2003.6.29
オケラ回想

 わずか1年間ではあったが、学生オケに所属していたことがある。パートはコントラバス。 当時はあれもこれも何でも聴いてみたい、やってみたい年頃で、大学に入学してクラブの勧誘行事にふらっと寄った「管弦楽部」のデモ演奏を聴いたのが運のツキだった。 200人程が入る教室に団員が70名程、聴衆はまばらだったが、ホールで聴くのと違い、演奏者に接触するほど間近で聴いたせいもあるが、その音のもの凄いエネルギーに圧倒されてしまった。 曲はシベリウスのフィンランディアで、身体がぐらぐら揺さぶられるような快感を味わって、「オーケストラって凄い」というのが第一印象だった。 すぐ入部を決めてしまった。コントラバスを選んだのは、やはり弦楽器が性に合っていたのと、オケ所有の楽器があり、自前で楽器を揃える必要がなかったからである。
この1年間は非常に充実していた。 音楽的な事、音響的な事も数えきれない程経験したが、学生オケなので、運営、演奏会のチラシ、パンフレットの準備、楽器の運搬、舞台の設営など自分達でこなさなければならないのだが、そういう舞台裏の仕事が結構楽しかった。 恐らくプロの演奏家なら経験できないであろう事が貴重に思えた。
学生オケの中には楽器の運搬用に自前のトラックを持っている大学もあると聞いていたが、うちのオケには無かった。 学外で演奏する時はバイオリンやフルートぐらいなら訳ないが、コントラバスや、チューバ、ティンパニーの類いはおおごとだった。 電車で運ぶには手荷物料金を徴集されるのだった。 コントラバスの場合、当時の国鉄は一律¥120。 ただ、これが駅員によっては対応がまちまちで、徴集されなかったり、されたりで、先輩からは「まずそのまま改札を抜けろ」「言われたら払え」と聞かされていた。 中には「今まで徴集されたことはなかった。なぜ駅員によってまちまちなんだ?!」と食ってかかる剛者もいた。 チェロぐらいなら駅員にも判るのだろうが、コントラバス、しかも貧乏な学生オケのそれは専用のハードケースなど無く、布カバーでくるんでいるので、それが一体何なのか判らない。いつも不審の眼差しを向けられ、ビクビクしながら改札へ向かうのだった。
演奏会も終わって、打ち上げも終わり、自前の楽器の団員はそのまま帰宅するのだが、コントラバスのメンバーは大学の部室まで楽器を仕舞いに行かねばならなかった。 夜も更けて誰もいない部室に入ったとき、部屋のどこからか聞こえて来たコオロギの鳴き声は今も忘れられない。

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