奥多摩物語「痕」

SEMI

石に刻まれた文字
立ち枯れの大樹
枝に串刺しにされたもずの獲物
急流に滑られた岩
時はさまざまな痕跡をこの地に刻んだ。
歴史は痕跡の堆積である。



曝首ーされこうべー

 武田滅亡の時、甲斐の国からおそらくはいく人かの落武者が峠を越えて行かんとしたと思われる。あるものは首尾良 く峠を越えて落ちのびたかもしれない。あるものは峠で力尽きてそこに眠ったかもしれない。
甲府方面を背に犬切峠に立つと三ノ 瀬部落が見下ろせる。力尽きた落武者はされこうべになっても、そこで暫らくは見下ろしていたかもしれない。


千の喙

 落武者の屍はすぐに野性の生きものの餌食になる。烏がその喙で何万、何千と啄んだことだろう。


太古樹

 そのありさまの一部始終を、いや、そこに棲むあらゆる生命の循環を見ていた樹が居る。


斧への想い

 明治40年に大きな水害がこの地を襲い、一帯は壊滅的な被害を受けた。一部の家では強制的に北海道へ移住させられることもあった。高橋部落に住んでいた坂本金重さんの家は移住組であったが、彼の恋人が残留組の家であったことから、別れるのがいやで、自分の足を斧で叩いて大怪我をし、この地に居残ったと言う。現在では金重さんはとうに亡くなり、今はお孫 さんの代で山を降りて塩山市に住んでいる。坂本家は一時期、身体障害者の林間学校施設として使われ、さざんか村と呼ばれていた(瓜生卓造著「多摩源流を行く」東京書籍刊 より)が今現在は使われなくなり廃屋となっている。


遥かなる伝言

 この地方の土質は砂のように脆いが、崖崩れの跡には大きな岩が転がり落ちる。山歩きをしていると時々、苔を全身にまとった岩に出くわす。崩れ落ちてから永い年月、風雪に曝されてきたのだろう。よく見ると、なにやら文字らしいものが刻まれている。力尽きた落武者が遠のいてゆく意識の中で何かを印したのかもしれない。


焚火の跡

 杣 (そま)道を歩いていると、時々焚火の跡に出くわす。水源林を維持管理する山仕事の人達が焚いた跡である。山は9月になるともう火が恋しい。煙はもう立ち上ってはいないが、手をかざすとほんのり暖かい。確かに少し前にはここに人が居たのだと思うとなんとなくほっとする。


キ-67

 終戦を目前にした1945年8月11日夕、西多摩群旧吉野村(現在の青梅市柚木町)三室山(標高646.9m)に旧陸軍 4式重爆撃機キ-67が墜落した。私の父は熊谷飛行場でこの機の帰還を待っていたが、青梅方面で飛行機が墜落したとの連絡を受け、救助に向かった。 春日大尉以下12名の搭乗員全員の死亡を確認し、近くの学校で遺体を荼毘に付した。 終戦の混乱でまともな供養が出来なかったことをいつも気にしていた父は37年後の1982年、消えかかっていた当時の記憶をたよりに墜落場所を 探し出し、積年の思いを果たした。私も同行したが、今だに沢に転がっているキ-67のエンジンの残骸を発見することが出来た。この曲は亡くなった搭乗員に捧げる鎮魂曲である。


野分

 夏草の中からすすきが顔を出し、陽差しは緩くなり、影は少し長くなる。部落の人達は薪割りに精をだす。


緩やかな斜陽

 10月末、唐松林は金色に染まり、午後の陽はゆっくりと西に傾く。生きもの達は今年のなすべき事をすべて終えて絶えることない沢の水音にじっと聞き入る。私は山のこの季節が一番好きである。


還る

 山に降った雨が朝日を浴びて霧となり、空に上って雲となり、夕方には再び雨となって還ってくる。鳥は巣に帰って行く。芝狩りに行っていた地元のお爺さんが帰ってくる。朽ちた樹が地面に伏して土に還ってゆく。

CDライナーノーツより
無断転載は御遠慮願います。
Produced, Composition, Performing, Recording-Mixing, Cover Desing
By Isogawa, Shin-ichi
1990年制作
GACD-001


戻る