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日本の音についての文化論は盛んですが、ほとんどがその特異性を論じています。 よく目にするのは、「日本人は音色に敏感だ」とか「自然音を愛でる」という言い回しです。ではその特異性はどこから来るものなのか?という疑問には「気候・風土の違いだよ」、「言語の違いでは?」で煙にまかれてしまいます。 また科学的、統計学的に根拠を示そうとしても、なかなか思うようにいかないようで、特異性と言い切れるのか疑問が残ります。言い方次第では人種差別とみなされてしまう危険性もはらんでいます。
1970年代後半から80年代前半にかけて、音に対する脳の反応が盛んに研究されるようになり、日本人と非日本人*1の差異が明らかになったという報告は一般にも大きな話題になりました。(角田忠信著「脳の発見」大修館書店他)
もし宇宙人が地球に探索にやってきて、獅子おどしを見つけたら、それを何だと分析するでしょうか? 時を刻む仕掛けと分析するでしょうか? 沢の水を引いて注がれる水量は微妙に変化しているので、コンという音の間隔が微妙に変化することに気がつくでしょうか?
当初は私も日本人の特異性ばかりを追いかけていましたが、最近は音のゆらぎ方に対する脳の反応と、それをどう感じるかは人種、民族、言語等によらない人類に普遍的な特性=スタンダードがあるように思われます。 民族や地域の特異性というものがあるとしたら、それは幾多の環境的なストレスを経てスタンダードからズレたものとして現れてくるのではないかと思われます。 そうしたことから、「日本の音についての文化論」の前に、聴覚や視覚のスタンダードを明らかにしてみようと思うようになりました。 いったい「音の世界の黄金比*2」はあるのだろうか?
*1:角田忠信氏の研究では日本語で育った人、そうでない人とされている。
2017年現在: 当初の「日本人の音色のルーツ探し」から始まり、「聴覚や視覚のスタンダード」を経て触れることが出来た底流は ”ゆらぎ・感性” であったかと思います。 その後、2010年頃からは ”双対” という物の見方を知り、”ゆらぎ・感性” の対になるものとして ”理論・法則・理性” を切り離すことは出来ないと感じています。 音楽を制作するという立場だったのですが、現在はアートや工業製品まで含めて ”モノ作り” をしているという見方をするようになり、”モノ作りには理性と感性が対で必要である” というところまで来ました。 そして、”マーフィーの法則”、”理想と現実”、”右脳・左脳”のようにもう少し普遍的なものに広がりつつあるようです。 詳細は●エッセイにも記しておりますので参照頂ければと存じます。
2025年現在: 2018年から "双対性とは何か? 小学生でも判るようにする" がテーマとなりました。 結論としては、"需要と供給"、"経済成長と教育水準"、" 鶏が先か、卵が先か" のように因果関係が双方向になっている状態と言えます。 これは堂々巡りになる状態、ジレンマを抱える状態でもあります。 人間なら誰でも経験する理性と感性、政治経済と文化芸術、理系と文系のジレンマも同じです。 逆に因果関係が一方通行とは、"風が吹けば桶屋が儲かる" のような例です。(桶屋が儲かっても風は吹かない) 実は、私達が小学校から高校で習ったフックの法則やニュートンの法則は因果関係をあえて一方通行としたものである事が 判りました。 一方通行にしたおかげで人間は知性を高めることが出来たと言えます。 しかし力学の現実は因果関係が双方向になっていると教えてくれたのは●エッセイにも出てくるS氏とN先生です。 双方向になっているゆえにジレンマを抱えているのです。 それが明確に現れたのが地球温暖化です。 そうした視点に立つことができたので、これからのライフワークは "起きて欲しくない事が起こらないようにする" をテーマにしようと考えています。 なお、力学に於ける双対性については5月から "研究ノート" と題して●エッセイのページで公開する事にしました。 こちらは力学の専門的な内容ですが、ご参照頂ければありがたいです。
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