プロジェクト・エデン特別篇

帝国最大の作戦

 

                             第四章

  目の前には、豪奢に彩られた空間が広がっている。

  臙脂色の絨毯の上を、フェンリルはゆっくりと歩いていた。

  心なしか、その足取りは重い…。

  足の赴く先には荘厳な玉座があり、神聖なるミレニアム帝国の

皇帝が彼を待っているはずなのに…。

  一般の国民では拝謁すら許されず、拝顔の機会は至上の喜び

となろうものである。事実、皇帝直々に招かれるフェンリル将軍

をうらやむ官僚たちの声も多い。

  「さすがはフェンリル将軍。皇帝陛下直々に新たな計画の実行

を命じられるとは、まことにうらやましい限りです」

  「我々もぜひ、皇帝陛下から素晴らしい作戦を授けられたいも

のですなぁ…」

  「いずれはフェンリル将軍に代わって、私が皇帝陛下のお言葉

を賜る立場となってみせる!」

  羨望、誹謗、尊敬、嫉妬、畏怖…。様々な人々が、様々な思い

を込めて、そのように噂しあっている。

  しかし!

  フェンリルにしてみれば見当違いもいいとこである。

  (代われるものなら、いつでも代わってくれるわ…!)

  そう叫んでやりたいのを我慢して、フェンリルは統帥府や宮廷の

人間たちの言葉を聞き流してきたのだった。 

  (こんなロクでもない計画を実行させられる身にも、なってほしい

ものよ…)

  心の奥でつぶやきながら、フェンリルは玉座の前へと進んだ。

  その視界に、煌びやかな衣装を纏う皇帝の姿が入った。

  (やれやれ…)

  気づかれないように小さなため息を一つ落とすと、フェンリルは

ゆっくりとした動作で跪き、静かに頭を下げる。

  「皇帝陛下。フェンリル、お召により、参上いたしました」

  「おお、待っておったぞ!」

  フェンリルとは対照的に弾んだ声が上から降りかかる。

  「ささ、そう固くならずともよい。もっと、近う寄れ」

  皇帝がフェンリルを誘う。

  もし、ここが時代劇の代官屋敷なら、皇帝を悪代官とし、フェンリ

ルを売り飛ばされた町娘と想定しても成立するようなセリフだ。

  もっともフェンリルが皇帝に手込めにされるシーンなど、想像も

したくはないが…。

   「はっ。失礼いたします」

  フェンリルは短く答え、皇帝の前へと進み出た。

  「早速だが、例の計画はどうなっておる?」

  「プロジェクト・エデンの事でございましょうか?」

  「いいや、それよりもプロジェクト・タコヤキのことだ!」

  「あ、そちらでございましたか」

  フェンリルはわざととぼけたように答える。なるべく、その話題に

触れたくないというのが本音なのだ。

  「タコの再生はうまくいっておるのか?」

  急かすように皇帝が聞いてくる。

  「…はい。帝国生化学研究所のシンドゥリ博士を中心としたプロ

ジェクトチームが昼夜敢行で作業を進めております」

  「も、もう完成したのか?」

  「いえ。遺伝子情報の抽出と解析はほぼ完了しましたが、いまだ

に解明できていない生態もありまして…」

  「生態など、どうでもよい。要は美味なのかどうかだ!」

  「…皇帝陛下。このプロジェクトは、失われた20世紀の生物を

復活させるという科学的観点に基づいた計画だったのでは?」

  フェンリルが皇帝の言葉の揚げ足をとるように、イヤミをこめて

問い返す。

  「お、おお…、おお、そうだとも。あ、当たり前ではないか!」

  皇帝は慌てたように言う。

  「皇帝陛下…?」

  「そ、そうだ。そうなのだ。このプロジェクト・タコヤキこそ、人類の

失われた遺産を取り戻すための崇高なる計画なのだ。そ、そうだ、

それをわ、忘れてはいかん!」

  (さては、完全に忘れていたな…)

  フェンリルは皇帝の様子に、そう心の中で舌打ちした。

  「それだけ大事な計画ゆえ、慎重に慎重を重ねて作業を進めて

おります。今しばらく、お待ちください」

  心の奥の怒りを抑えて、フェンリルはそう答える。

  「う、うむ。大事な計画だということは判っておる…。だがな、余

はもう待ちきれぬのだ。作業を急がせてくれ」

  「…御意。博士たちには、作業を急がせます」

  「フェンリル将軍、期待しておるぞ!」

  皇帝の言葉に、フェンリルは黙って一礼を返した。

  (何を期待しておるのやら…)

  頭を下げたまま、フェンリルは静かにため息をつくのだった。

 

  一方その頃、帝都の東部郊外にある第21研究地区の「帝国生

化学研究所」では…。

  「うーむ…」

  プロジェクト主任のシンドゥリ博士が、頭を抱えていた。

  「博士…」

  横で一緒に悩んでいるのは、若き女性である。

  副主任のペイオス助教授であった。

  「やはり、どう考えてもおかしいかな?」

  シンドゥリがペイオスに問いかける。

  「はい。どう考えても、おかしいと思います」

  「とは言っても、単純にクローン再生するのではなく、色々と遺伝

子操作もしなければならなかったからなぁ…」

  「確かに、これぐらいが生体工学的には操作しやすいですが、そ

れにしても無理があるのではないでしょうか?」

  「別にこれでもいいと思うが…」

  「本当にそう思ってるんですか?」

  ペイオスが呆れたように聞き返す。

  「い、いや、まぁ、大は小を兼ねるとも言うし、大きいことはいい事

だとかいう格言もあるし、ほら、ねぇ…」

  「現実逃避なさってるんでしょ?」

  「・・・・・・・・・」

  シンドゥリは黙って、うなずいた。

  ペイオスが、フゥ…と深くため息をつく。

  「およそ、10メートルぐらいかな?」

  「いえ、20メートルはあるのでは…」

  ペイオスに言われて、シンドゥリは眼鏡を外して表面を白衣の袖

でぬぐった。そして、もう一度かけなおす。

  「やっぱ、大きすぎるかね?」

  「大きすぎると思います」

  ペイオスがキッパリと答える。

  「やっぱりねぇ…」

  そうボヤきながら、シンドゥリは目の前にある巨大な円筒形のガ

ラスケースを見上げた。

  頑丈な硬質ガラスの向こうに、ウネウネと触手をくねらせた醜い

怪物の姿が浮かんでいる。特殊な培養液に漂うそれこそが、彼ら

の創り出した「タコ」であった。

  ただし、全長20メートルを超えているような気がする。

  「小さくは出来なかったのかなぁ」

  自分たちの創った「タコ」を見上げながら、シンドゥリがつぶやく。

  「そうですね…」

  ペイオスが手にした研究書類のページを繰りはじめる。

  「やはり、繁殖力を強化するのに脂肪率を上昇させたことが一番

の原因ですね。それに火炎放射能力を付加しなけらばならなかっ

たので、内臓器官にメタンガスの発生機能を備えたのも巨大化の

原因と思われます」

  書類の記述を指でなぞりながら、ペイオスは答えた。

  「色々と加えることに夢中になりすぎて、大きさまでは頭が回らな

かったなぁ…」

  「普通は、途中で気づくと思いますが…」

  ペイオスがボソッと言う。

  「ん? 何か言ったかね?」

  「いいえ、別に」

  コホンと咳払いしつつ、ペイオスは目をそらすのだった。

  一緒に作業をしてきた彼女にも、十分に同じ事が言えると思うの

だが…。

  「とにかく、このままでは将軍に見せられんな」

  シンドゥリが頭をボリボリとかいた。

  「でも、博士。実は本当のタコという生物も、これぐらいの大きさ

だったりして…」

  ペイオスが冗談めかして言うと、

  「アホか。こんな巨大な怪物が、世界中の海でウジャウジャと放

牧されてた日にゃ、とっくに人類は滅んでおるわい」

  シンドゥリは呆れたように言い捨てた。

  そんな危険な生物を創り出しておきながら、まことに無責任な話

ではある。その無責任ぶりは、マッドサイエンティストの資格十分

だと言えるだろう。

  「冗談ですよ、冗談!」

  ペイオスが笑う。この女も、ヒジョーに無責任である。

  「さて、とりあえずはこいつを小さくしなくてはな」

  「どうするんです、博士?」

  「細胞縮小線『マイクロスペシウムG3』を使ってみよう」

  そう言いながら、シンドゥリは近くのインターフォンを取った。

  pipipi…!

  軽い電子音に続いて、小型ビジョンにスタッフの一人が出る。

  「はい。器材管理室です」

  「シンドゥリだ。『マイクロスペシウムG3』を用意してくれ」

  「博士、アレを使うのですか?」

  スタッフが驚く。

  「そうだ。コンテナの電子ロックは、コードBXQ00746で解除さ

れるはずだ」

  「わ、わかりました」

  画面がビュウンと消える。

  「は、博士!」

  インターフォンを戻すシンドゥリに、ペイオスが言う。

  「あ、あの細胞縮小装置には重大な欠陥が…!」

  「心配することはないよ、ペイオス。将軍はプロジェクト・タコヤキ

を生物学のためだと言っていた。おそらくは学術研究用にでも、

用いるつもりなのだろう」

  「し、しかし…!」

  「大丈夫だ。どうせ、このタコという生物は帝国水族館か何かに

収容されるのだから、問題はないはずだ」

  「そ、そう言われれば…」

  ペイオスは不安そうな表情を残したまま、黙る。

  「ハハハハハ、まったく君は心配性だな」

  シンドゥリは、愉快そうに笑う。

  pipipipipipipi・・・・・!

  またインターフォンが鳴り、シンドゥリが取る。

  「博士。細胞縮小装置を用意しました」

  画面に映ったスタッフが報告してくる。

  「わかった。すぐに行く!」

  短く答えて、インターフォンを戻す。

  「さ、ペイオス。最後の仕上げにかかろうじゃないか」

  「はい」

  二人の無責任科学者は、オペレーションセンターへと足早に向か

うのだった。

 

  その頃、第21研究地区へと通じる幹線ルートA5を漆黒の機動

車両が走っていた。

  ドアに描かれているのは、黄金の双頭龍である。

  双頭龍はミレニアム帝国軍のエンブレムであり、黄金のそれは

帝国軍最高指揮官の座上を意味している。

  フェンリル将軍は、帝国生化学研究所へ向かう途上であった。

  「うーむ、何かイヤな感じがする…」

  後部座席にドッカリと腰を下ろした将軍は、得体のしれない悪寒

に身を震わせた。

  「将軍。どうかなさいましたか?」

  主席副官のヘルモーズが尋ねる。

  「い、いや、別に何でもない。それよりも、もう少し急いでくれ」

  「了解」

  ヘルモーズが運転手に指示を出し、機動車両は速度を増して

ハイウェイを疾駆し始めたのだった。

  (何だろう…、この悪寒は?)

  唸りを上げる超伝導推進エンジンの音の中で、フェンリルは言い

知れぬ不安に自分の両腕を握り締めるのだった…。

 

  「エネルギー充填、120%」

  生化学研究所に声が響く。

  タコの縮小作業が始まろうとしているのである。

  「目標の細胞周波数をロック。以後はコンピューターによる自動

調整に入ります」

  「狙点を固定します」  

  オペレーターの声と同時に、細長い先端を持った機械がタコの

収められたガラスケースへと向けられる。

  「マイクロスペシウムG3線の照射準備完了」

  「培養液の濃度調整完了」

  「ガラスケースの偏光比率調整終了」

  次々と読み上げられる準備完了の報告に、オペレーションセンター

のシンドゥリは満足そうな顔になる。

  「よし、ターゲットスコープオープン」

  シンドゥリの前に、硬質クリスタルの板が飛び出す。

  「幻影クロスゲージ、明度20。総員、対閃光防御」

  横にいるペイオスが言い、自分もサングラスを着用する。

  「カウントダウン、5、4、3、2…」

  シンドゥリの指が発射装置にかかる。

  「…1、0。細胞縮小線、照射!」

  ビュウウウウウウウンン!

  銀色の先端から、エメラルドグリーンの光線がタコに向けて、放

たれた。

  光線を浴びたタコが、ネガポジが反転したように光の中で点滅を

繰り返す。苦しいのか、のたうつ触手が不気味であった。

  「細胞縮小レベル、カウントダウン開始!」

  「細胞振動の周波数、増大!」

  激しく輝く光の祭典の中で、オペレーターたちの声が響き渡る。

  「博士、順調です」

  ペイオスが声をかける。

  「うむ!」

  点滅を繰り返す光にシルエットとなったシンドゥリがうなずく。

  だが、彼はまだ気づいていなかった。

  この事が巨大な悲劇に連なる序曲に過ぎないことを…。

 

                             第五章          

 

  カッカッカッカッカ…。

  規則正しい足音が、研究所の中に響く。

  「フェンリル将軍がいらっしゃいました!」

  そう叫ぶスタッフの言葉が終わるか終わらぬかの内に、研究所

のオペレーションセンターにフェンリルの姿が現れた。

  「シンドゥリ博士! タコはどうなっておる?」

  着くなり、そのように問い掛けてくる。

  「おお、将軍。お待ちしておりました」

  シンドゥリがにこやかに微笑みながら、将軍を出迎える。

  「あいさつなど要らぬ。プロジェクト・タコヤキは成功したのか?」

  フェンリルが聞く。皇帝に催促されたせいか、かなり焦っているよう

な雰囲気が見られた。

  「グッドタイミングです。ちょうど先程、完成したところです!」

  「な、なに! そ、それは本当か!」

  フェンリルの顔に、喜色が浮かぶ。

  「もちろんですとも。おい、ペイオス!」

  シンドゥリが声をかけると、奥からペイオス助教授がゆっくりと歩い

てきた。その手には、まるで愛し子を抱くようにして小さな銀色の容

器が納まっている。

  「おお…、その中にタコが…」

  感嘆の声をあげて、フェンリルが待ちきれぬかのように近づく。

  「将軍。タコでございます…!」

  ペイオスがうやうやしく容器を差し出す。

  聞いてるだけなら吹き出しそうなセリフのやり取りだが、彼らは非常

に真剣である。

  「早く、その蓋を開けて見せてくれ!」

  「かしこまりました」

  ペイオスが静かに容器の蓋を開ける。

  フェンリルが覗こうとした途端、ニュッと可愛らしいピンクの足が出た。

  そして、その足をクネクネと動かしながら、丸々としたピンク色のタコ

が容器の中から姿を現す。

  全体的に丸っこくディフォルメされた、まるでアニメのSDキャラのよう

な可愛らしいタコであった。20世紀なら、女子高生に人気かもしれない。

  「おお、ずいぶんと可愛らしい生物ではないか!」

  フェンリルが喜ぶ。

  「・・・・・・・・」

  その様子を見て、黙って顔を見合わせるシンドゥリとペイオス。

  研究所のスタッフたちも複雑な表情のまま、喜ぶフェンリルの様子を

見守っている。

  「博士。わしの想像していたものとは、ずいぶんと違ったぞ!」

  フェンリルがタコを指でツンツンとあやしながら言う。

  「そりゃそうでしょう…。誰よりも驚いてるのは、私です…」

  「ん? 何か言ったか?」

  「い、いいえ。別に何も…」

  シンドゥリが慌てて咳払いして、ごまかす。

  「将軍、お気にめしませんか?」

  話題をかえるように、シンドゥリが尋ねる。

  「いや、満足だ。わしはもっとグロテスクな怪物のようなものを想像し

ておったからな。こんな可愛い生物とはおもわなかった」

  「そうでもないんですが…」

  口ごもるようにペイオスがボソッとつぶやく。

  その途端にシンドゥリが思いっきり、ペイオスの横っ腹をドツく。

  痛恨の一撃にゲホゲホとむせながら、ペイオスがのたうつ。

  「どうかしたのか?」

  フェンリルが怪訝そうな顔をする。

  「・・・・い、いえ、満足していただけて何よりです」

  シンドゥリがひきつった笑いを浮かべる。

  「では、博士。早速だが、タコを持って帰らせてもらうぞ」

  「将軍、もうですか?」

  「うむ。ぜひにと、皇帝陛下がお待ちかねなのだ」

  「・・・・・わかりました」

  「うむ。博士、そして研究所の諸君。ご苦労だった!」

  フェンリルがタコの容器を手に、ねぎらいの言葉をかける。

  そして、出口の方へと身をひるがえす。

  「ちょ、ちょっとお待ちください!」

  足早に立ち去ろうとしたフェンリルをペイオスが急に呼びとめた。

  「どうした? ペイオス助教授」

  「か、確認したいのですが…。そのタコという生物は学術研究用に

再生されたんですよね」

  「・・・・・そ、その通りだ」

  フェンリルが慌てたように答える。

  まさか、これだけの人員を動員しておきながら、

  「皇帝が食いたいと言ったから」

  なんてことは、口が裂けても言えない。

  「では、タコはしかるべき研究機関。例えば水族館や海洋研究所

などに保管されるんですよね」

  「・・・・・・そ、その通りだ」

  「安心しました。将軍、くれぐれもタコをよろしくお願いいたします」

  ホッと安堵の息をもらしながら、ペイオスが深々と頭を下げる。

  「うむ…、確かに…」

  胸の奥にわきおこる罪悪感を感じながら、それだけを答える。

  フェンリルはそれなりに実直な性格なので、このように部下を騙す形

に後ろめたさを感じていたのである。

  そして、逃げるようにしてフェンリルはその場を去っていった。

 小さな可愛らしいタコを手にして…。

 

  「博士。良かったですねぇ…」

  研究所から走り去っていくフェンリルの機動車両を窓から見送りつつ、

ペイオスはつぶやいた。

  「ああ…、まさかこんなことになるとは思わなかったからな」

  シンドゥリがタバコに火をつけながら、安堵のため息を漏らす。

  30世紀でも無くならなかったタバコの煙が、ゆっくりと部屋を流れ

ていく…。

  「でも、本当にこれで良かったのでしょうか?」

  「・・・うむ。良かったということにしようじゃないか…」

  実はフェンリル以上の強い罪悪感に駆られていたのは、こちらの

二人だったのである。

  「しかし、細胞縮小線があんな効果をもたらすなんて…」

  「確かに驚きだった…」

  シンドゥリが遠い記憶を呼び覚ますように答える。

  あの時…。

  細胞縮小線を放射されたタコは突如として変化を引き起こし、

そのスケールを小さくしたばかりか、その体表を覆っていた不気

味な斑紋も消え失せ、淡いピンク色の肌になってしまったのだ。

  そして放射が終わった後には、見るも愛らしいピンクのタコが

誕生していたのである。

  「はっきり言って、詐欺ですよねぇ…」

  「我々のしたことがかね…?」

  「そうは思いませんか、博士?」

  「うーむ…。要はバレなきゃいいのだ」

  「でも、あの細胞縮小線の効力は熱に弱いという欠点が…」

  ペイオスが心配そうにつぶやく。

  「ハハハ…、心配性だな。だからこそ、君もここから先の保管場

所などを気にしたのだろう?」

  「ええ。まあ、どこかの水槽に入れられるのであれば…」

  「将軍も太鼓判を押したじゃないか。間違っても、熱湯なんかに

浸けるようなことはしないだろう」

  「なにしろ、貴重な生物ですからね」

  ペイオスも胸のつかえが取れたように微笑む。

  それにつられて、シンドゥリも大笑いするのだった。

  プロジェクトを完遂した思いに浸る帝国生化学研究所の中に

無責任科学者コンビの明るい笑い声が、いつまでも響いていた。

 

  「皇帝陛下! タコでございます!」

  フェンリルの自信たっぷりな声が、謁見の間に響いた。

  これまでの苦渋に満ちた様子から想像もつかない晴れやかな声

であった。

  「おおおお、フェンリル! でかしたぞ!」

  満面に笑みを浮かべて、皇帝が声を発する。

  「どうぞ、御確かめ下さい」

  うやうやしくタコの入った容器を差し出すフェンリル。

  皇帝が玉座を離れ、開いた蓋の奥を覗き込む。

  それと同時にピョコッとタコが顔を出した。

  「おお、なんと愛らしい生き物ではないか…!」

  皇帝も思わず、笑顔になってしまう。

  それほどに愛くるしい笑みを浮かべたタコだった。

  「こんな生き物とは思わなかったぞ!」

  皇帝がフェンリルを見て、感嘆する。

  「ははっ。これも帝国の優秀な頭脳たちの成果です」

  フェンリルもまた満足げに応えるのだった。

  「彼らには、十分な報奨をとらせるとしよう」

  「ありがとうございます。彼らも喜ぶでしょう」

  フェンリルが深々と一礼する。

  「しかし、このような可愛い生き物を食用とするとはな…」

  皇帝がしみじみと言う。

  「確かに…。やはり20世紀の人間は争いを好み、環境を破壊し、

他の生き物などを省みない野蛮な人間だったのでしょう」

  「このような生き物を食用に家畜化すると言うのだからな」

  「はい。20世紀の人間はいわば食物連鎖の頂点に位置すること

によって、地球そのものを食い尽くそうとしていました」

  「愚かなことだ…」

  皇帝がタコをなでながら言う。

  「はい。だからこそ、キルケウイルスは生まれたと言えるのかもし

れません。愚かなる20世紀人類への神の鉄槌として…」

  「そうかもしれんな」

  「だからこそ、人間は同じ過ちを犯してはならないのです。正しき

道に我々が導いてやらねばなりません」

  「そうだな。だからこそ、我がミレニアム帝国には、そんな野蛮な

人間もなく、絶対恒久の幸福が約束されておるのだ!」

  「これというのも、代々の皇帝陛下による治世の賜物でしょう」

  フェンリルが感慨深く応える。

  「うむ。それこそが人類の求めてやまぬ理想の幸福社会だな」

  皇帝も重々しく応える。なかなか感動的な会話である。

  フェンリルも人類を導く使命感に、高揚を抑えられない感じだ。

  「それはさておき…」

  皇帝が不意に言った。

  「何でしょうか?」

  感動の余韻に浸っていたフェンリルが怪訝な顔をする。

  「早速、このタコを料理するとしようか」

  「は…?」

  フェンリルが呆気にとられる。

  おいおい、言ってる事が違うじゃねぇか!

  思わずそうツッコミたくなってしまうのは、無理もない。

  「タコを食すのですか? この可愛らしいタコを…?」

  「それとこれとは話が別だ」

  非常に勝手な言い草である。まぁ、皇帝とはそういうものなのかも

しれない。

(さっきまでの感動は何だったのだ…)

  フェンリルがガックリと落胆する。

  まさに「俺の感動を返せ」といった気分に違いない。

  だが、そんなフェンリルの様子に気づくこともなく、皇帝はタコを

食欲の漲ったまなざしで見つめているのだった。

  パンパンと皇帝が手を叩くと同時に、白い服装の料理人たちが

横手のドアから入ってくる。

  「ただちにタコを料理にかかるのだ!」

  皇帝が言う。

  「料理方法はいかがいたしましょうか?」

  料理長らしき男が問い返す。

  「そうだな…。タコヤキというからには焼くのだろうが、どうもロキ

からの報告を見る限りでは茹でるものらしいからな…」

  「では、茹でてみましょうか?」

  「そうしてくれ」

  そう言うと、皇帝はタコを料理人たちへと引き渡す。

  料理人たちはそれを手に厨房の方へと引き返していった。

  「・・・・・・」

  連れ去られるタコを見送りながら、フェンリルの脳裏には寂しげな

メロディーが無意識に流れていた。

  ドナドナド〜ナ〜、ド〜ナ〜         

  それは人類の遺伝子にインプットされた悲哀の旋律なのかもしれない。

  「タコ…」

  思わず寂しそうにつぶやいてしまうフェンリルだった。

  やがて、厨房への扉がバタンと閉じる。

  それこそはミレニアム帝国の安寧への道を閉ざす音であった…。

 

                                                         つづく

    ※さあ、もはや展開の読めてきた方がほとんどでしょう。

         次回から、いよいよタコの逆襲が始まるっ!                         

 

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