2009.6.6
届かない色と音

 小学校1年生のときのお気に入りの本は小学館の「魚貝の図鑑」であった。当時、親に連れられて江ノ島水族館に行ったときの私の異様な興奮状態を見て親が買ってくれたものなのだが、その中でも見開きで海底を様々な魚貝が泳ぎ回っている画が載っているページが一番のお気に入りであった。特に南洋に見られる魚やサンゴやイソバナの色はとても鮮やかなことを知識として知ったのであった。
ところが、高校1年の夏に伊豆の石廊崎で初めて海に潜ったときに、海中ではほとんど色が無いことを知った。深度が深くなればなるほど、すべてが青灰色の色眼鏡を通したように見えるのである。水中では太陽の光の成分のうち、青系以外の成分が海中に届くまでに吸収されてしまうというようなことは理科の授業で習ったような気がする。あの魚貝の図鑑に描かれていた海底の極彩色は実際にはあり得ない事と知ったのである。
その後、時々テレビや映画で海中撮影の色鮮やかな光景を見たことがあったが、太陽の光が届かない暗い海底で、撮影用のライトに照らされた範囲を通過する魚や、サンゴはとても色鮮やかなのを思い出し、色を感じる為には光が必要なことを学んだのであった。
しかしながら、海中では色を失うのに、海中の生物があの様に色鮮やかなのはなぜなのか? 人間の視覚には色が見えなくとも、魚達はお互いの極彩色が認識できるのだろうか? 永遠の謎である。

 ところで、視覚的にすべてが青灰色の世界は、聴覚的には低、中音域が聞こえない、しゃりしゃり甲高い音に相当する。音楽で例えたらちょうど交響曲を携帯ラジオで聞いたような感じと言えばよいだろうか。 色彩は赤系が最も波長が長く(周波数が低く)、黄、緑を経て青、紫系になるほど波長は短く(周波数は高く)なるからである。
学生オケでコントラバスを弾いていたことがあるのだが、ある先輩がこんなことを言っていた。
「どんなに演奏者がコントラバスをガンガン弾いても、そうとうなハイファイオーディを持っていて専用のリスニングルームで大音量で鳴らせる人でないと、そのレコードを聴いて、ああコントラバスが鳴っているな、なんて判らないんだよ」。
それ以来、私はレコードを鑑賞するときは、作者や演奏者が(きっと)聴衆に伝えたいと思っている音をすべて漏らさず聴き逃さないように、密閉型のヘッドフォーンで聴くようになったのであった。 これはものすごく効果的で、安上がりで、しかも日本の住宅事情にはピッタリであったと思っている。
しかしながら、創造主はあの海中の生物の極彩色を誰に伝えたかったのだろうか?

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