98.4.28


 「峠を越える」と言う表現は自分にとって特別な響きがある。それは、幼い時に高熱を伴う病気にかかった時、枕元で両親が「もうとうげをこえたね。」と話す声が思い起こされるからである。 「とうげ」とはきっとたいへんなものに違いないと子供ごころに思ったものである。高校を卒業する頃から地図を眺めるのが好きになった。山の地図を眺めているといくつもの峠の名前を覚えてくる。 まだ越えた事のない峠を想像するのが好きだった。その名前から受けるイメージは様々で、特に惹かれたのが多摩川の水源に近い山梨県、塩山市の高橋部落と一ノ瀬部落の間の犬切峠である。 初めてこの名前を見つけた時は、なにやら恐い感じがしたものである。瓜生卓造著「多摩源流を行く」によると、一ノ瀬の忠兵衛という男が塩山からの帰途、この峠で陽が暮れてしまい、狼らしい獣に襲われ、夢中で刀を振り回して気が付いたらしっぽが落ちていた、という言い伝えから犬尾切峠と名が付き、いつしか犬切峠に短縮されたとのことである。秩父、吾野の顔振峠も気になる名前である。峠を越えて嫁ぐ花嫁が自分の生まれた村を何度も振り返って行ったとか、戦国の世、いくさにかり出されて村を出て行く者が振り返って行ったとか。股旅者は峠で振り向いたりしないとか、時代劇にはお決まりのシチュエーションというものがあるが、さて現代、登山や仕事ではなく峠を越えて行かねばならない人間のシチュエーションはどんなものだろうか?それを想像するのもまた楽しいものである。

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