読書 1
前置き:TVの無かった子供時代に
冒頭からいきなりではあるが、僕は両親にものすごく感謝していることがある。
なんて理由を挙げ始めたら文字通り切りが無くて、それこそ結婚披露宴の
花嫁から両親への手紙を100通書いても足りなくなりそうだが、
とりあえずここでの感謝事項は、高校を卒業するまで我が家にテレビが無かったことである。
アメリカに来てまでテレビ漬け(+今はPC漬け?)になっている現状を鑑みると、
テレビが無かったために持てた時間と言うのは膨大なメリットとして働いていたに
違いないと今なら信じられる。
もちろん友人たちの話すテレビの話題についていけず疎外感を味わうことは
少なくなかったし、自慢ではないがキャンディーズもピンクレディーもおにゃんこクラブも
リアルタイムで見た記憶は無い。
大学に入って初めて自分のテレビを持ったときにはドリフもひょうきんぞくも
とっくの昔に過去のものになっていて、これまたリアルタイム映像は捕らえそこなっている。
周りの友人たちがテレビに費やしていたはずの時間を、我々兄弟は何に使っていたのだろう。
ラジオは聞かなかった。当時は(コンシューマ)ゲームなんてのもなかった。
となれば、出来ることは後一つ、読書である。
何歳までだったか・・・記憶は定かではないが、主に母親が(ごくたまに父親が?)就寝前に
読んでくれた本たちをきっかけに、小学生から中学生にいたるまで、
いわゆる児童文学と言われる分野の本に、恐ろしく没頭していたように思う。
読書好きと言うと、お気に入りの作家の本などをじっくりと読んで、噛み締めて、
というのが定番なのだろうが、なんとも子供の頃からせっかちだった僕は、
一冊でも沢山の本を読みたいという思いでとにかく本を読んでいた。
もともと児童文学はヨーロッパ特にイギリスが先進国であるためか、
読む本もそちらのものがほとんどであった。
アメリカ人作家で熱心に読んだものと言えば、
ローラインガルスワイルダーの小さな家シリーズくらいしか思いつかない。
高校に入っても児童文学は読みつづけていたが、その一方で
父親が定期購読していたハヤカワのSFマガジンやまた家に大量に置いてあった
アガサクリスティなどを読み始める。
クリスティはポアロもの、マープルものともにかなりのお気に入りになり
高校卒業の頃には全巻を揃えていた。
この年になり、自分の為に児童文学を購入して読む、というのも少しずれているように
感じるかもしれないが、やはり今まで読み散らかしてきた本たちはどれもこれも名作であり、
今の子供たちにはもちろん、自分が今日読んでも面白いものがほとんどだ。
やけに前置きが長くなったが、そんな愛するべき本たちの中でも特にお勧めなものを
何冊か紹介したいと思う。