2001.7.1
壁紙とシンセサイザー

パソコンを使わないと仕事にならないのだが、パソコンそのものには疎いわたしである。
ある日、相方に「こんな壁紙があるのよ」と教えられて、「壁紙ってなんだ?うちのパソコンってインテリアをデザインすることもできるの?」と思ったら画面のバックの図柄のことだと判ったのはそんなに昔のことではない。
相方が表示の仕方を教えてくれたので次々とめくっていると色々な図柄があってこれはおもしろい。家の壁紙もこんなに簡単に替えられるといいのに。と思った次第である。 その中に木目模様があったので気に入って使ってみたのだが・・・・
なんか変だ。どこか変だ。自分の目が変だ。2、3分してその理由が判った。
一件、自然に見えたのだが、実は小さな木片のパターンのくり返しだったのだ。これがデジタルトリックなのだな。少しづつずれていたり、変化していくことがないのである。ゆらぎというものが無い。
画面いっぱいの大きな画像にすればメモリーを喰うことぐらいは察しがついた。一気に興醒めしてしまった。パソコンに自分の視覚を弄ばれていたことに腹が立って来た。
建築物やインテリアや家具には本物の木を使ったものもあるが、ときどきプリント合板を使ったものがあることを思い出した。 パソコンの壁紙と同じである。天井を見ていたら敷き詰められた板が皆同じ木目だったなんてことを経験した方はおありだろう。
自然調を装うということ自体は悪いとは思わないが、そのような手段は姑息で大嫌いである。
「なんか変だ!!」と気がつく事ができることにほっとする。人間の目(脳)というのは結構微妙な「おかしさ?」「ゆらぎの無さ?」に反応できるものだと思う。
こうした反応は耳においても同じだ。シンセサイザーの音を聴いていると一瞬壁紙を見た時とおなじ「おかしさ」を感じることがある。音に対しても「なんか変だ!!」と感じることができるのは耳(脳)が鈍っていない証拠だ。
しかし、シンセサイザーでこしらえた音楽は現代では普通である。生まれた時から身の回りには合成音が溢れている。TVの幼児番組の音楽もコマーシャルの音楽も、駅の電車の発車を告げる音も。こうした時代、環境に生まれ育つ子供に「なんか変だ!!」と気付く能力は備わるのだろうか?

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