2007.3.17
音楽の点滴

 数日前の深夜、鼻と咽が繋がるあたりがヒリヒリして目が覚めてしまった。おまけに寒気がして熱も出ているようだ。寝ている時に部屋の空気の乾燥がひどく、また冷え込んでいたとみえて、鼻と咽をやられてしまったようだ。こうしたことは以前にもあったが、目が覚めるほどひどいのは今回が初めてである。朝になって起きてみると熱が引かず、完全に風邪の症状である。今日は仕事は休んで寝ていよう。たまには骨休みだ。
部屋に陽が差し込む午前中は、ぽかぽか布団の海に沈没していた。昼飯を食べて午後には、「こんな日ぐらいはじっくり音楽に浸ろう」と思い立って寝床にiMacを持ち込んで、ヘッドフォンをかけ、iTuneでシャッフルにセット。布団をかぶって準備完了!「音楽の点滴」である。
ここまではよかったのだが、曲が流れ始めて次第に耳が音に馴染んでくるのだが、何かがいつもと違う。音の手触りが全く違うのだ。粒子の粗い写真を大きく引き延ばしたような感じで、いつもなら音が耳から体にしみ込んでゆく感覚があるのだが、今日はそれが無いのである。高音の成分がすっかり落ちてしまい、それぞれの楽器の輪郭がぼやけて聴こえる。これはそうとう重傷なのかもしれない。鼻と咽は耳にも繋がっているから、そっちまでやられたか?なんとなく耳の鼓膜がごわごわ突っ張るような気がする。恐らく充血しているのだろう。恐らく湿気でベタベタしたマイクロフォンの振動幕のごとく、鼓膜の音響特性がいつもと違うのだろう。
医者は患者の胸に聴診器を当てたり、背中をポンポンと叩いたりする。身体の具合と肉体の音響特性とはなんらかの相関があることを利用したものだろう。運転の前に蒸気機関車の足回りを小さなハンマーで叩いてどこか緩んでいる箇所が無いか、亀裂は無いかを音で聞き分ける機関士も同じだ。精密で高度な測定器も使わずに音で異常を見つける・・・・そんな職人的な技に多少憧れたりする。
さて、せっかくの「音楽の点滴」計画も嬉しさ半減といったところだがしょうがない。それでもリンダ・ロンシュタット*1の声の妙なるゆらぎは私の体にとても栄養補給になった。
そうして一日寝ていた次の日、私の声はサッチモになっていた。

*1:"Adieu False Heart" 2006

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