4/23/2000
あいも変わらず天気が悪い。18:00から同僚のAadilが
モロッコ料理を振る舞ってくれるとの約束だったが、
夕方4時頃にまだ天気が持ちこたえているのを見て、
取りあえずテニスコートへ。
今日から奥さんのためのトップスピン打法特訓開始。
永らくフラット/スライス系フォアハンドでひたすら
安定して打つ練習をしてきただけあって、フォームの安定度は
はっきり言って僕なんかより遥かに良い。
予想通りちょっとグリップを変えて、スイングの方向をちょびっと
軌道修正したら、あっという間にキレイにトップスピン系が打てるようになった。
この調子だと案外すぐにモノになりそうだ。
で、これをきっかけに今までの受けて打つ、という守りのスイングから
自分の意志でボールを引っ叩く攻めのスイングに化けてくれたら、
面白くなりそうだなぁ。
Aadilの家にはパーティーの鉄則どおり15分ほど遅れて到着。
お客は僕ら二人とドイツ人Roland。
期待以上に彼の作ったモロッコ料理は美味かった。
それにしてもアメリカの田舎町で、モロッコ人とドイツ人と
日本人が一緒にメシ食って、テレビのクイズ番組を見ながら
アーダーコーダ言ったのも変な感じがすると同時に、
人間関係に恵まれていると感謝することしきり。
アメリカに来る直前は不安ばかりが募ってこんなこと想像もしなかったけど
ナントカなるもんだ。
4/22/2000
今日はPCとお付き合いの一日。
まずは買ってきたシリコングリースをCPU(?)に塗って
冷却能力を少しでもアップだ、と
悪戦苦闘しながらAthlonをマザーボードから引っこ抜く。
マニュアルもなんも無いし、経験0のド素人だからヒヤヒヤ。
でも結局外してみても、グリスを塗れるところまではバラせず、
インターネットで色々調べて見ても、素人向けのガイドはどこにも無い
と言うわけで、結局ファンに積もったほこりだけ取り除いて、
元に戻しまして、ハイおしまい。
まだまだ道は遠そうだ。
4/09/2000
昨日の大風(でも暖かかった)に続いて今日は朝から雪・ゆき・ユキ
おいおい4月やで、と空に突っ込みを入れつつ、WestSpringFieldにある
ShowCaseCinemaに映画を見に行った。
前から噂に聞いていたが、全部で16スクリーンを擁する
巨大シネマコンプレックス。Springfield市内だけで同じチェーンが
3つはあるから、〆て50スクリーン弱。スゴイ。
見た映画はDreamWorksのアニメ(アナスタシアを作った)、
Road to Eldrado(エルドラドへの道)。
もともと打倒Disneyを目指してDisneyから大量にアニメーターを
引き抜き、Disneyより高い年齢層に訴える映画を作るというのが
売りだったはずが、ほぼ完璧な子ども映画だった(いや、もしかしたら
違うのか!何処と無く説教くさかったし)。
でも子ども向きとは言えやっぱりまだまだ英語は甘くない。
映画を見に行った”ついでに”PC用にサウンドカード
SB Live! Platinumを購入。評判高し、だけあって
ばりばりの迫力サウンドだけど、バスが効き過ぎで
アパートの3階で聞くにはちょっとツライのが玉に傷。
4/08/2000
むしょうにテニスのしたい週だったので、天気が良いのを見て
勇躍UMassテニスコートへ・・・ところが、なんじゃこりゃーの大風。
打っても打っても球が飛んでいかなかった。
そんな中ばかみたいに2時間半ほど頑張ったけど
さすがに力尽きて早々と退散。なんだか気が滅入ってしまったのか
5時頃から昼寝。起きたら9時前で一日が終わってましたとさ。
4/03/2000
今日オフィスで同室のモロッコ人、ドイツ人の二人に
日本語ワープロの働きを説明した。アルファベット(ローマ字)で
文章を入力し、それがその場でひらがなに変換されて行く様、
さらに変換キーにより漢字の候補一覧が現れて、その中の
最適な一つを選び取って行く行為。全てが驚きだったようで、
いちいち感動してくれるので説明する側も思わず力が入ってしまった。
そんな中、”例えば”と英語で言おうとして、口をついて出てきた言葉が
”タトエバ・・・”、聞いている側もそして喋っている側も思わず
面食らってしまって一瞬静寂に包まれた。
今までもアーとかウーンとかが出てくることはあっても、
ちゃんとした日本語の言葉が混じってしまったのは初めてで、
一体何が自分の頭の中で起きたのかは分からないが、
未だに英語で喋っている最中に日本語が顔を出すのは
なんだか情けないサインでがっかりしてしまった。
4/02/2000
April fool day から一夜が明け、時計が一時間進んで(夏時間突入)、
4月2日がやってきた。今日は僕にとって個人的に非常に特別な日だ。
一年前のちょうどこの日、日本を発ち、腕がもげそうなほど重い荷物を
抱えて18時間の旅を経て、アメリカにやってきた。
ニューヨークのJFK空港で怖いアンちゃんに$10巻き上げられ、
チップの払方が分からず空港のカフェテリアでウェイトレスに
ぞんざいに扱われ(当たり前)、40人乗りのプロペラ機で
ハートフォード・ブラッドレイ空港に辿り着いた日であり、
今の同僚グリフィンに空港からキャンパス内のホテルに
車で送ってもらう1時間半の間、ほとんど何も話すことが
出来なかった情けなくも懐かしい日であり、
何とかホテルの電話経由で日本に電子メールを送れることが
分かって思わず涙しそうになった今までで一番ホームシックを
感じた日であり、
時差ぼけに苦しみながらもぐりこんだベッドが柔らかすぎて
いきなり(生まれて初めて)背中の筋を痛めてしまった
恐ろしい日であり、
暇つぶしにつけたテレビの内容が全くわからず、
言いようの無い不安感とアセリに包まれた日である。
一年たって何が変わったのか、良くは分からない。
少なくとも何処に行ってもチップで戸惑うことは無くなり、
グリフィンとは冗談を言い合えるようになり、日本語の
ホームページを開設し、自分のアパートの床敷きにした
快適な布団で眠ることが出来、TVの内容が
分からなくても焦ることは無くなった。
さて2年目はどんな年になるんだろうか。
サイエンティストであり研究室の中で仕事を
しているうちは映画など必要無いと言うのは
良く聞く話しだし、実にその通りだとも思うが、
やはり喋ってナンボのこの世の中。
やはり英語習得に再び鞭を入れるのが
最優先課題かな。
3/20/2000
先週の水曜以来ちょっと間を空けて学校に行ったら、
予想通り午前中は英語を喋るのがじつにつらかった。
ニューヨークのような都市に旅行に行っても
英語はほとんど必要ではないことが、自分の体たらく振りを
通じてよく分かる。
また半年に一度の査定のシーズンで会社から自己評価を
実施するように要請があり。どうとでも書けると言えば
どうとでも書けるんだけど、なんとなく意味の無い作業だなぁ。
3/19/2000
ようやく新規購入のPCの日本語環境の立ち上げに成功。
英語の取り説を読むのは相変わらず面倒くさくてたまらない。
で、苦労して読んでもちっとも役に立たないという点では
日本語も英語もあんまり変わりが無い。
今日は午後から今シーズンの初テニス。春休み中ということもあり
コートはガラガラで実に快適だった。
3ヶ月以上のブランクがあった割には、結構マトモなテニスが
できて満足。でも少なくともアメリカに来て以降、あんまり上達しているとは
思えない・・・
3/14/2000
久々に日記でも更新するかと思ったら、なんと最新版が1999年6月になってた。
3日坊主とはまさにこのこと。こういうのでもきっちりつけとけば財産になるのに
もったいないことをしているもんだ。
今日は奥さんが英会話学校の関係で近くの短大(コミュニティカレッジ)に
半日セミナーを受けに行った。来る前にイーオンに週2時間だけ通ってるときさえ
すでに英語に対する泣きが入っていたことを思うと、ものすごい進歩だと思う。
本人は上達がなかなか進まなく感じてもどかしいようだけど、慣れと言うことに
関するとネイティヴスピーカーに囲まれる機会の少ない彼女には不利だし
しょうがない。でも、こういう催しに参加できること自体が凄いことなんだよね。
しまった! そういや今日はホワイトデーだったんだ。もう日付が変わってしまったけど・・・
今晩、Easthamptonの街の小さなスタジオで日本からやってきた
パンクロックバンド(ハイライズとか言ったかな?)が演奏してるらしい。
Griffinがわざわざ聞きに行くって言っていたから明日感想を聞いて見なければ。
それにしてもわざわざアメリカまで来てイーサンプトンで演奏とはびっくりだ。