99.7.26
ズレているから丁度良い?

昔、どこかの紳士服チェーン店のCMでキャラクターの男優が足並み揃えて行列を組んで歩いているシーンをやっていた。コンピューターで一人の男優の映像を用いて大勢のクローンをつくってしまったものだが、見ていてなにかからだがムズムズしてきたことがある。そういえば、子供の頃、小学校の運動会やオリンピックの入場行進を見ていたときも同じことがあった。
昨今のオリンピックの入場行進は皆、思い思いの歩き方でばらけているようだが、ムズムズするようなことはなく、却って安心して見ていられる。
どうも人間はきちっと揃い過ぎているものに対して拒否反応を示すらしい。人間の行動に限らず、森羅万象、同じものは二つとなく、どこか少しずつ異なっている。無理矢理揃えようとするとどこかに歪みが出てくるのだろう。
例えばオーケストラの中でバイオリンのパートを考えてみよう。演奏者各人はピッチ(音程)やリズムがずれないように努力する。それでも、各奏者の間には微妙なずれが出てきてしまう。素人オーケストラならずれが大きくてもご愛敬。
しかし、本当に先のCMのようにクローン奏者達がぴったり同じ演奏をしたとしたら、音量が大きくなっただけの独奏に聞えるだろうことはだれでも予想がつく。何事も程々にということだろう。

以前のESSAYでも紹介したが、角田忠信氏の音に対する脳の研究で得られた、「純音は右脳が優位だが、二つの同じピッチの純音を聴いていて、片方のピッチをずらしていくと右脳優位から左脳優位に変わる」という知見は興味深い。
いまや、ポピュラー音楽のライブやレコーディングでは無くてはならないイフェクターの中にはピッチをシフトして元の音と合成する機能をもったものがある。こうような装置が生まれるからには、そうしたサウンドへのニーズがあるからである。

ビートルズのポール・マッカートニーやジョン・レノンは初期の頃からレコーディングに際し、多重録音により自分のボーカルを2回重ねて唄ったことが知られている。恐らく、自然なピッチのずれを期待して、音に厚みと柔らかさを持たせたかったのだろうと想像される。
ピッチシフターが装置として完成した70年代前半、歌唱力の拙いアイドル歌手のボーカルをレコーディングする際に、こうした処理を加えてまずさを緩和するような使い方もあった。現在は、こうした使い方は影を潜め、上手いボーカルでも程よく効かせて「色をつける」ような使い方が一般化している。(もっと一般的なところでは、匿名のインタビューの「音声は変えてあります」はピッチを大きく変えた使い方である。)

子供の頃、夜になるとどこからか笛の音が聞えてくる。親に「ひとさらいが来るよ。言うことを聞かない子は連れて行かれるよ」と聞かされていたその笛はあんまさんの笛の音だった。これも二本のピッチがずれた竹の笛をくっつけて一緒に吹くもので、なにか恐い思いがしたものだ。

どのくらいピッチをずらせるか?これはミキシングエンジニアや笛職人の腕の見せ所である。
さて、興味深いのは先の右脳優位から左脳優位に切り替わるとはどういうことなのだろうか?そしてどの程度ピッチがずれたときに切り替わるのだろうか?
角田忠信氏の著書「脳の発見」ではそのずれ具合に触れている。でも、ここではそれは紹介しないでおこうと思う。
科学が今までの謎を解き明かす場合がある一方、ロマンを台無しにしてしまう場合もある。ピッチのずれだけは自分の感性にこだわりたいと思っている方もおられるでしょうから。
参考文献:
角田忠信 「脳の発見」(大修館書店)

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