Under the blue sky


2004/03/31 ただ佳き酒あるのみ

昨日の今日で前言を翻すようだが……花見酒飲んだ。

雨がウソのように上がり、あまりに天気がよかったので、ちょっと足を伸ばして上野まででかけ、上野公園の桜を見物してきた。で、ぷらぷらしていたら花見に来ていたおっさん連中に捕まって振舞い酒などを恵んでもらい、期せずして花見酒にありついたというわけだ。

それなりに良い気持ちになったあと、酔いを醒まして国立博物館へ。今のうちに見ておくべしと国宝・備前長船景光の太刀やら何やらを鑑賞。うーむ、素晴らしい。

満開の桜と刀剣美術の粋という2つの佳いものを見て今日はゆっくり眠れそうだ。(ここのところ少々寝不足気味だったのだ)


2004/03/30 回転ドアーの事故に思う

突然の雨でせっかく満開の桜が散ってしまうのがちと残念。

さて、「六本木ヒルズ森タワー」で回転ドアーに挟まれて6歳の男子が死亡するという大変痛ましい事故があった。まあ、その後は森ビルと三和シャッターがお決まりの責任転嫁と言い逃れを繰り返しているので、どうにもならんなこいつらは、という感じだ。まあ、森ビルだしな。
そうそう、ドアに挟まれて死ぬなよー>六本木ヒルズ勤務の友人

オレもかつて回転ドアーのあるインテリジェントビルなんぞに勤務していたことはあるのだが、あれは結構面倒だった。
なにせ、すぐ横にある普通のドアを手で開けて入ろうとすると、警備員に怒られるのだから始末が悪い。急いでいるときにゆっくり自動で回っている回転ドアーなんぞ通れるものではないのである。
まあ、この一件で回転ドアーは縮小の方向にいくだろう。エアーカーテンとか色々世の中には代替方法はあるのだから。

何にせよ事故に遭われた子供の冥福を謹んでお祈りしたい……この雨は涙雨なのかもしれんなぁ。

長雨や 今年は飲めぬ 花見酒
 ――マ大佐詠


2004/03/29 「エネミー・ライン」

なんか、ビデオテープの山を漁ったら出土したので、朝飯を食いながら鑑賞。

2001年、21世紀FOX配給。監督は元ニュースカメラマンのジョン・ムーア。主演はオーウェン・ウィルソン、ジーン・ハックマン。
当時、旧ユーゴスラビアの民族紛争が一応解決し、和平が結ばれているボスニアで、海軍のホーネットが撃墜され、唯一の生存者であるナビゲータが敵の執拗な攻撃をかわしながら生還するまでを描く。
当時の世相というかなんと言うか、アメリカの国威発揚映画として扱われてしまったようだ。本当は部下と上司のヒューマンドラマ……だと思うんだけどなぁ。

ちなみにこの映画、国防省の全面協力で作られたものらしく、本物のスーパーホーネット(複座機だったのでF/A-18F)を見ることができるし、引きのカットはやはり本物の空母CVN-70 カールヴィンソン (*1)。実際に甲板上などの撮影に使っているのはCV-64 コンステレーションである。
それにしてもアメリカはすげぇ。空母一隻につき一つウェブがありやがる。ミニッツ級空母に至っては独自ドメインである。

え!? 内容?
んー。前半20分の空母からの発艦シーンとホーネットがフレアをばら撒いて飛んだりするシーンは、その手のマニアにはたまらん映像なんだがなぁ。
まあなんにしてもジーン・ハックマンあたりが出てくると映画が締まるなぁ、という感じで。オレは好きなんだが万人向けではないと思う。
映画のエンドクレジットで、「アメリカ万歳! アメリカに恵みあれ!!」と両手を上に突き上げて叫ぶことに抵抗のない人には……お勧めかも。(断っておくが、オレはウケ狙いでやっているだけで親米派ではないぞ)

……あ、「インディペンデンス・デイ」のローランド・エメリッヒがまたわけの分からん映画を……。

(*1)
余談だが、米空母略称のCVNは、CはCarrier、NはNuclear(原子力)の頭文字。
で、間のVはなんと象形文字で飛行機の翼を意味しているそうな。


2004/03/28 やはり開発者の趣味

このカラーリング、どう考えても開発者の趣味だろう。

作業ロボットの世界もここまで来たか、と感慨深い。操縦系統はマスター・スレーブ方式(*1)となかなかに男心をくすぐる。インタビューでは「乗り込むほうが嬉しいという意見」があって完全に遠隔操作ではないようだ。

まあ、こういうロボットなら叛乱を起こしたりはせんだろうよ。古来SFでは行き過ぎた人工知能とロボットは必ず人間に叛旗を翻すから困ったものだ。
まあ人間との共存を望んでいるのは鉄腕アトムくらいのものだろうが、アトムは人間と共存するには根本的な問題がある……動力が原子力ってのがまずいのだ。
やはり人口過密地帯へのアトムとジャイアントロボの立ち入りは禁止すべきだ。一次冷却水が漏れようものなら大変である。人間は7シーベルト以上の放射線を浴びたら死んでしまうのだ。

そういえばHONDAが世界初の二脚歩行ロボットを開発した時に、開発リーダーが「子供の頃、アトムを見てロボット開発を云々」と言っていたが、ヤツらも将来は原子炉を搭載するんではないかと思う。
頼むから民生用にはしないでいただきたいものだ。

(*1)
マスター・スレーブ方式、マスター(人間)が直接操るロボットから関節変位などの情報をスレーブ(ロボット)へ与え作業させる方式。早い話が「闘将ダイモス」とか「ジャンボーグA」のあれである。
ちなみにマスター・スレーブ方式の制御において、スレーブ側の情報がマスター側にフィードバックされない方式をユニラテラルといい、スレーブ側の作業力などの情報がマスター側にフィードバックされ、人間が力制御などできる方式をバイラテラルという。
小説/アニメの「フルメタル・パニック」で出てくる「バイラテラル角」というのはこの動作反応角度のことをさす。


2004/03/27 世界一ダーティな国

なんか寝た時の姿勢が悪かったらしく、身体中が痛い。腰をひねった状態で熟睡するのは危険だった。

さて、なんか惰眠を貪っている間にイスラム原理主義組織ハマスの精神的指導者アハマド・ヤシン師がイスラエルに暗殺されていた。
さすがはイスラエル、1981年にバビロン作戦を敢行しただけのことはある。
バビロン作戦とは当時、イラクがフランスから購入し建造中だったオシラク原発をF-15/F-16の混成部隊によって空爆、破壊した作戦だった。交戦国でもない国家に領空侵犯して爆撃していったのだから恐れ入る。
イラクがプルトニウムを生成することのできる原発を稼動させると、中東諸国の核のミリタリーバランスが崩れることを恐れたからだと言われている。

でもって今度は暗殺だ。
イスラエルの諜報機関モサドは暗殺をお家芸としているので、今度も奴らの仕業だろう。まったくもってダーティきわまりない国だが、やったあとで悪びれずにしれっ、としているところがイスラエルのスタイルのようだ。

平時における国家予算に対する軍事費の上限は16%とされている。これを超えると経済成長が成り立たないのだ。現在、16%超の国は1国だけ、北朝鮮。そして16%ギリギリを保っているのはイスラエルだけである。

それを考えると日本はまだまだ平和だ。
消費税の総額表示でごたごたしているのが、とてものほほんとしたものに思える。


2004/03/26 飲むと日記は書けません

「太陽にほえろ!」の「長さん」、「長七郎江戸日記」でお側去らず(忠臣)の三宅宅兵衛を演じた下川辰平氏が亡くなられた。謹んで故人のご冥福をお祈りしたい。
渋い脇役を演じる男達が次々と去ってしまった。寂しい。

本日は秋葉原で和泉師と飲み。給料日の後に行われる月例会状態になっているのが笑える。
お互いにグチりあいになったが、楽しい一時であった。


2004/03/25 音声制御といえば

「踊る大捜査線」のビデオを見て、ほんの少しだけ泣いた(挨拶

さて、音声対応型のOperaが登場するらしい。マウスをクリックしすぎて、腱鞘炎や手根管症候群になった人のために、音声入力で動作するバージョンをリリースするそうな。
ちなみに当サイトはOpera等ではまともに表示されないので悪しからず。

まあ、そこまでしてネットサーフィンせんでもいいんではないか、と思うのだが、音声制御というのは面白い。IBMの一種のお家芸的な感があるが、PC-EXPOかなんかでデモを見た時には感心したものだ。

もっとも、あのヘッドセットをつけるとつい「エレファンダー、AZ60mmハイパーレーザーガンだ」(*1)とか「ミサイル発射(命令はロシア語で)」(*2)とかつい言ってしまうのはオレが病んだ人間だからである。
そういや友人の車のカーナビ(声で制御するやつ)ん時も同じネタやって周囲から呆れられたよなぁ。

……我が家には音声制御は当分不要であろう。

(*1)
2001年に放映されたアニメ「ゾイド新世紀/0」の中の台詞。(これ書くためにわざわざ見直したぜ、その回。キャラの中ではナオミ・フリューゲルがよかった)
作中に登場した象の形をした大型ゾイド、エレファンダーは手動の他にボイスオートマチックで声のみで戦闘行動をとることができる。
……の割には武器の名前をフルネームで言うという恥ずかしい行為をやらねばならないのであった。もうちょっと改良したらどうよ?

(*2)
映画「ファイアーフォックス」の台詞。1982年公開。クリント・イーストウッド主演、実は製作と監督もクリント・イーストウッドのB級映画……なんだが、前半のエスピオナージ物と後半のスカイバトル物の見事な融合だったとオレは思うんだがなぁ……。
ソビエトが開発した最新鋭機を「アメリカで作れないなら盗んでしまえ」と奪取する話。
で、その機体がMig-31 ファイアーフォックス(マッハ6で飛行し、前にも後ろにもミサイルが撃てるトンデモ機)こいつは火気管制が思考制御で行われるが、ロシア製ゆえ、ロシア語で思考しないとミサイルが出ないというのが映画のオチでもあった。


2004/03/24 ささいな笑い話

更新をサボるとアクセス数が半分以下に落ちる当サイトへようこそ(挨拶

しかしアクセスログをたまに見てみると面白いものだ。えーと、Googleで「マ大佐」って入れて検索すると……ヒィ。
もうちょっとまともなこと書かんといかんかなぁ。

さて、サッカーJリーグ、ヴィッセル神戸のFWイルハンが右ひざ内側半月板損傷のため極秘離日……とかいうニュースのヘッドラインを見つつ、ふと思い出した笑い話。
かなり前のことだが、「女性セブン」の電車の中吊り広告で「イルハン王子特集」とか書かれていたので、オレはてっきりどこぞの王族だと思っていた。で、国籍は? トルコ? ふーん、なるほどねぇ。
……後にトルコは共和制じゃねぇか、王族はいねぇよ、ということに気付き一人で笑っていた。まぎらわしい愛称はやめてもらいたいものである。別に出自をどうこう言うつもりはないが、イルハンはドイツに出稼ぎにきていた夫婦の間に生まれた子だそうな。

……顔が良けりゃ王子と呼んでもらえるんだなぁ。


2004/03/23 久々にビールを飲みつつ

最近財政難から寝酒は安いウィスキーとなっているわけだ。なにせ一ビンで長く飲めるのがよい。オレへのご進物はぜひウィスキーなどの保存の利く洋酒をお願いしたい。

冗談はさておき、さすがに飽きたので、たまには贅沢ということで缶ビールを1本買ってきて飲んだわけだ。
さて、日本における最初のビール販売は明治五年(1872)、大阪で誕生したシブタニビールであったといわれる。ところが、当時の洋物の最先端であったビールというのは日本人の口にはなかなか合わなかったようで、しかも料亭などでしか飲めない高級品であった。
その後、文明開化が進むにつれ「懲りない面々」が次々とビール会社を興しては潰していくという一種の戦国状態になる。例を挙げるだけでも、桜田ビール、手形ビール、日の出ビール、大倉ビール、浅田ビール……最盛期には70もの商標があったというのだから驚く。
しかし、その後の淘汰によって生き残るのはこの四社となった。札幌麦酒(現サッポロビール)、ジャパン・ブルワリー(現キリンビール)、日本麦酒醸造(現ヱビスビール)、大阪麦酒(現アサヒビール)である。

やがてビール業界は明治三九年(1906)、時の農商務大臣の斡旋で、札幌麦酒、日本麦酒醸造、大阪麦酒の3社合併により「大日本麦酒」に統合される。そして戦後GHQの政策によって再び分割。日本麦酒と朝日麦酒になるのだ。
これが現在のサッポロとアサヒで、これに独自路線を保ったキリンが加わって現在のメーカー構成となるのである。
サッポロとアサヒは「同じ屋根の下」にいたこともあるので、さぞかし友好関係化と思いきや、さにあらず。現在最もライバル意識が激しいのはこの2社である。骨肉の争いとはよく言ったものである。

現在、1業種で参画企業が少ないモノの代表がビールとカメラのフィルムである。実はビールに関してはこういう時代背景があったのだ。まあ、もっとも戦後の酒類業組合法によってがんじがらめ、新規参入が困難だったという側面はあるが。
……などと業界の歴史書なんぞを読みながら1本の缶ビールをちびちび飲むオレであった。


2004/03/22 技術革新

うーん、やはり キッズgooではねられたか(挨拶

友人知人のサイトは軒並み全滅である。最近は引っかかる単語を書いてないはずなんだけど、おかしいなぁ……は!? もしかして電脳ぺんぎん師とかいうのが既にNGワードなのかもしれん。

さて、ついに時代はこんなとこまできた。
「今年中に製品化」東芝、ノートPC向け燃料電池
メタノールを燃料に電力を生成するものらしい。なにせ、ノートPC最大のネックはバッテリーのもちであり、その重量である。そりゃあ昔のPC-9801ノートなんぞは30分くらいしかもたなかったものだ。今は4-5時間くらいはもつようだが、それでも再充電にはコンセントが必要なわけで、こういう新しい技術によって行動範囲が広がるのは嬉しい限りだ。

まあ、記事にも書いてあるが最大の問題は法規制だ。何せメチルアルコールは危険物第4類アルコール類、危険等級II(ただし400リットル以上)に分類される。オレの所持する資格(*1)では「危険物取扱者 丙種」なのでダメ。大量に扱うには乙種が必要なのだ。まあ、筆記試験1日だけで取れる資格なんだけどね……。
まあ、個人で400リットルも扱うやつはいないと思うが、ショップの在庫とかで合計400リットルを超えると、資格者が必要にはなる。
あと持ったまま電車やバスにも乗れない。法令でそう定まっているのだ。

ならば次は核電池だ。
わずか数グラムの核物質で半永久的に電力を供給し、暗闇ではぼんやりと青白く光って、最近の光りモノトレンドにも対応。
ボイジャーで1回やってんだから実用化はできるはずだ……ところで火星探査機スピリットに秘密裏にNASAがプルトニウム核電池を搭載してたって噂は本当なんだろうか?

……あ、電子機器は放射線に極めて弱いんだっけ。

(*1)
オレは高校の時に資格を取ったが(工業高だったのだ)、無職になってハローワークに行くと、資格を習得するよう勧められるものの代表格で、「危険物取扱者 丙種」か「二級ボイラー技士」と相場が決まっている。なぜか? 両方とも1日だけの筆記試験(しかも合格ラインは60点以上だったかな?)で終わるからである。無論試験費用はかかるが、ハローワークがいくらか出してくれたような気がする。他に無料で資格を習得する方法としては、自衛隊に入隊するという方法がある。大型特殊の免許すらタダで取れるのだ。


2004/03/21 雪印と原田選手

謹んでいかりや長介氏のご冥福をお祈りしたい。オレはコメディアンとしてよりも俳優として、ミュージシャンとしての彼が大好きだった。

同時に、ほんの少しだけ嬉しいニュースもあった。
35歳の原田がV ジャンプの今季最終戦
スキーのジャンプは「分かり易い」ので好きだ。要は一番遠くまで飛んだヤツが1位なのだから。モーグルやらスノボはよう分からん。なんで途中で大股開いてジャンプせにゃならんのだ?
さて、原田雅彦は冬季五輪の都度、天国と地獄を行き来した選手で、あの浪花節体質がオレはたまらなく好きなのだ。
1992年のアルベールビルオリンピックに23歳で出場、夢中で飛んでラージヒルで4位。
1994年のリレハンメルでは「世紀の失速」で団体金メダルを自らの失敗で取り逃がした。
1998年の長野では団体金メダルを自らの大ジャンプで決めて大泣きに泣いた。
2002年のソルトレークシティでは20位と不調に終わり、彼の五輪人生は終わった。

折りしも2001年6月を皮切りに、彼の所属する雪印グループは集団食中毒事件、雪印食品の牛肉偽装事件が明るみになり、一社員として頭を下げて回る原田の姿は痛々しかった。雪印は最後の五輪に挑んだ看板選手に一番重い「荷物」を背負わせてしまったのだ。さぞ無念だっただろう。

ちなみに、彼の座右の銘は「雪印乳業社員」だそうである。
これを忠誠心か愛社精神ととれば簡単だが、これこそが彼が選手として立脚しているものなのだろう。「誇り」という言葉で片付けるには重いかもしれない。
広告塔として35歳にもなって大ジャンプをしている彼である。雪印はあの忌まわしい事件の記憶を風化させることなく、折につけ大いに省みて修すべきである。
原田選手には現役引退のその日まで、元気に頑張ってもらいたいと思う。


2004/03/20 「恥じて生きるより、熱く死ね」

ふむふむ、なになに……「男たちの挽歌」DVD-BOX、5月21日発売と……。
ヤベぇ、欲しいぃぃ! 1万6千円かぁ!!

「男たちの挽歌」、それは1986年に第1作が公開され、それまでジャッキー・チェン一辺倒だった香港映画に「香港ノワール」というジャンルを確立した記念すべき金字塔である。
裏社会でしか生きることのできない男たちが、友情のために引き金を絞り、哀しい銃声の挽歌を奏で続ける……まあ、そんな内容だ。

キャストには「紅のクールガイ」チョウ・ユンファ、スタッフには「香港のスピルバーグ」ツィ・ハークと「バイオレンスNo.1」ジョン・ウーがあたっている。
なにせあのジョン・ウーである。
ベタなテーマ曲が流れる中、スローモーション、飛び立つハト、そして教会である。「ミッション・インポッシブル2」んときも同じような演出があって涙したものだ。つまりはこの映画が原点というわけである。
いいんだよ。ベレッタM92Fから50発弾が出ても。拳銃の弾が切れて日本刀で暴れても。様式美ってもんがあらぁな。

オレは何回も見ているのでストーリーはそらで書けるのだが、あえて書かないでおく。まあ、いいから一度は見とけ、男なら。

ちなみに今回のタイトルは「男たちの挽歌」公開当時のキャッチコピーである。


2004/03/19 懐かしのマイナー映画

頼んでおいたMicrosoft セキュリティアップデートCDが来ていた(挨拶

タダでもらえるならゴミでももらうさ。あと「たそがれ清兵衛」は見ねばならんか>toyuune師

さて、近所の中古DVDソフト屋に行ったら「デーヴ」の中古DVDが800円で売っていたので購入して2時間ばかり鑑賞していた。実はこれ好きな映画なのだが、DVDは既に生産終了していたのだ。
タイトルが似ているが豚が主人公の映画ではない。大統領のそっくりさんが替え玉で大統領になるというやつだ。監督のアイヴァン・ライトマンは「ゴーストバスターズ」や「キンダガートンコップ」を撮った人。コメディ映画を得意としている。
面白いのはスタッフロール。チョイ役でぞろぞろと出てくる政治家、TVの看板コメンテーターやナレーターが全て「HIMSELF」、つまり実名で出ているのだ。オリバー・ストーンやアーノルド・シュワルツェネッガーも本名で出ている。よくやったもんだと思う。あと主演のケヴィン・クラインが最近は全く映画に出演していないのがちと気にはなるが。

一昔前はよく金曜ロードショーとかでやっていたものだが、こういうマイナー映画というのは思い出したように見るのが楽しい。
まあ、800円で2時間潰せるんなら安いもの……さ。

……しかしあの中古ソフト屋侮れん。PCエンジンの「はにいいんざすかい」(*1)と「マジカルチェイス」(*2)がアホみたいな値段で売ってたぞ。無論即確保したが。

(*1)
「はにいいんざすかい」1989年、フェイスが発売した「はにわが空を飛ぶ縦シュー」以上。いやマジで。一見バカゲーだが難易度は高い。続編は「はにいおんざろーど」という、やはりはにわが主人公の横アクションだった。

(*2)
「マジカルチェイス」1991年、クエストが発売した「ほうきに乗った女の子の横シュー」……なのだが、見かけとは裏腹にプログラム技術の粋と絶妙のバランスを持った名作。一時期は生産数が少なかったためにものすごいプレミア価格だった。名作ゆえに、後にWin95版やらゲームボーイに移植された。「コットン派」と「マジカルチェイス派」はそれこそ昔は取っ組み合いになったものである。


2004/03/18 旅への憧れ

なんか、惰眠を貪っている間に友人のみなづきゆうに師電脳ぺんぎん師HYPER98卿の3人が聖地巡礼に行っていたようだ。

何も雪の残る長野県まで行かんでも……などと書くと本気で怒られそうなのだが、親友の赤い水星卿は脱落してしまった模様>生きてるかー?

さて、かく言うオレも旅行は好きである。若い頃は仕事が一段落すると1週間の休暇をもらって、ふらりと出かけたものだ。
大荷物は必要ない。ディパックに現金と時刻表とデジカメで充分である。泊まる所は駅に着いたら観光案内所に駆け込むか、タクシーの運転手に聞く。予定も立てずにでかけるのだ。
で、デジカメがなんで要るかというと、駅前などにある案内地図を撮影するのだ。実はオレは極度の方向音痴なので時折地図を参照しないと完全に迷ってしまう。都内ならともかく地方都市では迷ったら致命的だからだ。

……変な話を思い出した。かつて北海道に旅行に行った時、とある駅で降りて周囲を夜まで散策して電車に乗ろうとしたら、次の電車は朝5時とかいうのがあった。こりゃえらいことになったと近くで農作業をしていた老夫婦に「近くに宿はありまへんか?」と聞いたところ、「そんなものはない」との答え。
その瞬間は、さすがに青くなったものだ。結局その老夫婦のご好意で家に泊めてもらうことになり、翌日農作業なんぞを手伝ってお別れしたものだが、これなどはパック旅行では決して体験できないことだ。

もう一度そんな風に旅行してみたいと思うのだが、今現在、なかなか決断できないということはオレが歳をくったということだろうな、多分。


2004/03/17 マ大佐的ヒットニュース

たかがVICTORINOXにUSBメモリがついただけで、なぜこんなにも物欲が高まるのか?(挨拶

男とはつくづくガジェットに弱いものだと再認識。そうは思いませぬか>Venちゃんさん

さて、ニュースを漁っていたら面白いものを見つけた。これである。
砂漠は厳しかった――完走ゼロで終わったロボットカーレース
……DARPA(*1)なんて組織が未だにワケの分からんモンを開発して税金の無駄使いをしとったのか。
そういえば、DARPA主導で開発に着手したという触れ込みで、10年くらい前の「Soldier Of Fortune」誌に書いてあった、強化外骨格を装備させるサイボーグ兵士はどこへ行ったんだよ?
早い話が兵士一人の筋力を増幅させれば携行武器弾薬の量が増えるし、追加装甲とパワーアクチュエーターを兼ねるフレームがあれば、走る速度も増えるという……要はMS少女

あー、そういう場合は明貴美加あたりにデザインさせるがよいかと思う。
兵器としては物議をかもし出しそうではあるが。

(*1)
DARPA(だーぱ)、Defense Advanced Research Projects Agency、「防衛高等研究計画局」の略。米国防総省の研究・開発部門。1972年にARPAから改称されて現在の名称になった。インターネットの原形となったARPAnetの開発で知られるが、最近はロボットがお気に入りのようである。
しかし、さすがは情報公開のアメリカである。ウェブまでちゃんとあった。末尾がmilなのがイカス。


2004/03/16 橋を渡って

オレのアパートの裏には川があって、比較的大きな橋が架かっている。歩いて1分という距離だ。
引越し当初はあまり気にしてもいなかったが、一応二級河川で幅も広い。最近は「あの川、増水したらヤバいなぁ」と呑気に構えている。

今日は天気がよかったので川べりをのんびりと散策していた。
ぽてぽて歩いていくとスーパーのLIFEがあったので立ち寄って買い物などをして、また橋を渡って帰ってきた。

思うに橋という建造物には不思議な魔力がある。
架橋工事に携わった人々が、後になって自分が作った橋を見に来る、という話も聞く。橋という建造物は人の利便に寄与する最も大きなものである。それに従事したことが、人に矜持を抱かさずにはいられないのかもしれない。

人生を旅路に例えたのは徳川家康だが、彼の例えに従うなら、橋を渡る行為とは人生において何を意味するのだろうか?
時に、人生には戻れる橋と戻れない橋に遭遇する瞬間があるのかもしれない。

……さて、オレは次に何の橋を渡るのだろうか?


2004/03/15 シリーズ戦国:鬼島津、海の向こうじゃ鬼石曼子

靖国神社には大村益次郎の銅像がある。そして皇居外苑には楠正成の大騎馬像が立っている。
あの像の格好良さに匹敵するのは島津義弘騎馬像なのだが、こいつは鹿児島県日置郡伊集院町、JRの伊集院駅の前にある。東京駅から仮にJRのみを使って行こうとすると15時間以上かかる。壇ノ浦なんか目じゃないのだ。

そんなわけで島津義弘である。年老いてからは維新斎と名乗って悠々自適だった彼も、若い頃は島津家の九州統一のために戦場を往来する日々だった。
だが、彼が最も有名になったのは、関が原の戦いだったし、文禄・慶長の役だったりする。
「鬼石曼子(グイシーマンズ)」文禄・慶長の役の時、義弘の事を現地の人はこう呼んだ。「グイ」は「鬼」の中国語読み、「石曼子」は「島津」を中国語の音であてたもの。「鬼島津」という意味である。

「壬申倭乱」、要は秀吉の朝鮮出兵のことを向こうじゃこう呼ぶそうだ。何せ歴史の教科書の大半がこの話題に費やされているとか。
まあ、そんな中で韓国の英雄、水軍統帥使の季舜臣は水上で日本軍を破ったが最後は戦死している。狙撃したのは島津義弘の隊の者だったと言われる。
退却戦で包囲されながらも最後っ屁をかましていくところが武将としてのしぶとさであったのかもしれない。

まあ、義弘も戦歴をひっくりかえせば、相良氏の赤池長任(あかいけながとう)やら「天正の楠正成」志賀親次(しがちかつぐ)に負けたりしている。勝利の後、彼らは「あの義弘に勝った」と喜んだのである。凡百の将に勝っても自慢の種にはならないのだ。

オレは数年前に九州旅行をして実際に騎馬像を見てきたが、負け戦であっても颯爽と戦場から立ち去っていく――彼にはそんな雰囲気が漂っていた。


2004/03/14 まあ、なんというか……

二日酔いで日記を書きたくない日だってあるのだ。

またまたDaim師が上京してきたので、今日は徹底的に付き合ってもらう、とばかりに秋葉に出撃。
途中でみなづきゆうに師とばったりお会いしたりしながら、帝都を徘徊。
その後オレは酒を飲んで狼藉の限りを尽くしたとさ……。


2004/03/13 せめて殉職といってやれ

なんか異様にアクセス数が伸びてるなと思ったら……そういうことか!(挨拶

壇ノ浦までの旅費は各自負担だ。
第一、山口県下関市である。行ったところで関門橋と記念碑がある程度である。だからこそ決戦の場としてはふさわしい……のか?

さて、ちょっと古いニュースになるのだが、イラクで亡くなられた外務省関係者の車両が日本に搬入され、検証されることになった、というのがあった。
改めて、奥参事官、井ノ上書記官ご両名の冥福をお祈りするとともに、奇妙さを感じずにはいられない。

それはマスメディアがご両名のことを「死亡」「殺害」という言葉だけで片付けている奇妙さである。
奥参事官や井ノ上書記官は、私的な物見遊山の最中に遭難して落命したのではなく、復興支援関連国際会合への参加という職務の最中に襲撃され落命したのである。本来は「殉職」と伝えてしかるべきではないのだろうか?

外交とは場合によっては敵地に乗り込んでいかねばならない、命懸けの仕事なのである。
日清戦争前後の陸奥宗光(むつむねみつ)を見よ、爆弾テロで右足を失いながらもなお外交官を続行した重光葵(しげみつまもる)を見よ。
時に外交官は国政を左右させるものである。

まあ、戦後外務省の腐敗ぶりを見ているとそういうこととは無縁のようにも思えるが、せめて死者に対しては名誉を与えてやるべきなんではないかと思う。


2004/03/12 マ大佐の選書

なんか、Aopenもついに美少女キャラクターを採用だそうで……。
ASUS日本代理店の素沢シーナといい、日本ギガバイトのギガバイ子といい、最近の代理店は何を考えとるのだ?

まあ、それはさておき、久々に読書で一日を費やした。まあ、この日記でも多くの書籍を参考、引用させてもらっているが、オレのお勧めはこんなとろこである。

・田宮模型の仕事/田宮俊作/文春文庫
昨日もネタに使わせてもらった、模型メーカーのタミヤがいかにして大きくなったかを社長自らが綴ったノンフィクション。
利益重視を避けるため、株式上場もせずに、好きなものを作る。そのためにはあらゆる苦労を惜しまない。まさに「男が惚れる男の仕事」の一代記である。

・たった一つの冴えたやり方/J・ティプトリー・Jr./ハヤカワ文庫
古典SF短編の名作。インパクトのあるタイトルとは裏腹に悲しく、そして温かい物語。
主人公の少女が絶望的になった状況下で、「これが、たった一つの冴えたやり方、OK?」と言って身を捨てて挑んでいく。
短いものなのですぐ読み終わると思うが、読後色々と考えさせられるはずだ。

・山、動く-湾岸戦争に学ぶ経営戦略-/ウィリアム・ガス・パゴニス中将著/同文書院
原題「Moving Moutain」、オレが訳本が出るのをひたすら待った本である。
湾岸戦争の当時、のべ米軍55万余の兵員と700万トンの物資を地球の裏側まで運んで、また全部持って帰ってくるという大事業を行った、兵站部門担当官の著書。
戦争論や派手な戦場ドキュメンタリーではなく、地味な後方支援(ロジスティクス)のみを扱った珍しいものだといえる。
ミーティングが行き詰まったらみんなでポップコーンを食ったりという、「集団で何かをするとき」音頭はどうやってとったらいいか、ということに関して、多くの教唆を与えてくれる本である。
ただ、サブタイトルの通り、なんでもかんでも経営戦略に結びつける日本ビジネス界のバカさ加減にはうんざりであったが。

だいたいこんなところか。
まあ、最近は財政難で新しい本を買うことが困難になってきているもの事実なのだが……。


2004/03/11 分解は男のロマン

toyuune師がSUNの機械を購入されたようだ。
あと、toyuune師には特権を与えてあるので、好きにしてよし(謎)

SUNといえば、その昔、宝くじで一発当たったら「DRIVINのクラスタサーバを買って体育館か倉庫を借りてバラバラにして写真取る」というたわ言は言ったことはあるが……。

結局自分で組み立てられなくなって出張サポートを呼ぶことになり、「なんてことをしてくれたんだ」と技術屋に怒られるという、「タミヤ模型のポルシェ」(*1)のような結末が予想できるので、このプランは捨てるとしよう。
なにせ、とあるPCをバラバラにしてみたはいいが、再組み立ての際にパーツがはまらず、PDFファイルのマニュアルを見ながら頭を抱えたことがある。
しかし、筐体構造のいいヤツだと、外側だけ見てるだけでは飽き足らなくなって、ついドライバーに手が伸びるわけだ。
かくして、自分のものではないドリームキャストやMicrosoft X-BOX、ゲームボーイアドバンスなどはオレの欲求の犠牲になったものである(自分では買わず、他人のをバラすところが罪深い)
いやー、X-BOXはバラすのが大変だった。あの無駄にデカイ筐体の内部は、ほとんどがCPUの冷却用と思われるヒートシンクだったしな。

……そんなわけで我が家にはトルクスドライバーやら三又のドライバー(携帯電話やゲームボーイなんかを閉じている変なネジ用のやつ)があったりするのだ。

(*1)
タミヤ模型のスピリッツを語る上で避けて通れない話題。
1976年、「ポルシェ934ターボ」を模型化するにあたり、実寸計測ができなかったため、ベースとなったポルシェ911の実車を買ってバラバラにした。
結局自分達で組み立てられなくなり、ポルシェの整備員を呼んで元に戻してもらった。組み立てには3日かかったが、バラバラのポルシェを見た整備員は「あんたたち、なんてことをしてくれたんだ」と文句を言ったそうである。
「わからなければ買ってバラしてみればいい!」という発想は秋葉ジャンカーの血脈に通じるところがある。


2004/03/10 やはり限界はある

最近の流行で言うならば、「Zガンダム」のティターンズ=新撰組? という図式が成り立つのかもしれない。早い話が佐幕攘夷派なわけだしな。ってことはジャミトフ=近藤勇? んなバカな。

まあ、そんな与太はともかく、たまには光合成もせんといかん、と和泉師からメールで忠告を受けたので、外出してきた……ThinkPad 600Eを抱えて。

結果:重すぎ
まあ、オレが軟弱になったのかもしれんが、あんなもの膝に乗っけて使用するのは無理というものだ。よくも昔のビジネスマンは根性で持ち運んだものである。
その昔、EPSONから「ラップトップ」という名乗りながら、とても膝に乗せることなど不可能なPC-9801互換機があったことを思い出した。
あれなどは時代劇でよく出てくる江戸時代の拷問、「石抱き」を彷彿とさせる。ギザギザの板に正座させて座らせ、膝の上に平たい石を置く、自白しなければ石の枚数を増やすあれである。

やはり某氏から使っていないLibretto L1を強奪する時期に来たのかも知れない。


2004/03/09 茶漬けが好きかも

狂したか、BIGLOBE(挨拶

まあどうせ、企画を持ち込んだのはインチャネだと思うけどな……。

さて、篭城していると当然食事は自炊ということになるのだが、やはり残り物のご飯をお茶漬けにするのが好きである。というわけで今食ってるわけだ。
江戸時代の書物、「翁草」(*1)で神沢杜口(貞幹)も、「茶漬けは聖賢も好むところ」と述べている。
まあ、普段は濃いお茶と漬物、あるいは「お茶漬けのもと」で済ませるのだが、新鮮な鯛の薄作りや、鳥のささ身を並べて熱いだし汁を張り、ワザビと刻み海苔を乗っけて食べるなどというのは贅沢だがうまい。

で、よく戦国軍記ものなんかでよく出てくる「湯漬け」はまた微妙に異なるのだ。信長も桶狭間に出撃する前、湯漬けをかっこんで行ったそうだ。
当時の米というのはもちろん玄米であるし、それを蒸してあるので強飯(こわいい)といってかなり硬かった。それをみしみしと食うのだから、昔の人間のアゴは頑丈だったのだろう。
だが、それだと「すわ合戦」となった時に急いで食べることができないので、湯で柔らかくするしかないのだ。現代でいうところのゼリー状カロリー補給剤で出撃するような感覚である。

それを考えるとお茶漬けもかなり贅沢品だと思える。事実、国民全員が白米を口にできるようになったのは1900年代も半ばになってのことだったのだ。
米の増産に血道をあげた結果、過剰生産となって政府の方針が一転、減反へと向かうのはまさに歴史の皮肉といえよう。

茶漬け一杯をすすりながら、あれこれと考えることができるのだから、まこと、この世は面白い。

(*1)
翁草(おきなぐさ)、安永元年(1772)刊行。京都奉行所与力に勤務し、40歳でリタイアした神沢杜口(かんざわとこう)が、第二の人生の日々に記した随筆風の百科全書。
様々な書物をもとに、内容別に分類してまとめたもの。範囲は地歴から文芸、有職故実、宗教など多岐に渡る。また当時の京都でおきた事件に関してもまとめている。
「人生之皆芝居也」と先進的なことも述べられており、余生をどう過ごすかの指針として、中高年になったら一度は読んでおくべきである。ただし、ヒマに任せて書かれているので全200巻もある。


2004/03/08 便乗してオレも書いておこう

シャッター下ろせ!! 以降の指揮は戦闘ブリッジへ!(挨拶

ちなみにガンダムの世界、宇宙世紀80年代後半からの連邦の船は通常ブリッジと船殻内部に設けられた戦闘ブリッジの2つがあるのだ。
一年戦争で目立つ場所にブリッジを作っちまったため、モビルスーツに狙い撃ちされたからである。

……というわけで自宅篭城中である。

今更ながらに書き物なんぞをしている時のポイントを見つけた。それは……LANケーブルを抜くこと。
調べ物をしていて、つい面白そうなサイトにぶち当たり、数時間を無駄にした、というのはよくあることだ。
赤い水星卿とて、オレのサイトを読みふけっていて、打ち合わせに遅刻したという前科持ちであるからオレだけであるまい。
……まあPCがスタンドアロンでしか動いていなかったPC-9801時代を思い出すが。

さて、時々メールなどをいただくが、「マ大佐さま」と書いてくる方が結構多い。無論それにどうこう言うつもりはないのだが……オレの場合は「マ」が名前で「大佐」が階級。
「階級呼称+様」という形式は日本語にはないので、様は不要。どうしてもつけるんであれば「殿」になるんだが、背筋がカユくなるのでヤメレ。
あと「閣下」は准将以上の将官につける敬称なのでこれも間違い。オレは万年大佐なのだ(それでも高位なんだけどな)
少なくともオレ宛てにメールを出す場合は一見さんでも敬称略で全然OKである。身内は特にな。
「マ大佐へ」の一言でよいのだ。怒ったりはせん。


2004/03/07 故人の冥福を祈りつつ

訃報が続けて入ってきて人の儚さを思うオレである。

まあオレは「死ぬまで不死身」の男ではあるが、知人のそういう報に触れるとさすがに考え込むこともある。

人は生まれてくる場所も時間も選べない。
そして人は死ぬ場所も時間も選べない。
でもせめて死に方くらいは選べるはずだ。
死に方とはつまるところ生き方の裏返し、総決算だと思うのだ。

そのためには必ず訪れるであろう別れを恐れるより、誰かと出会えたことを素直に喜び感謝し、一日一日を大切に生きたいものだ。

……あ、こういう感慨を持った時に人は宗教に傾倒するのか。

空へ逝く 次は我かと 思いつつ
 ――マ大佐詠


2004/03/06 ネットゲー運用の難しさ

米デル・コンピュータのサイトではマイケル・デルCEOの壁紙がダウンロードできる(挨拶

ワイシャツにネクタイ姿で腕組みをして「マイケル・デル」とやるのは一種の極めて寒いギャグとして、一部では有名だ。CEOを勇退するようだが、功なって身を引くとはうらやましい限りだ。

さて、「女性向け」ネットワークゲームの女神幻想ダイナスティアがえらいことになっていた。
ITmediaの記事を読むと運営会社が撤退してしまい、有志による運営となっている模様。故・大川功の遺産であるisao.netからも離れたようだ(運営をしていた山栄有限会社も所在が不明となっている)

ちなみに、クライアントプログラムにかかわっていたのは「有限会社やねう企画」の「やねうらお」で彼がラグナロクオンラインにおけるLOKIサーバ内の”ある意味超有名な”女プリースト「まいにちあゆみ」というのは周知の事実。
でもって「やねうらお」ってのはちょい前にコナミのビートマニアのクローンソフトのBM98ってのを作ってある騒動を……いかん、これ以上書くとオレが消されてしまう。まだ命は惜しい。

で、なんでこんな話を持ち出したのかというと、あるルートでβテストの話が来たことがあったからだ。かなりやる気がなかったので「んー、運営さえ間違わなければいけるんじゃないっすかぁ?」と適当な返事をしたことは覚えている。

まあ、直接の原因は多々あっただろうが、ネットワークゲームに必要なものは、やはり潤沢な資金ではないだろうか。とにかく金食い虫なのだ。
回収は数年のスパンで見るべきではないだろうか。

目先の「プレイ人口5万人」とかに安易に飛びつくと痛い目に会うという、いい教訓かもしれない。


2004/03/05 角栄に及ばずとも

なんか昨日は赤い水星卿Daim師が我が家にやってきて、寝起きのオレは襲撃されたわけだが。
まあ、歓談していると赤い水星卿が空腹を訴えたので、ヤキソバなんぞを軽く作ってふるまってやった。その時、ふと故・田中角栄氏のエピソードを思い出した。

角栄の功罪についてはやがて歴史が再評価する時が来るだろう。不出来な娘はどうでもいいが。
彼は在任中、土建屋の営業方法を国家運営に持ち込んで一定の成功を収めたのだから驚く。
「コンピューター付ブルドーザー」「闇将軍」などと呼ばれ、戦後最大の傑物宰相であった一方「悪の華」でもあった。
悪党、大いに結構じゃないか。どうせ物事には裏側が必ずあるのだ。
清廉潔白のみを売りにして毒にも薬にもならなかった村山富一なんぞよりよほどマシである。「汚し」と知りながらも国民のためになることをやってくれたほうがオレはいい。

悪党といえば、25年も政治家をやっていながら一度も閣僚になったことのない「ハマコー」こと浜田幸一氏(公人から私人になったので敬称をつけるべきであろう)も政策云々を抜きにしてオレは大ファンであった。
特に「自民40日抗争」(*1)の際、自民党両院議員総会で長引く抗争に業を煮やしたハマコーが、反主流派の築いたバリケードを撤去。居並ぶ自民党の有象無象に「この国の未来はお前達のものじゃない、子供達のものだ!」と叫んだのは子供心にテレビで見て感動したものだ。

……何の話だったっけ? そうだ。
その角栄は自宅に必ず食事を用意させていたそうである。曰く、
「この角栄のために働いてくれた人がお腹を空かせて家に帰る、そんなことはあってはいかん」
だそうで、運転手であろうがなんであろうが、角栄の下で働いていた人間は一日の終わりに必ず角栄宅でメシを食っていったそうな。
なかなかできることではないと思う。

とかく田中角栄という政治家は金を集めること、そして人心収攬が巧みであった。彼の度量の大きさを物語るこんなエピソードがある。

ある人物から100万円の金策を頼まれたとき、田中角栄は黙って300万円を渡し、「1.100万で借金を返せ、2.100万で家族や従業員にうまいものを食わせよ、3.100万は貯金しておけ、以上。返却は一切無用」とのメモを入れたという。

こんなことをされれば、命がけで彼のために働くであろう。
ただ、その300万円が党の金庫からパクったのか、企業からふんだくったのか、土地転がしで儲けたのか、つい疑いを抱いてしまうところが「闇将軍」の「闇将軍」たる所以であったのだが……。

まあ、結論としては、オレもせめて自宅に来た誰かに、常にメシくらいはふるまえるようにはなりたい、と思うのだ。

(*1)
40日抗争(よんじゅうにちこうそう)、昭和54年9月7日第一次大平内閣が一般消費税の導入を巡り、解散、総選挙となった。俗に言う「増税解散」である。
しかし、その後の総選挙に敗れた自民党では、敗北の責任を大平首相が負うべきとの風潮が強くなり、大平首相続投支持の主流派と福田赳夫氏を推す反主流派が抗争。昭和54年11月6日衆議院の首相指名投票で大平首相が再選された。
この間の自民党内の「お家騒動」が40日間に及んだことからこう呼ばれる。ハマコーがバリケード撤去に出たのは11月1日のことだった。


2004/03/04 それはいいから金クレヤ

今日は忙しくなると思うので今のうちに(挨拶

「フラッシュメモリー開発の元東芝社員、10億求め提訴」だそうで……だから「悪しき前例」を作るなとあれほど……。
青色LEDの判決が出てからというもの、こういう類似形が多い気がする。

オレも経験があるが、企業に入る時には「就業中に行った発明、登録した特許は会社の所有となる」的な誓約書を書かされるものである。
まあ、オレなどが登録するようなものは、実用新案に毛が生えていたようなものであるから、どちらかというと、ライバル社に対する特許権の防御の意味合いが強かった(つまり、類似のものが市場に出現した際に特許侵害によって販売差し止めの請求とかをするのだ)
で、特許出願の際に出るのは報奨金3000円。これで呑みに行ったものである。

それからすると昨今のは利益の一部をよこせ、という、ややもすると強引な論法だ。まあ、企業体がそれらの発明者に対して、充分に報いなかったことのしっぺ返しだろう。
オレとて呑みに行った代金3000円の特許が後で会社に莫大な利益をもたらしていた、と知ったら金よこせと言うかも知れんが、名誉のみをいただいて満足するのも男の美学である。

成型炸薬弾(*1)を作ったノイマン教授は戦後「金クレ」とは言わなかったぞ……もっとも兵器開発でなかったら間違いなくノーベル賞もんだと言われたので、その言葉だけで満足していた節がある。

ロマンに酔う技術屋はいつの時代も貧乏ってことか……。

(*1)
成型炸薬弾(せいけいさくやくだん Shaped Charge)、HEAT(ヒート、High Explosive Anti Tankの略)とも。生国ドイツでは「ホローチャージ弾」といった。
現代戦車の弾頭はほとんどこれ。モンロー効果・ノイマン効果によって運動エネルギーではなく熱エネルギーで装甲版を貫通する弾頭。
内部には逆円錐状に成型された炸薬が充填されており、この炸薬の炸裂が円錐の中央部に集中する事によって、超高速・高熱のジェット噴流を生み出す。
モンロー効果とノイマン効果については下記参照。

モンロー効果
マリリン・モンローの映画「七年目の浮気」にあった、ビルの谷間などで女性のスカートが風でまくれ上がること……ではない。
1880年代、アメリカ合衆国のモンロー博士が発見した「火薬の爆発ガスによる熱エネルギーが鉄板を貫通する」現象を元に実験を重ねた結果、炸薬の前端部を凹状にすると、火薬の燃焼ガスが凹底中央部に集中し高速噴流となって噴出することが判明した。
鉄筋マンションとかでガス爆発が起こると、窓ガラス等の開口部から爆風が前方に出て近所に大被害をもたらすのもこれ。

ノイマン効果
1920年代、ドイツのノイマンによる。弾頭内の炸薬に円錐形(漏斗状)のくぼみをつけることでモンロー効果が最大になること、また漏斗状の部分に金属の内張りをすると、メタルジェットによって破壊力が増すことを発見した。
現在、海底ケーブルなどの切断回収などは成型炸薬を用いて行われている。平和利用にも貢献しているのだ。


2004/03/03 不況は困ったもんだ

自宅に篭城中(挨拶

ちょっとだけ覚醒したのでお仕事らしきものを開始。一円の金にもならないが、リハビリを兼ねているのと、あとは将来への布石ということで。

さて、ゲームメーカーのデータイーストが破産していたことを最近知った。どうもやはり浦島太郎化が酷いようなので、コンピュータ関連企業の信用情報などを漁っていると……。

>2003/6/30 企業の倒産情報
>トライコーポレーションほか1社 コンピュータ周辺機器販売

……ほか1社というのはサプライ系の製造販売をしていたJUSTYだった。
あらら。実はオレの愛用のキーボードはJKB-109B、JUSTY製である。一枚800〜980円で売られていたものだ。高級ブランドであるFILCOのメカニカルキーボードなどに背を向け、すぐにでも調達できる手軽さとチャチさが気に入っていた。無論キーボードの掃除なんぞしたこともなく、汚れたら使い捨てだった。
そんなわけで押入れには在庫があるのだが、今日調べてみたら、予備があと2枚しかないのだ。使い捨てはもうやめよう。

基本的にキーボードには指を合わせる人間なので、まあ、なんでもいいわけだが、手に入らないとなると急に焦りを感じる。
一応こんな安物でも大量の文章を売っていくばくかのお金にはしていたわけであるから、愛着があるもので、昔、富士通の親指シフトキーボードに固執していた人間の気持ちが、今なら理解できる。


2004/03/02 ここの日記のスタンス

ところでBlogってなに?(挨拶

Columに1件追加。赤い水星卿が読みたがっていたため、大昔のテキストを焼きなおして収録。ここの1か月分の日記に相当する文章量なので重いかも。
ところでお前ら、百式はδガンダムだって知ってたか?
νガンダムがビームサーベル二本あるって知ってたか?
……そんな内容だ。

しかしあれだ。だんだんジャンルがわけわからん状態になってきているので(守備範囲が広いというより単なる無節操だ)、また不思議な単語で検索エンジンから飛んでこられても困ってしまう。
もはや初めてウェブを公開した時のようにReadMe!でHit数を稼ぐことに血道をあける気もない。かといって検索ロボットをブロックするのも気が引けるという小心っぷりである。
まあ、ここの存在を知っている人間がたまに目を通してくれれば、書いているほうとしてはそれで本望である。どこにリンクが張られているかもチェックはしていない。のんびりと好き放題、ダラダラと書いていくつもりだ。

それはさておき、朝飯を食いながら「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」のレーザーディスクなんぞを鑑賞するとしよう。Columをまとめていたらなんか急に見たくなったのだ。


2004/03/01 月の初めに雪は降る

ア、アカデミー賞が……(挨拶

朝方、やけに冷えると思って起きだしてみたら、なんと雪が降っていた。東京で見る雪は何年ぶりだろうと感慨も深くある。
雪が山ほど降る地方出身者としては別に1mまでの積雪は積雪とは言わんのだが、関東じゃ15cm積もったらそれこそ交通機関は全てマヒ状態である。そういえば上京してきて間もない頃、10cmくらい積もったなぁ。

さて、ちょい前にさいちゃんに話をしたことがあるのだが、ウチの田舎にはアイスバーン用のスパイクが付いた革靴があるのだ。ウソのような本当の話である。スパイクは収納式で必要の無い時は引っ込める。 あとはスタッドレスタイヤの技術を応用した、発泡性ゴムの靴底で滑りにくい革靴というのも売っている。
……素直に長靴かブーツを履けばよいのでは? と無粋なことを言うヤカラは雪の日に歩道橋から滑り落ちるであろう。
あと郵便局の配達用のスーパーカブにはスパイクタイヤがある。無論後輪だけだが冬場の配達というのはあれでいてなかなか大変なのものなのだ。
……素直に車を使えばよいのでは? と無茶なことを言うヤカラは雪の日に電車が動かず遅刻するに違いないと予言しておく。

田舎にいた頃の経験では、最も雪が降ったのは2月になってからだ。最後の寒冷前線が最後の仕事とばかりに一晩でとんでもない量を落としていく。
昭和38年の「サンパチ豪雪」と昭和56年の「ゴーロク豪雪」がウチの田舎では有名だった。昭和56年の時はオレも体験したが、なんとなんと一夜で1m以上も積もった。家の出入りを2階からやったものである。最近はあまり田舎でも雪が降らないと聞く。これも地球温暖化の影響なのだろうか。

チラチラと積もる気配もあまり見せずに降る東京の雪を眺めながら、今夜は鍋物にしようと思うオレであった。