2001.10.20
多摩川と鮎の思い出

ちょうど現在の第3京浜の橋のあたり、3〜4歳のころだったか、ここで泳いだ記憶は鮮烈なものである。
当時は今よりもう少し粒の大きな大人のこぶし大の砂利がごろごろしていて、きれいな緑色の水苔をまとっていた。それがぬるぬるしていて、何度も足を滑らせた記憶がある。
鮎が多摩川の名産になったのは良質の水苔が繁殖していたからだと、どこかで聞いたことがある。 こうした水苔のある河原は今では上流の羽村あたりまで遡らないと見当たらない。
家の前の東急東横線の多摩川の駅は複々線化されたつい1年程前には多摩川園と呼んでいた。多摩川園とは昭和初期に東京郊外のリゾート施設としてオープンした遊園地で昭和54年に既に閉園している。遊園地がある駅だった多摩川園の駅前は、商店街の代わりに土産もの屋や飲食店が軒を並べていた。
多摩川園が閉園してからは土産もの屋さんは商売にならず、ほとんどが商売換えを余儀無くされた。そういう光景を見るのは地元の人にとっては寂しいものであったが、今でものれんを出している土産もの屋さんが、「多摩川名物鮎焼き」である。
あんこをカステラで包んだ鮎の形のお菓子である。子供の頃から良く足をとめて見た実演コーナーが今も健在なのである。一度に2尾焼ける鮎の型にたんぽで油をひいて、カステラの材料を流し込み、あんこを絞り出してもう一度カステラ材を被せ、型を閉じて焼く。そう、鯛焼きの鮎版である。
子供を連れてその前を通ると、「鮎焼き見たい」とせがまれる。
今の時代、ものが出来る過程が判るというのはすばらしいことだと思う。これからも末永く鮎焼きを見せてほしいものだ。


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