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DECCA 455 506-2 |
この演奏を聴くと 角張ったところがない。
全然力んでいない。というか深刻でないのだ。
水が低きに流れるが如くに 音楽はサラサラと流れていく。
意識的なテンポの揺れはほとんどなく全合奏のインパクトもアクセントは少な目で
壮絶で劇的なブル9をご希望の方には 少々もの足りなく感じられ ヴァントなどの演奏と比べると軟弱に聞こえるほどです。
しかし
第1楽章「 ハ長の動機」前後の見事な歌わせ方、終結部直前の「管によるコラール」における色調の変化ぶりなど
目を見張る場面が随所に顔を出す。
アダージョにおいても この演奏からは 「神」だとか「宇宙」だとか「魂の昇華」などという観念的な解釈はまったく感じられない。
冒頭動機がこんなにけれんみ無く、無邪気に奏でられるのを聴いた事がない。
それでいて 軽薄かというとアムステルダムコンセルトへボウの充実した音色により底辺から支えられた腰のある重厚な音だから
不思議である。
なんという心地よさだろう。
まるで 大自然の中に優しく抱かれ、全ての雑念を見事に解き放ってくれるかのようだ。
「そうか 答えは意外に簡単な事だったんだ。難しく考える事はないよ。」と
時として 室内楽曲かのような純粋さと繊細さを併せ持つ世界は一瞬 シューリヒトを思わせる。
(もっとも精神的充足度は シューリヒトの比ではないが・・)
そうだ きっと シャイーの20年後はシューリヒトになっているに違いない。
そうだ !そう願いたい!!
この演奏を正反対の厳しい、厳しい ムラヴィンスキー盤と聞き比べてみると同じ楽譜を演奏していながら
かくも響きが違うのだから音楽とは面白い。
日頃、チェリビダッケやヴァントばかり聴いている方々(皮肉ではなく)にこそ
ぜひおすすめの一枚です。