティックギターワークもなかなかの職人芸と思う。チューニングは正確で、チョーキングやベンドしても少しもピッチが狂わないところを見ると、ジーンならペグを精密仕上げしてガタを極限まで詰めているかもしれない。

 曲数は多く無いが、ソングライティングにおけるジーンらしさ、それは静かで穏やかな語り口と言えばよいだろうか。子供の頃の砂漠で生まれ育った想い出を語る ”Sweet Desert Childfood は引き込まれてしまう。どの曲の中にも子供の頃に吸収したであろう滋養分を感じる。それは郷愁となって漂っている。ジーン自身もルーツ(フォーク)ミュージックが好きなようだが、自分の生まれ育った土地の滋養分を糧に音楽を紡ぐのは究極のルーツミュージックと言えるかもしれない。

 何度かジーンにメールを送ってアルバムの感想等を述べたことがあるが、いつもとても丁寧な返信をくれる。クラフトマンシップというのはこういう男のために用意された言葉だと思う。

KINDLING by Gene Parsons
1973
Lemuel Parsons

エッセイ目次に戻る