麦草峠2001 -九死に一生スペシャル-
2001/9/22から2001/09/24に行われたBD CyclingMLのオフ会「麦草峠アタック2001」に参加してきました。

衝撃

そのときのことを今でもよく覚えています。

コンクリートブロックにぶつかるとき、まず私のヘルメットがあたりました。

ヘルメットにはバイザーみたいのがついています。

これが一番出っ張っているので、これがまずぶつかりました。

このバイザーはとりはずし可能なもので、衝撃でバネのようにしなったあと、どこかへ飛んでいきました。

そのあと、ヘルメット自身がぶつかりましたが、バイザーがバネの役割をしたためか強い衝撃はありませんでした。

次に、スポーツグラスがあたりました。そのあと、鼻は低いためか幸いにしてあたらず、唇がカツンと当たりました。

そして、顔の両脇に顔を守るように沿えていた手が、全ての体重が乗った状態で叩きつけられました。


カララララララ・・・・・


車輪が回る音が聞こえます。

僕はとにかく腕痛くて、動くことができませんでした。

声も出ません。やっと発した一言目は

「痛てぇ、痛てぇ、、」

でした。

後ろから「にちさん、大丈夫ですか!!」

と声が聞こえます。それはミキさんでした。私の後ろに走っていたのはミキさんだったようです。

私は「大丈夫です」とか言いたかったのですが、とにかく声が出ない。出そうとすると「痛てぇ」しか出ない。

起き上がろうとしても動けない。両手が動かない。自分の全てがコントロールできないのです。

幸い、腕の柔らかいほうを外側にして倒れたため、骨が折れているようすはありませんでした。

顔を覆うように倒れたら確実に折れていたでしょう。

なんどかミキさんが私を呼ぶ声が聞こえます。

やっと腕に力が入るようになり、私は起き上がりました。

「にちさん、大丈夫ですか?」

「腕が痛いですが、頭は打ってないので大丈夫です。」

「そうですか〜、ああ、よかった!少しやすみましょう。」

ミキさんは、とりあえず休んで落ち着いてから行きましょうといってくれました。

それから自転車を起こして車道から歩道に移してくれました。

私は全然そこまで頭が回らず、やっと自分で考えることができはじめてから考えたことは、

「なぜ、転んでしまったんだろう」

それだけでした。なんかそれをブツブツいっていました。

ミキさんが、後輪が砂利に乗ってしまいスリップしたと説明してくれました。よくあること、と慰めてくれました。

私は、とにかく事故を起こしてしまったこと、(ケガもないので事故っていうとオオゲサだが)それがとにかく悔やまれて仕方がないのでした。

事故が起きたことで、私の今回の麦草峠、そして参加したみんなの麦草峠が汚されてしまった、

そう考えていました。


もう走りたくない

ミキさんがおのさんに連絡を入れてくれました。電話は便利です。これで少しゆとりを持って休むことができました。

転倒の際には分からなかったのですが、私は下半身をかなりアスファルトにぶつけ、更にこすっていたようで、

レインウェアのズボンは穴が空き、下地の黒い生地(ゴアテックスなのだろうか?)が見えていました。

また左足の付け根を強くぶつけていたらしく、そこは体の中で一番痛い部分でした。

上半身のレインウェアは特にきずはありませんでしたが、もし私がレインウェアを着て居なかったから、全身大きなスリキズを負うことになったでしょう。

そう考えると、高かったレインウェアはもったいなかったですが、おかげで命のシールドとなってくれました。


カンカンカン、、と踏み切りの音が聞こえました。

目的地である駅はもう近いようです。あと少し下るだけならもう大丈夫かな、と思ったので

「もう大丈夫です、いきましょう」

と言いました。そのあとは5分もしないうちにみんなが待つ駅前の交差点につきました。


ミキさんからの電話でおのさんが聞き間違えていたらしく、待っていたみんなはミキさんが転んだのかと思っていました。


ここからどうするか、野辺山にある今回の宿「こっつあんち」まで自走するか、目の前にある松原湖駅から自走するか、

ときかれました。私はみんながまだ話しあっていて、みんな自走するつもりなんだと思いました。

しかし、私の気持ちは

「もう、走りたくない」

でした。とにかく体が痛くてそして疲れていて、気持ちとしてもとにかくブルーで、

今はただ宿について休みたい、その一心でした。


実際に輪行組と自走組をわけたら半々くらいでした。

自分ひとりだったらどうしようと思っていたので、助かりました。

かぜはるかさんやこぐさん、吉田さんも輪行組だったのは驚きましたが、一度こっつあんちに行ったことがある人が輪行組だったのはとても助かりました。

松原湖駅は無人駅で、民家の中にある下り坂を下りていくと駅のホームが突然現れるという不思議な風景でした。

私はしびれて力が入らない両腕でなんとか輪行袋に収め(全部入らなくて、ぶかっこうだった)、小海線の電車に乗りました。


こうして、僕の麦草峠は終わりました。

〜あと、もうちょっとだけ続く。