奥多摩物語「跡」
ODOU

ここに人間の、いや、獣、いや生命ある物が生きていた跡がある。
ここを何者かが通っていった跡がある。
ここに何者かが置いていった物がある。
ここに何者かが隠していった物がある。
その時の音はすでに無く、ただ気配が漂う。
それはつい先ほどのような気もするし、
50年前のことだったような気もするし、
何万年も前のような気もする。



唐松尾

 多摩川源流域の最高峰(2109m)である。雲取山から始まる秩父縦走四つめの峰であり、一ノ瀬部落の後ろに屏風のように立っている。


すすむの竹定規

 私の友人が高橋部落の廃屋を借りて住むようになって約20年後の1995年、家の梁の上に竹製の30センチ定規が置かれているのを発見した。それには「すすむ」という名前が墨で記されていた。以前の住人は広瀬さんといい、すすむ君の父親は今から約35年程前の1960年代、伐採作業中に木に撥ねられて亡くなり、一家は山を降りたという。


御荒神様

 かまどの神様のこと。かまどの上にいろいろな形に切り抜いた色紙のようなものを飾って祀る。色紙の下部は凧のように細長い足が数本垂れており、この地方では子供が生まれ、名前を決める時、それぞれの足に候補となる名前を書き、かまどから立ち上る熱気でからまった足に書いてある名前に決めるという「くじ」としての役目もあるそうだ。


駈ける水

 夏、水量の豊富な季節、沢の水は駈けるように落ちてゆく。


ここを誰かが通っていった

 柳沢峠から笠取山に至る稜線に鳥小屋という名前の三つ又がある。昔は一ノ瀬から三富村へ抜ける峠の辻で、十字路だったらしいが今はその痕跡は無い。誰かが通っていった筈である。訳ありの旅人が今来た道を振り返ったであろうか。


骨皮

 1994年4月、多摩川と笛吹川の分水尾根を白沢峠から柳沢峠に向かって300メートルほど進んだところで鹿の屍を発見した。すでに肉は烏に啄まれ骨と皮になっていた。これから虫やバクテリアが総掛りで土に変えてゆくだろう。


斎木林道

 終戦後、材木難の時に木を伐採して運ぶため、笠取山から柳沢峠まで林道を通した。地元の人は作業に駆り出されたそうだが、作った人物の名前をとって地元では斎木林道と呼んでいる。


GISELL

 1970年代末、高橋部落に都会から来た二組の夫婦がいた。一組は私の友人、もう一組は野尻さんと言い、奥さんはフランス人でGISELLさんと言った。舞踏家として来日したが野尻さんと意気投合し、この地に住みついた。しっかり部落に溶け込んでいたが1985年に離婚し、フランスへ子供を連れて帰ることになった。遠方から沢山の友人が集まってお別れ会が催された。現在はフランスで再婚し、日本語教師として生活しているとのこと、苦労の多い人である。


GMC

 斎木林道の途中にはその当時、材木運搬に使われた米軍払い下げの全輪駆動トラックが二台、今も朽ち果てて野晒しになっている。一台はDODGE、もう一台がGMCのユニバーサルトラックである。彼等は半世紀に渡って、この地をじっと見守ってきたのだ。

山の息

 黄泉の国の入り口に立った登山家は薄れ行く意識の彼方に山の息遣いを耳にするのではないだろうか。氷点下を遥かに下回っているというのに水の流れる音を聞く。その音を聞いたであろう植村直己氏に捧げる。

CDライナーノーツより
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Produced, Composition, Performing, Recording-Mixing, Cover Desing
By Isogawa, Shin-ichi
1996年制作
GACD-003


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