ボーリングのとのお付き合い 〜〜〜 初恋
マイブームとしてのボーリングには2度のピークがある。
一度目は、大学での学部生のときに、我がみちのく友の会*1の国技と化したボーリングに
命掛けてます状態になったとき。毎週、金曜日の”定例競技会”では、10G程度、
また、それに向けての練習を、その他の日に少々?。
今となって思うのは、当時は不思議なことにマイボールを買うなんてこれっぽっちも
思わなかった。ビリヤードのマイキューの話しは出たことがあったのに。
でも、競技志向に走らなかったのもやっぱり当然かなと思ったりもする。
毎週毎週、みんなで投げる(10人以上だものね)、その後ファミレスに飯に行く。
たまにはファミレスのにーちゃんと険悪になってみたりする。さらに元気が残ってれば、
ボーリング場の駐車場で雪合戦してみたり、ビリヤードに行ったりする。
こういう、如何にも若いっていいなー的生活が快感だったんだと思う。
もちろんその中でボーリングが中心にあったのは、後年僕が執り付かれた
ボーリングそのものの底知れない面白さがあったんだろうけど、それをいえば、
どんなスポーツも奥深いからね(カバティだってきっと)。
一度目のブームは、やはり(僕以外のメンバーの)学業の忙しさや、卒業、
そして何よりもホームグラウンドだったボーリング場*2の閉鎖により、
やがて、終焉に向かうのだけど、今でも、会のメンバーが集まると、
やっぱりどこにいても(スキーのときは除く、それとAmherstもね)ボーリングを
してしまうのだから、その力は偉大だと思う。
*1 みちのく友の会
1988仙台ローカルから活動スタート、20数名の会員と、全国4支部(+北関東事務所)、
オランダ、米国駐在事務所を有するNGOで、現在職にあぶれている明石康氏に会長就任を要請中。
主な活動内容:披露宴パフォーマンス(注文募集中)、日本全国のボーリング場視察
HP:機密性が高すぎるので公開してません。
*2 台の原レインボーボール
当時250円/1Gで、スコアは手書きだった。いつでも空いていて本当にいいボーリング場だったが、
いつでも空いてれば、つぶれてしまうのも当たり前かな。ボーリングの日(6/22)は、半額とかではなく
午前中無料の気前のいいボーリング場だった。(6/22は大学の創立記念日で休みの日だったし)
僕の足のサイズを覚えていてくれたおねーさんは何処に行ってしまったんでしょう。