99.9.26
イタリア人は耳がいい?

映画、刑事コロンボでのワンシーン。
自分の奥さんを殺害した犯人のカントリー歌手(ジョニー・キャッシュが好演)のレコーディング現場に現れたコロンボは今しがた録音されたばかりのテイク(因みに曲は有名なゴスペルナンバーでI saw the light.)を録音スタッフに混じって聴いていると、例の調子で
コロンボ:「うーん、いいですねえ。 あっ、ちょっとまってください、どこか前に聴いたのとちがうんだなあ。」
犯人:「コロンボ君、違いが判るかい?そうなんだよ、バックコーラスのメンバーを入れ替えたんだよ。 君は耳もいいんだねえ。」
コロンボ:「なあんだ、そうでしたか!!。ええ、私はイタリア系なもんで、耳はいいほうなんですよ。」「ところでメンバーって、今度は誰なんですか?」
犯人:「彼女だよ(実は犯人の愛人)。前はうちの家内だったけど、交代してもらったんだ。」
このやりとりでコロンボはピンときて犯人が奥さんを殺害した動機に迫るのであった。

どうも、イタリア人は耳がいい(音楽に対して)というのは一般的な了解らしい。
レコードジャケットの裏に、そのレコード制作に関わったスタッフの名前を列挙することが一般化したのは70年代初期頃からだったろうか。私はこれを隅から隅まで読むのが好きで、ゲストミュージシャンはもちろんのこと、プロデューサー、アレンジャー、レコーディングエンジニア、スタジオ等の名前がそのレコードを買うか否かの決断にとても参考になったものである。
当時のポピュラー音楽界ではマルチトラックによる多重録音が一般化し、サウンドは演奏者の意志を越えてプロデューサーやレコーディングエンジニアの手腕で決まる傾向にあったからである。もちろん、ミキシングにまで自分の意志を通した演奏家も居た。
さて、このスタッフの名前をみると、イタリア系らしい名前が多いのである。
レコーディングエンジニア : Joe Chiccarelli、 Lewis Demetri
ミキシングエンジニア :John Delgatto、Rob Fraboni、Dom Camardella、Greg Ladanyi、Joe Zagarino
ストリングアレンジャー : Nick Decaro
ストリングコンダクター :Frank Decaro
ところが肝心の演奏者の方にはあまり見かけない。有名なのはTOTOのJeff & Steve Porcaroぐらいだろうか。

イタリア語は日本語やポリネシア語と同じように音節の最後に母音が来る言語のひとつであり、このことと「音楽に対する耳がいい」というのはなにか因果関係があるのだろうか?

言語によっては母音は十数種類あるそうだが、例えばA・I・U・E・Oの間にはそれらを特徴づける特定の周波数成分構成(フォルマントと呼ばれる)の違いがあり、人間はその周波数成分構成を、耳を頼りに声帯を調節して実現しているのである。だから母音の頻度が多いということは、つまりめまぐるしく変わる母音を操ることであり、それは瞬時にフォルマントを変化させているわけで、脳と耳と声帯は鍛えられるのではなかろうか?
すなわち、周波数成分構成(音色)の変化に追従しやすいのではないだろうか?というのが私の仮説である。
ただ、「音楽に対する耳がいい」とは言うもののポピュラー音楽における新しい音色の創造という面ではイタリア人や日本人は英米人のように盛んではないように思えるのだが。「耳がいい」というのは「租借・吸収力に長けている」と言うべきか?
どうも、音色の創造というのは脳のまた違う領域の働きであり、民族(言語)による特異性はあるのだろうか?

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