KUNISADA

 子供の頃の遊びには年代によって共通点がある。大人になってからの生活は人それぞれであるが、子供の頃の遊びには妙に共通点があるはずだ。男の子の場合でいえば野球に没頭した世代、サッカーが盛んだった世代。世代によってはそれがプロレスごっこだったり相撲だったりするのだろう。多分僕より上の世代だったら「ちゃんばら」という選択肢も入ってくると思う。最近の子はどうしているのだろう。やっぱりテレビゲームなのだろうか。

 子供時代を過ぎると人間には「思春期」というものが待っている。異性への意識と共に芽生えてくる大人たちの世界に対する反抗心。この時期いわゆる「アウトロー」に憧れを持つ人も多いのではないだろうか。ただ大半の人間はその反抗心もいつの間にか消えてしまい、自分があれほど毛嫌いしていた「大人の社会」へ適合していくのである。しかし大人になって社会生活を営んでいる時にもふと若い頃の反抗心を思い出して懐かしい気持ちに浸る事がある。もっとさかのぼれば子供の頃の遊び。失ってしまった事を考えるというのは何とも残酷でもあり甘酸っぱい瞬間でもある。

 大半の人は舞台を見る時、日常の生活とは違った何かを求めるはずである。舞台上で、普通の生活が淡々と描かれているならばそれはきっとつまらないものになるに違いない。人は舞台に夢を託したり、日常の生活に無いものを期待したり、ときめきを期待しているのである。そして舞台によっては自分と舞台の上の役を置き換えて、あたかも自分が芝居の中の人物であるかのような気になる事もある。幸せな錯覚である。

 さて「KUNISADA」である。国定忠治という人物は子供の頃の夢がそのまま育ったような人物である。今で言えば「地方やくざの親分」であるが義理人情に富み、農民にも人気があるという絵に描いたような任侠道である。そして彼は時代の変化についていけずに、最後は死罪になってしまう。その間には「ちゃんばら」も有り、舞台としては楽しませてくれる要素がそろっている。それに加えて国定忠治を演じるのは稀代の役者、市村正親である。ここまでそろえば面白くないわけないだろう。

 しかしこの「KUNISADA」、はっきり言って面白くないのである。何かで読んだのだが、舞台に限らず面白くないものを見た時には「なぜ面白くないか。」を考えれば面白いのだそうである。で考えてみたのだがあまり思い浮かばない。登場人物は誰もが知ってる国定忠治だし、それを演じる役者さんも一流、そして男の子なら誰もが憧れた事があるであろう「ちゃんばら」と「アウトロー」。素材としては一級である。じゃあなぜ面白くないのか。やはり脚本と演出のせいなのか。

 脚本はお世辞にも魅力的とは言えない。護送中の忠治を中心に回想という形でその生涯を描いていくという手法はしばしば用いられるのだが、どうも話がうまくつながらない。それに加えて忠治の周りの3人の女の描き方が中途半端で、魅力的な人物像が描き切れていない。3人の女の魅力が描ききれないという事はその3人の女を夢中にさせた忠治の魅力もまた描き切れていないという事になってしまう。また主人公の魅力というのは主人公に相対する存在があってさらに光ってくるのである。これがうまくいった例が「レ・ミゼラブル」だろう。バルジャン&ジャベール、アンジョルラス&マリウス、エポニーヌ&コゼット。計算された対比の妙である。レ・ミゼラブルだけでは無く、「ファントム&ラウル」や「シンバ&スカー」等のように絡みの妙で魅力を増大させている例はたくさんある。

 しかし、「KUNISADA」の場合は国定忠治に絡む役というのは3人の女以外はほとんど無いのだ。最後におまけのように敵役も出てくるのであるが、本当に「最後だけ」である。そして暗転を多用した演出。これだけ暗転が多いと何となく集中力もとぎれてしまう。確かに市村さんの任侠姿は見ていてかっこいいし、様になっているのだが、少なくとも僕にはそれ以外の魅力は感じられない舞台であった。楽も近い(10月11日が楽)土曜日のマチネだというのに客の入りが8割位というのが正直な感想だと思う。


 最近の「マイ・ブーム」は「ミス・サイゴン」です。日本語全曲版をやっと手にいれまして、毎日聞いています。特に本田さんとほのか様の「今も信じてるわ。」はリピートかけて聞き込んでいます。また見たいですね、市村エンジニア。是非とも再演して欲しいものです。あと「KUNISADA」を見た帰りに衝動的に買ってしまった「エリザベート」の宝塚版。日本語のエリザのCDが欲しかったので買ったのですが、しっかりと「舞台の後の部分」も収録されているんですね。本編だけだと思っていたのでちょっとびっくりしてしまいました。

(99/10/11)