悪魔島  横浜

 

 

       第三章

 

 鳴海章一郎が横浜警察本部へと戻ってきた

のは、関内駅での魔闘を演じた翌朝のことで

あった。昨日までの雨雲は夜の間に消えてし

まったらしく、快晴の青空が広がっていた。

 その空を大鴉や肉食鳥が飛び交っているの

も、いつもの横浜の風景であった。

 鳴海は愛車である日産レパード700SX

を地下駐車場へと滑り込ませた。

 日産レパード700SXは、排気量が35

00CC。ABSなど過去の遺物と化した新

型制御装置であるASS(AUTO.STA

BILIZATION.SYSTEM)を搭

載している。ボディには、強化セラミックス

を使用し、横浜対応の防弾防火コーティング

が施されている。運転コンソールに内臓され

るのは高性能コンピュータであり、火器管制

の戦闘コンピュータと連動している。

 色は、鳴海のイメージカラーである濃いマ

リンブルーであった。

 「鳴海さん、おはよーございまーす!」

 駐車場の専用スポットへ停めた車から降り

るなり、脳天気な声が鳴海を迎えた。

 声の方を見ると、ジーンズにジャケット姿

の若い女が立っていた。ショートヘアの可愛

らしい容貌に乗った大きめの瞳が印象的な娘

であった。横浜新聞社と契約しているフリー

ジャーナリストの宮崎香澄である。

 最近、この警察本部に出入りするようにな

ったのだが、その豪放さと愛嬌が相まって横

浜警察の猛者たちをも苦笑させている。

 「鳴海さん。昨日は何か事件がありました

かぁ?」

 本当に大学を出たのかを疑いたくなるよう

な感じで聞いてくる。いつもこの調子で、逆

にこの脳天気さが憎めない所でもあった。だ

が、鳴海が相手ではそれも通用しなかった。

 冷やかな眼差しで一瞥すると、鳴海は無言

でエレベーターへと向かってしまう。

 「あん。鳴海さん、待ってよぉ!」

 それでもめげずに香澄はついていく。余り

にもクールなために、敏腕の新聞記者でさえ

も近寄らないようにしている鳴海だったが、

そんな事は関係なしに唯一話しかけてくるの

が宮崎香澄だった。

 普通の女性ならば、美しい鳴海の顔を見た

だけで失神するか、欲情の虜になってしまう

のがパターンである。だが、香澄だけは別の

ようであった。

 「ねえねえ、聞かせてくださいよぉ」

 甘えるように、エレベーターを待つ鳴海に

香澄が擦り寄ってくる。

 「どうして、この私にまとわりつくんです

か?事件の記事が書きたければ、他の人の所

に行った方がいいですよ」

 冷やかに鳴海が言った。丁寧な口調だが、

明らかに嫌がっている様子がうかがえる。

  それでも香澄は、あっけらかんと言った。

 「だって、鳴海さんが好きなんだもん」

 調子を狂わされたように、鳴海が頭を抱え

る。彼でも頭痛を覚えるものらしい…。

 「ねえねえ、鳴海さん。そう言えば、連続

婦女暴行殺人のジェームズ・エルフマンを追

っていたんじゃありませんか?」

 鳴海が会話に乗ってきたと勘違いした香澄

は、どんどん話を先へ進める。凶悪な殺人事

件のことだけに、それなりのスクープになる

のではないかという好奇心が丸見えだった。

 「エルフマンはどうなったんですか?もう

捕まえちゃいました?」

 「死んだ…」

 鳴海はその一言で済ませた。その呆気なさ

に香澄も次の言葉が見つからなかった。

 一瞬の沈黙の間に、ちょうどエレベーター

がやってきた。ゴウンと重い音をたてて、チ

タン合金を三層にした強化扉が左右に開く。

 それに乗り込んでいく鳴海に慌てて香澄が

追いすがるように声をかける。

 「そ、それは鳴海さんが殺したの?」

 「……」

 鳴海は答えなかった。無言のままボタンを

押し、左右から閉じるエレベーターのドアが

二人の間を遮断した。

 「チェッ、また逃げられたか…。もう、こ

れだけじゃ記事にならないじゃないの。鳴海

さんったら…」

 残された香澄は、上へと登っていく様子を

示す電光表示盤を見ながら愚痴った。いつも

鳴海に食い下がるのだが、記事をモノにした

ことは一度もなかった。

 「でも、あの人の近くにいれば、絶対にス

クープになるような大事件に出くわすと思う

のよねぇ」

 仕方なく、次のエレベーターを待ちながら

香澄は独り言ちた。鳴海は普通の警察官とは

違うと本能的に感じていた。それはこの横浜

という街でフリージャーナリストという職業

を続けている香澄の勘のようなものだった。

 彼女だって、それなりの修羅場をくぐり抜

けてきている。その勘が告げるのだ。鳴海章

一郎を逃してはならないと…。ふと見ると、

電光表示は13階で止まっていた。

 鳴海章一郎の所属する横浜機動警察の特殊

捜査部は、横浜警察本部の13階にある。

 横浜警察本部は、横浜県庁の横に立ってい

る。県庁が最高危険地域である海岸通りに面

し、魔霧(デイモス・フォッグ)を防ぐため

に風速30Mのエアカーテンをシステム化して

いるのは衆知の事実である。だが、この警察

本部も高感度センサーと重火器によって周り

を固められた要塞と化しているのも事実だ。

 すでに国家の警察機構とは逸脱し、一種独

特の様相を呈しているのが横浜警察の特徴で

あると言えよう。

 一警察官の持つ武装としては、警棒と拳銃

が標準装備である。それも支給されるのは、

21世紀の今日に至っても、ニューナンブの38

口径である。勿論、多少はグレードアップさ

れたニューナンブMk2とはなっている。

 これに対し、横浜警察では支給品など使う

人間は一人もいない。独自に武器を購入する

ことを黙認しているからである。警棒は特別

に、横浜警察本部より電撃警棒(ショック・

バトン)を支給することにしている。問題は

拳銃であり、これは普通でも357マグナム

や45口径のガバメントクラスの拳銃を携行す

るのが習慣になっている。また、パトカーに

も、ショットガン、アサルトライフル、自動

小銃、携帯ミサイル、歩兵用無反動グレネー

ダーなどを積み込んでいるのも、当たり前の

ことになっていた。

 こうでもしなければ、自衛隊から横流しさ

れたレーザーライフルや携帯用荷電粒子砲、

数万本のグラスファイバー針を収めた短針銃

を持った犯罪者に対抗できる訳がない。一度

犯罪者たちとの戦闘とでもなれば、ミサイル

がビルを木っ端微塵にし、レーザー光線が飛

び交う市街戦となるのである。

 マグナム弾を跳ね返す皮膚を持った肉体改

造者、鋼鉄に身を包んだサイボーグ、巨象を

も一撃で斃す460ウェザビーライフル弾を

すらものともしない強化人間がうじゃうじゃ

といる横浜で、強力な武器は生命を守る唯一

の楯となるのであった。

 通常警官の横浜での平均勤続年数は半年。

 その半年を生き残るのが、大変なのだ。

 代わりに横浜に配属される警官には、毎月

400%の賃金が支給されている。危険手当

という意味をこめてのものだが、それを無事

に手にして横浜を出ることが出来るのは、ほ

とんどいない。生き残った者が、この街の妖

気に当てられてしまったのか、結局は横浜に

住み着いてしまうのも大きな理由だった。

 横浜に足を踏み入れた者は、決して逃れら

れないと言うことだろうか…。

 そんな横浜で、最も凶悪な犯罪を担当する

のが特殊捜査部である。

 鳴海が部屋へと入っていくと、相変わらず

の騒然とした雰囲気があった。

 「高砂町で発見された48人の食い荒らし死

体についての検視報告は来てるのか?」

 「観光バス行方不明事件で発見された82人

の衰弱死犠牲者の処理の方が先だろう」

 「輪廻転生した『切り裂きジャック』の足

取りはつかめているのか?」

 「今日ぐらいに、福富町の付近に出没する

と予想してはいますがね」

 「早くしろよ。もう20人ものコールガール

が解体されちまったんだから」

 平然と会話を交わしているのは、特殊捜査

部のメンバーである。いずれも今までに射殺

した犯罪者が百名を越える猛者ばかりであっ

た。そして、この横浜にある警察であればこ

そ、死に対する感覚が麻痺してしまっている

のかもしれない。

 それは、それだけの死と呪いと、苦しみと

悲しみを混在させた街であるからなのだ。

 だからこそ、ここは横浜なのだ。

 「みんな。ちょっと集まってくれ!」

 一際大きな蛮声が、部屋の中に響いた。

 特殊捜査部部長の八重野の声であった。

 部員たちがそれぞれに行っていた作業を中

断して、中央のデスクへと集まってくる。鳴

海もやや遅れて、デスクへと向かった。組織

の中でもマイペースな人物像がうかがえる。

 「昨日、5件の殺人事件が発生した」

 八重野は部員たちを見回しながら、そう口

を開いた。部員たちは平然としている。むし

ろ、それがどうしたという拍子抜けしたよう

な雰囲気すらあった。毎日、届出があるだけ

でも30件、実際には数え切れない程の殺人事

件を生み出す街で、たかが5件と思うのは無

理もないことであろう。そんな雰囲気を察し

てか、八重野はニヤリと笑った。

 「まあ、ただの殺人なら問題はない。だが

な、今回は犠牲者が特別だ」

 部員の中に緊張が走った。八重野が冗談で

こんなことを言う訳がないのは判っている。

 ならば、その犠牲者とは何者なのか…!

 「第1の被害者はセルゲイ・グリハム。今

朝の未明、元町一丁目の魔法街にある自宅で

惨殺された」

 八重野の言葉に、部員たちの間に一種異様

などよめきが起こる。

 「第2の被害者は、ウイリアム・ハールマ

ン。山手のユニオン教会において惨殺死体と

なって発見された。第3の被害者は、ギュン

ター・ビュルメリング。旧バンドホテルの跡

地にて、同じく惨殺された」

 部員たちの間に戦慄とも取れる沈黙が滑り

落ちていった。その被害者リストに連ねられ

ていく名が、横浜の中でどういう意味を持つ

かを知っているからだ。

 「第4の被害者は、王元忠。特別自治地区

である中華街の路上で殺害された。そして最

後の被害者は、アクセル・フォン・ホフマイ

スター男爵。現場はマイカル本牧の中だ」

 被害者リストの最後に挙げられた名は、戦

慄よりも衝撃となって部員たちの意識に振り

下ろされた。

 「これらの被害者、いや常識なら被害者に

なるはずのない者ばかりだが…。事態の重大

さは理解できたと思う」

 八重野に確認されるまでもなかった。被害

者のいずれも、横浜に名の知らぬ者はいない

ような妖人ばかりであった。

 セルゲイ・グリハムは、旧チェコスロバキ

アbTの魔術師と呼ばれた男だった。魔法文

化の最先進国と呼ばれるチェコで、五指に入

る人物の実力は語るまでもない…。

 ウイリアム・ハールマンは、20世紀最大の

魔都と言われるロンドンの魔術師である。そ

の魔力ゆえに、女王からサーの称号を貰った

優れた魔術師として知られていた。

 ギュンター・ビュルメリング。別名「地獄

の外科医」。年齢不詳の、ナチス第三帝国の

メンゲレ医師を信奉するマッドサイエンティ

ストである。人体改造に異常な情熱を燃やし

様々な魔人を創り出したと言われている。

 王元忠は中国の黒妖術の使い手であった。

 あらゆる官憲の力が及ばない特別自治地区

に認定されている中華街において、妖術によ

る暗殺のプロフェッショナルとして知られて

いた。全世界に散在する華僑の依頼を受け、

世界経済の裏に係わってきたとされる。

 そして、最後の被害者であり、捜査部員た

ちを驚愕させた人物が、アクセル・フォン・

ホフマイスター男爵である。マイカル本牧に

棲息居住権を与えられた吸血鬼たちを束ねる

元老院の議員であり、絶大な魔力を誇る魔人

でもあった。幾度となくバチカンから秘密裏

に派遣されたヴァンパイアハンターをことご

とく返り討ちにし、貴族としての矜持と誇り

を貫いた吸血鬼の実力者であった。

 いずれにしても、簡単に斃されるような人

物ではない。この横浜においてでさえ、一目

も二目も置かれる人物揃いである。呪文一つ

で雷鳴轟く暗雲を呼び寄せ、迫り来る各国の

諜報工作員を指先一つで石に変えてしまうよ

うな妖人たちを、誰がどのような手段をもっ

て殺戮しうると言うのであろうか…。

    ・・・・・・・奴等だ!

 鳴海は瞬時にそう判断した。論理的思考の

構築によって導き出されたものではない。

  本能が告げる直感のようなものだった。

 あの漆黒の魔列車に乗って、この横浜へ降

り立った不気味な妖人たち。確か、伯爵と呼

ばれていた男は、ロンドンから来たと言って

いた。世界に名だたる魔都から来訪した妖人

たちの実力は、短き時間だったが闘った鳴海

がよく知っている。あの者たちなら、このよ

うな殺戮をも実行し得るであろう。

 「鳴海。何か、心当たりでもあるのか?」

 表情を見てとった八重野が聞く。

 「…いいえ。別に」

 鳴海は素っ気なく答えた。

 「…そうか」

 八重野はそれ以上聞かなかった。鳴海がそ

う言ったからには、問答は無用である。

 「彼らの死によって、この横浜における霊

的均衡が著しく崩れ始めている。市民たちへ

の影響が顕著になりはじめるのに、そう時間

はかからんだろう」

 八重野は窓の方へ立ち上がると、ブライン

ド越しに街を見下ろしながら言った。

 「霊的均衡が…?」

 部員の一人である近藤刑事が聞く。それは

魔都と化した横浜の本質に関わる問題だから

である。

 「そうだ。いかに死者の怨念が渦巻き、生

者の憎悪が溢れる横浜の街であっても、それ

なりの調和と法則は存在する。もし、それが

崩れたらどうなると思う?」

 八重野の質問は核心をついていた。

 「もし、その均衡が崩れれば…。この街は

混沌につつまれ…」

 特捜部最大の巨漢である大石刑事が、ボソ

リと言った。緊張が口の中の水分を奪い、ニ

チャニチャとした乾いた唾の音がする。

 「うむ。あらゆる生命と魂はエントロピー

の原理に従って、消滅の道を歩まざるを得な

い。それは横浜だけでなく…」

 八重野が全員を見据えながら、言った。

 「つまり世界の破滅、と言う訳ですね」

 八重野の言葉を繋いだのは、鳴海である。

 八重野はそれに黙ってうなずいただけだっ

た。それで十分だったからだ。そして、命令

を下した。

 「各員は、これ以上の被害者を生まぬよう

に犯人を捜し出し、必ず斃せ!」

 「逮捕しろ、と言わないのがいいですね」

 鳴海は微笑を浮かべた。氷の微笑だった。

 「不満か…?」

 八重野が銀縁眼鏡の奥で目を細めた。

 「いえ…。我々の存在意義について、ふと

考えてみただけですよ」

 「それで答えは出たのか、鳴海…?」

 「何の役にも立たぬ奴らを掃除する。そん

な清掃人といった所ですかね」

 鳴海は冗談めかして言った。

 「ほう…。何の役にも立たぬ人間が存在す

ると言い切れるのは、この街ならではだな」

 「そうとも言えませんよ。人間が生きる場

所には、そういうのは幾らでもいると思いま

すがね。それとも、人間は本質的に善である

と、本当に信じているとでも…?」

 鳴海の問いに八重野は答えなかった。人間

の本性を100%さらけだした世界が横浜で

あるならば、その姿を最も見つめる警察にあ

って、その回答は避けたかった。人間の正体

が必ずしも善とは呼べぬことを、彼は知りす

ぎていたからであった。

 八重野が答えないのを見て微笑むと、鳴海

はツイと部屋を出ていこうとする。

 「誰かと一緒に行け!」

 慌てて八重野が言うが、鳴海はチラリと部

屋にいるメンバーを一瞥しただけで、そのま

ま外へと出ていってしまう。

 そして、誰もそれを咎めようともせず、ま

た追おうともしなかった。

 「鳴海章一郎か…。また、多くの柩が必要

となるかな…」

 残された部屋の中で、八重野は落ち着かな

げに指を組み合わせたのだった。

 

 伊勢佐木町の通りを人々が行き交う。

 全身に弾帯を巻き付け、M60重機関銃を手

にした大男。スキンヘッドの一部の皮膚が剥

がれて、金属の下地が見えてしまっているサ

イボーグ。銀色のアタッシュケースを手にし

た白衣の男は、往診に向かう人体改造医師で

あろう。獣化薬を服用しているのだろうか、

剛毛に覆われた二十歳ぐらいの女。独り言を

言いながら歩いているに見える女子高生は、

明らかに憑依霊に取り憑かれているのだ。

  その証拠に、彼女には二つの影がある…。

 様々な風体の人々が歩く通り。それは横浜

の人間ならば、見慣れた日常風景の一コマで

あった。

   伊勢崎町・・・・・・・・・・・・・・通称「ザキ」と呼

ばれる横浜随一の商店街である。1丁目から

7丁目までの1・3┥に渡る一本道に、老舗

からブティックまでの新旧取り混ぜた5百店

が軒を連ねていたことで知られる。

 この町も、横浜大震災の洗礼を受けた場所

であることは間違いない。かってのマリナー

ド地下街を抜けると現れる1丁目のウェルカ

ムゲート。ここから眺める7丁目までの細長

い商店街は、倒壊したビルとユニット型プレ

ハブとが乱雑に並び、あたかも戦後の闇市を

思わせるような雰囲気であった。

 半壊しながらも営業を続ける横浜松阪屋の

ビルが目に入る。だが、その周辺の有隣堂、

丸井ファッション館、不二家、白牡丹ビルは

いずれも倒壊し、完全に廃墟となっていた。

 その先の3〜4丁目に入ると、日本最初の

洋画封切館「オデオン座」を中に持つファッ

ションプラザ・オデオンの姿が見えるが、こ

ちらも半壊しており、廃墟となっている。

 そして、そうした廃墟の間を縫うようにし

て立ち並ぶ様々な店舗たち。売っている商品

も横浜ならではの物ばかりである。

 武器関係だけでも紹介すると、自衛隊や米

軍横流しのレーザーライフル、歩兵用対空ミ

サイルランチャー、携帯用荷電粒子砲。何処

かの武器業者が開発したであろう溶解銃、短

針銃、電磁波砲、超音波砲、局地的に竜巻を

発生させる気圧変動装置などは古典SFの小

説から抜け出してきたような兵器ばかりであ

る。そして、「特価」の正札を張りつけられ

ているのは20世紀の銃器類だ。M16、AK47

といった自動小銃。ガバメント、44口径マグ

ナムなどの拳銃。38口径のサタデーナイトス

ペシャルに至っては、19800円の値札が

付けられている有り様であった。

 街角に売買の掛け声が響き、不思議な活気

がある。売買される内容とは関係なく、ここ

は横浜に住む人々の大切な生活の場であり、

この街が生きている証でもあった。

 宮崎香澄は、小型デジタルカメラを持って

伊勢佐木町通りにいた。ある小さな雑誌社に

頼まれてカタログ写真を撮りに来たのであっ

た。フリージャーナリストとしては、そのよ

うな小さな仕事も受けなければ食べていけな

いのである。

 「こんなの、よく市外の連中は買う気にな

るもんよね」

 ブツブツ言いながら、カメラのシャッター

を切る香澄。画像はカメラに内臓されたマイ

クロDVDへと記録されていく。彼女の覗く

ファインダーの中では、ウネウネと不気味な

触手をくねらせる植物が映っていた。

 今回の香澄が受けた仕事は、市外向けの通

信販売用の商品カタログであった。武器類の

販売は出来なくても、横浜特有の妖生物など

は鑑賞用、あるいはペットとして人気がある

ために市民の重要な収入源となっている。

 香澄が映しているのは、散歩草「ナイトウ

ォーカー」である。夜になると、勝手に歩き

出す様子が可愛いと市外のOLや女子高生に

人気らしい。他にも、ある一定条件で飼育す

ると黄金の糸を吐き出す「黄金蚕」や、体内

に寄生させると癌細胞のみを好んで食べる妖

虫「カンサーハンター」などが人気商品らし

い。

 「まったく、市外の連中の感覚はよく判ら

ないわ。何が可愛いのかしらねぇ…」

 そう言いながら、香澄がナイトウォーカー

の触手をチョンと指先でつついた時。

 「うわあああっ」

 近くで急に悲鳴があがった。見ると、観光

客風の若い男が巨大な蛭に襲われていた。

 不用意に廃墟と化したビルの近くを歩くの

が悪いのだ。横浜に来る観光客向けに出され

ているガイドマップにも書かれているはずで

あった。獲物が下を通ると落ちてくる巨大蛭

は勿論のこと、どんな妖生物が棲息している

かも判らない廃墟に近寄ることの危険性は繰

り返し記載されているのだから…。

 手にレーザー銃や電撃棒を持って駆けつけ

るのは、近くの商店の人たちだ。後で法外な

金額を要求されるだろうが、命の値段と思え

ば安いものだろう。

 「さて、あと3〜4枚も撮ればいいかな」

 香澄は近くにある古本屋へと入った。所狭

しと並べられた埃まみれの本の中には、とん

でもない物も眠っている。香澄がふと手にし

た本は古い羊皮紙の表紙であった。

   「秘術全書」・・古代アラビアの錬金術の

達人であるゲベルの著書である。このラテン

語訳がヨーロッパに伝わって、13世紀以後の

ヨーロッパの錬金術師たちのテキストになっ

たことは有名である。

 もし横浜の外で鑑定にかければ、値段はつ

かないほどの書物だ。だが、此処では千円の

値札がついているだけである。

 「物の価値のなんたるかよね。いい仕事し

てますね、の一言じゃ済まないのに…」

 ため息をついて、「秘術全書」を古本の一

番上に置くと、カメラに収めた。

 「ギャアアアア!」

 突如、外の通りから絶叫が響いた。

 「!」

 尋常ではない様子が、空気を伝わってくる

のが判った。香澄はすぐに飛び出す愚は冒さ

ずに、入口のドアから外をうかがった。

 不用意に飛び出す行為は、死に直結する。

香澄は腰のホルダーから、すでに拳銃を抜い

ていた。スミス&ウエッソンのM659自動

拳銃であり、装填されているのは全て炸裂弾

であった。

 伊勢佐木通りは、死の通りと化していた。

 「ギャアアアッ!」

 路上にボンと転がった物があった。それは

血に濡れた生首であった。通りに立っていた

コールガールの妖艶な首が、M1カービンラ

イフルを手にしたヤクザの右腕が、麻薬を売

る街角通商人の上半身が地面に転がった。

 無差別に切り裂かれていく人々…。

 「くそぉ、何者だぁ!」

 M11イングラム軽機関銃を乱射しながら叫

んだ男の首が呆気なく切り離される。

 「な…、何あれ…?」

 香澄は、その異様な光景に息をのんだ。

 伊勢佐木町の通りを不気味な物体が移動し

ていた。形状は戦車のようでもあり、蜘蛛の

ようにも見えた。黒塗りの球体に、8本の足

が生えている。球体には幾つもの瘤が隆起し

ており、それは金属質の光沢を放っていた。

 「兵器業者の実験兵器かぁっ?」

 店から飛び出した親父が、歩兵用無反動グ

レネーダーを構えた。その筒先から吐き出さ

れた粉砕焼夷弾が、黒い妖戦車に命中する。

 ドッグワアアッン!

 紅蓮の炎が妖戦車を包むも、すぐにその炎

の壁を突き抜けて無傷の巨体が現れる。

 「バ、バカな…」

 絶望と驚愕の表情を刻みつけた親父の首が

路上に跳ね上がった。

 「な、何なのよ。あの化け物は…」

 香澄は古本屋の中に隠れながら、妖戦車を

観察した。その輪郭が陽炎のように歪んで見

える。恐らくは歪曲空間で、その巨体を包ん

でいるのだろう。その次元流に触れたものは

カマイタチのように切り刻まれてしまうのだ

と香澄は理解した。

 そして、銃の代わりにカメラを構えた。

 妖戦車の上に、二人の人影があった。一人

はノッポの病人のように蒼ざめた男。もう一

人は子供のようであった。

 「何者なのかしら?」

 小型デジタルカメラにその姿を収めながら

香澄はつぶやいた。実はその子供の方が、鳴

海と闘ったチャーリーと呼ばれている子供だ

とは知る由もない。

 「だ、大丈夫かね。お嬢さん…?」

 「まあ、この中にいればね…」

 怯えた顔で尋ねてくる古本屋の主人に、香

澄が答えた時、強烈な殺気が渦巻いた。

 「え…?」

 振り向いた香澄の目が見開かれる。店の前

に妖戦車が停止し、カメラを構えた香澄を子

供の方が見つめていたのだった。

 「盗み撮りはよくないね」

 子供=チャーリーが無邪気な声で言った。

 「や、やばい!逃げてっ!」

 香澄が叫び、裏口へと駆けだしたと同時に

妖戦車が前進を開始する。ベキベキと音をた

てて、古本屋のプレハブユニットは押し潰さ

れていった。

 「キャアアアッ!」

 プレハブを形作っていた強化プラスチック

の破片と、貴重な古書も無修正エロ本の古雑

誌も区別無く、紙片となって千切れ舞った。

 「キャアアアアッ」

 悲鳴を上げながら走る香澄。とにかく走る

しかなかった。妖戦車を取り巻く歪曲空間に

触れれば、即座に切り裂かれてしまうのだか

ら…。

 「逃げてもムダだよ」

 チャーリーが狩りを楽しむような口調で言

う。確か、イギリスの貴族の遊びには、狐狩

りというのがあったはずだ。ロンドンから来

た妖人ともなれば、子供の姿形はしていても

狩りを楽しむ習慣があるのかもしれない。

 ギュキキキキィ…!

 金属が擦れ合うような音がして、妖戦車の

瘤の一つが開き始める。まるでチューリップ

の花弁のように開いた中央には、琥珀色のゼ

リーのような球体が見えた。

 「さあ、よく狙ってくれよ」

 チャーリーの言葉に、琥珀色の球体が光を

放ちはじめた。そして、それはブウウンとい

う振動音をたてると、強烈な光を放射した。

 「ギャアアアアッッ」

 光の一撃は、香澄のすぐ横を走っていた古

本屋の主人を直撃した。彼は絶叫を残して、

蒸発するように消えてしまった。

 恐るべき生体レーザー砲であった。

 「あーあ、ちゃんと狙えって、言ったのに

なぁ…。今度は外すなよ」

 チャーリーが残念そうに言った。

 再び、琥珀色の球体が光りはじめる。

 生体レーザーは、集合する細胞の振動を一

定の周波数にまで高めることによって、高周

波レーザーへと変換し、破壊エネルギーとし

て放出するものである。

 「な、何で、わ、私を殺さなきゃいけない

のよっ?」

 香澄は逃げながら、叫んだ。

 「別に理由はないけどね」

 チャーリーがニヤニヤしながら答えた。

 「そんなの、おかしいわよっ!」

 「君達が狩りをする時に、ウサギやキツネ

が殺される理由を聞いてきたことがあったか

い?」

 「な…!」

 「くだらない質問で、ボクたちを興ざめさ

せないでほしいなぁ…」

 ああ…。やはり、彼らは狩りを楽しんでい

たのか。人間狩りを…。

 「さあ、これでお終いだよ」

 妖戦車の瘤に埋め込まれた琥珀色の球体か

ら、強烈なレーザー光が放たれた。それは香

澄の身体を一瞬にして蒸発させる・・・はず

だった…。

 「な、何ぃ?」

 チャーリーが素っ頓狂な声を上げたのは無

理もない。それは全くの偶然であった。

 香澄に当たる直前、殺戮から逃げようとし

ていた市民を乗せたトラックが急にパンクし

て、コントロールを失った状態で飛び込んで

きたのである。不運なトラックは、妖戦車と

香澄の間に割り込むようにして飛び込んだた

めに、生体レーザーを代わりに受ける羽目と

なった。十数名の人間もろとも蒸発するトラ

ックの犠牲が、幸運にも香澄の命を助ける結

果になったのだった。

 「な…、なんてことに…」

 香澄が絶句する。だが、その死を悼んだと

て、彼らが生き返るものではない。

 「ちぃっ。運のいい小娘だ」

 「チャーリーよ。俺たちの役目は、あんな

小娘を追い回すことじゃないだろう」

 意地になりかけているチャーリーをノッポ

の男がたしなめた。

 「うるさいよ、ハーバート。あんな小娘を

一人殺せないで、何が任務だ!」

 「チャーリー。伯爵さまにお叱りを受けて

もいいのか?」

 「あと一撃で終わる。それぐらい、いいじ

ゃないかよ」

 「わかった…。一撃で仕留めろよ」

 ノッポの男=ハーバートはそう言って、血

に染まったストリートに目を向けた。そして

足元から麻袋を取り出し、その口を開ける。

 ワアアアアアアン……。

 微細な羽音と共に、麻袋から黒い塊が広が

っていった。それは蠅の群れであった。

 「さあて…、望み通りのモノが見つかれば

よいのだが…」

 路上に散らばった死体へと殺到していく蠅

の群れを見ながら、ハーバートがつぶやく。

 彼は何を探していると言うのだろうか…。

 血の海の中から…。

 「よーし。今度こそ、絶対だ!」

 不可思議な作業を行うハーバートの横で、

チャーリーが叫んだ。すでに生体レーザーの

第3射の充填は完了していた。

 「だ、誰か…!た、助けてぇっ!」

 逃げ走る香澄。そして、彼女を追う妖戦車

の瘤に光が宿った。

 「食らえっ!」

 ビュウウウウウン!

 レーザーが香澄に走る。だが、その瞬間。

 バシュウウウッ!

 何かの拍子にパイプが破損したのか、マン

ホールを突き上げて、濃密な蒸気が道路から

吹き上げたのであった。

 「な、何だとぉっ!」

 チャーリーの叫びも虚しく、レーザーは蒸

気に阻まれた。ただでさえ、レーザーという

ものは空気抵抗に弱いものである。ましてや

濃密な蒸気ともなれば、その威力は十分の一

も出せはしないであろう。

 「ラ、ラッキー!」

 香澄が喜ぶ。その言葉通り、幸運が続いた

のである。あくまで偶然の結果として…。

 「そんなバカなことがあって、たまるか」

 驚愕するチャーリーを見ていたハーバート

の目に、キラリと光が宿る。

 「チャーリー。あの女を捕まえるんだ」

 「ど、どういうことだ?」

 「運、不運とは、この世の物理法則の根底

に流れる次元渦動流の影響によるものだ」

 「だから、何なんだ?」

 チャーリーがイライラしながら問い返す。

 だが、ハーバートはそんな様子には無関心

で逃げようとする香澄を見ていた。

 「二度も幸運が続くのはおかしい。もし、

あの女が無意識に次元渦動流に影響を与えて

いるのだとしたら…」

 「なるほど…。あの女かもしれない、とい

うことか…」

 「そういうことだ…!」

 ハーバートの言葉と同時に、唸りを上げて

妖戦車が前進を開始する。

  今度は、香澄を捕まえるために…!

 「キャアアアッ!」

 再び逃げだした香澄の前に、急にマリンブ

ルーの物体が飛び込んできた。凄まじい急ブ

レーキとタイヤの摩擦音が響く。

 「な、鳴海さん!」

 目の前で勢いよく開いたドアの向こうに、

鳴海の姿を見た香澄の表情が歓喜に輝く。

 「間に合ったようですね」

 「た、助けに来てくれたの?」

 「いいから、早く乗りなさい!」

 香澄の言葉を遮って、鳴海が急かした。

 「な、何…。あ、あいつは…!」

 マリンブルーの日産レパード700SXに

乗り込む香澄の向こうに、鳴海の姿を見てと

ったチャーリーが呻いた。

 「チャーリー!奴を逃がすな!」

 ハーバートが叫んだ。

 「わ、わかってるさ!」

 妖戦車が前進しようとした瞬間、レパード

の後部トランクが開いた。そこから、次々に

ミサイルが発射される。

  小型巡航ミサイルであった。

 ドグワアアアン!

 轟音と紅蓮の炎が、妖戦車の上部を包む。

 歪曲空間でコーティングされた妖戦車には

ダメージは届かないが、一瞬の目くらましと

しては効果があった。

 「し、しまった!」

 煙と炎が晴れた時には、すでにレパードは

走り去っていたのである。

 「に、逃げられたか…」

 チャーリーが苦々しげに呻いた。

 「今日はここまでのようだな…」

 ハーバートが空を見上げてつぶやいた。空

の彼方から音が近づきつつあった。横浜に駐

屯する自衛隊の戦闘ヘリの音であった。

 「わかった…」

 チャーリーがうなずく。そして、妖戦車は

急速に回転を開始し、土煙をまきあげながら

地下へと姿を消していった。

 戦闘ヘリ部隊が伊勢佐木町上空に到達した

時には、巨大な穴がストリートの中央に残さ

れているだけであった。

 この日の事件で死亡した人間は、伊勢佐木

町だけで336名。そのいずれもが、切り裂

かれた状態であった。血と肉片に覆われた伊

勢佐木ストリートは、死の匂いに包まれてい

た。そして、この事件は横浜における大量殺

人のレコードを一気に更新する結果となった

のであった…。

 

                          つづく

来生史雄電脳書斎