2001.1.3
脳のあくび

最近思うのは音楽とそうでないものの境界線を引いてしまわない方が気分的に楽だということである。無段階に変化してゆくグラデーションのように。
浪人中に座禅をしたことがあって、とある本に「素人は最初はなにかの物音に集中しているだけでよい。音がだんだん小さくなって聞こえなくなるような物音に集中すると入りやすい」というようなことが書いてった。そのとき以来、風が窓を叩く音とか、通りの靴音とか周囲の物音をじっくり聴くことのほうが楽しみになってしまった。今なら環境音楽、サウンドスケープであろう。
音楽では無いけれど心地よい。 音楽もそういう音も意図的であろうがなかろうが、そこにあるのは脳にとっては時間軸に対して音が揺れ動いている現象に過ぎない。
音楽や言語が生まれる前の人間は、いったい何を聴いていたんだろうか?これだけ心地よい音で満たされているのに自分はなんで音楽をするんだろうか?などと自問したものである。たぶん、浪人中というのはむしろそれだけ精神的な余裕があったのかもしれない。
言語や音楽が生まれてから人間はそうした音を積極的に聴かなくなってしまったのだろうか?でも日常、ふとしたときに周囲の音がスット耳にはいってくることがある。ことばに疲れた脳のあくびみたいなものだろうか?

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