日々是平穏
2002/01 前半

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1月11〜16日 木曜日

インフルエンザの為お休み


1月11日 金曜日 授業 1:医療概論 2:鍼灸理論 (出席停止)
「そりゃ熱も出る訳だ:本日午前4時に39.8度を記録」

 トップで告知致しました通り、店主橘はインフルエンザに罹患してべろべろです(爆)>あの夢は半分から正夢になってしまったということで……

 皆様もどうか、手洗いやうがいなどをご励行下さい。何となくかっこわるいし面倒ではあるけれども、簡単で、しかも効果の非常に高い予防法です。その他にも、部屋の空気をこまめに入れ換える、部屋の湿度を高める、時間があるなら今からでも予防接種を受ける(抗体が出来るまで一月掛かりますが、これから流行していく所でしょうから、無駄にはならないはずです)など、様々な予防法がありますので、可能で有ればどうぞお試し下さいますよう。嗚呼、何となく医療系(爆)
 また、何分こういう状態ですので、日記の更新もしばし滞ると思われます。どうぞよしなに。
店主拝


1月10日 木曜日 授業 1:経絡経穴概論 2:灸実技 (全休)
「いきなり病欠」

 目が覚める。尋常ではない熱を体に感じる……あの後、余程悪くなったのだろう。何とかして体温を測ってみると、41.5度もあるではないか。上体を起こすだけでも激しい眩暈を感じる。とても辛いが、寝起きで強い尿意を感じるので、壁に手をついて、這うようにしてトイレまで辿り着き、用を足す……赤い。薬を飲んで何となく赤黄色っぽい、というのではない。めいっぱい赤い。これが噂に聞く血尿という奴か。愕然として便器を眺めていると、鼻血がぽたぽたと滴り落ちてきた。恐らく、高熱の所為で毛細血管が弱くなっているのだろう。見れば、指先も、白目も、あちこちで毛細管が破裂して赤くなっている。「ああ、相当アカンなぁ、これ。何日入院かなぁ、入院したらどれ位授業から遅れちゃうんだろう。イヤそもそも、命にも別状がありそうだよなぁ、これ……」と、朦朧とする意識の中で、妙に冷静に考えていた──という所で目が覚めた>大人は夢オチを多用しません。まぁ、本当にこういう夢を見たんですが 本当に夢で良かった。気を取り直して熱を計れば、38.4度と普通の風邪の熱でひとまずは安心。安心はすれども、無理をして学校に行ける体調ではなさそうだし、どうせ休むなら一日で済ませて置いた方がよさそうなので、ベッドの中からクラスメイトに病欠の旨のメールを送って寝直す。

 さて、皆が仕事に出かける時間になった。無駄に広い自室は今ひとつ暖かさに欠けるので、誰もいなくなる昼間だけ、居間のホットカーペットの上に布団を敷いて、目一杯暖かくして過ごすことにする。毛布の上に重い布団を掛け、湯たんぽを入れ、とどめに風門に温湿布を貼って準備完了。布団に潜ると程なく汗が出てくる。この調子で汗を掻いておけば、全快とは行かないまでも程々に体調を回復させることは出来そうだ。特に背中の湿布が効果が大きい。暖かくて……イヤ、熱い。調べてみると、使用期限を豪快に過ぎている。薬品が変質して、温度を適当に保てなくなっていたようだ。汗を目一杯吸い取ったTシャツと一緒に剥がしてしまう……シップの形に背中が真っ赤になっていた>教訓:使用期限を過ぎた薬品は使わないようにしましょう その後もTシャツを3回着替える位に汗を掻いて、かなり調子は良くなった模様……まだ油断をすれば幾らでも悪化しそうではあるが。

 夕方、電話で目を覚ます。聞けば、甥っ子二人がこの後預けられに来るので、風邪を伝染さないよう、さっさと支度して上で寝ろとのお達しであった。優しい伯父様的にも、可愛い甥っ子に風邪を引かす訳には行かないので、食うものを食って薬を飲んでさっさと自室に退散する。さて、明日までに学校に行ける程度に体調が回復するか……。


1月9日 水曜日 始業式
「橘屋風邪を引く」

 珍しく目覚ましで目が覚めて、5時半起床。多少眠いものの、比較的良い目覚めである。しかも今日は始業式でいつもより始業が30分遅いので、渋谷まで一本で行ける電車(0724籠原発)に乗ることが出来るので、のんびりとした朝を過ごす。いつもこうなら良いのだが……。池袋で目が覚めるまでぐっすりと寝込み、9時一寸前に学校に到着。
 教室には、式開始まで時間があったが、徐々に人が集まりだしていた。皆さんお元気そうで何より。結局返信すべき年賀状を作らなかったので、年賀状を下さった方に片っ端からご挨拶する内に式の時間。理事長兼校長の挨拶が比較的あっさり目(それでも15分掛かったが)で、式の後のHRも連絡事項が少なくてあっという間に終わる。早く終わるのは良いことだけれども、早く終わり過ぎてしまって、カンティプールの開店まで随分時間がある。今日の所はカンティプールは断念して、秋葉原遠征に予定を変更する。折角の臨時収入の後で、色々買いたいものはあったのだが、どれもこれも踏ん切りをつけるには値段がやや高めかつ緊急性の乏しいモノばかり。結局、冬コミで買い逃した同人誌と、在庫が不足しつつあったCD-Rだけを買って帰る……こういう「余り気にならない細々とした散財」を切りつめていけば金も貯まるのだろうが。

 上野からの帰りの電車、籠原直前で目が覚めると、一寸寒気を感じる。典型的な風邪の兆候である。旧式の在来線の暖房(足だけむやみに熱い。しかも乾燥する)に当たりながら寝ていたのが良くなかったらしい。「明日から学校なんだから、症状が悪化する前にしっかり治しちゃわないとなぁ」と「とんふみ」でとんかつ定食\800を食らって栄養補給をし、さっさと帰ってベッドに潜り込む。が、晩飯を食うべく起きると、寒気が強くなっている。魔都秋葉原で拾ってきた風邪だけにタチが悪かったようで、初期段階で阻止することに失敗したらしい。次第に体温が上がり、喉が痛くなっていく。背中の経穴「風門」(風邪の時に反応する経穴で、ここを見れば風邪を引いてるかどうか分かる)に強烈な寒気を感じる。こうなってしまったからには、ある程度熱が出る所まで悪化しないと治らないだろう。中途半端に熱を抑えることは漢方的には非常に宜しくないことなので、それ以上薬を飲むでもなく、そのまま朝まで寝続けることにした……布団から出たら、寒気に襲われて余計に体調が悪化しそうだから、でもあったのだが。


1月8日 火曜日 冬休み残り:後1日
「支度。」←作文の練習宜しく、タイトルを付けてみるテスト。

 9時起床。明日から始まる学校に備え、今日の内に片付けられることを処理しておかなければならないので、二度寝をしないように布団から出てしまう……布団から出ても布団の上で危うく寝込みそうになる。何とか堪えて身支度しながら部屋を見渡すと、今ひとつ購入意欲が減退し出している漫画が山積されているのが目に付いた。「部屋の片付けにもなるだろうし、何より金が欲しい……」と、纏めて古本屋に売っ払ってしまうことを思い立つ。それでいて、売るべき漫画を選定する段になると「ああ、やっぱりこれは売りたくないなぁ、これも思い入れあるし……」と悩み始めてしまうので始末に負えない。支度自体は9時半には終わっていたのに、選定と荷造りに時間が掛かり、家を出たのは10時半過ぎにずれ込んでしまう。

 新学期をよりさっぱりした気持ちで迎えるべく、まずは床屋へ。冬コミの直前に刈ったばかりではあるが、スポーツ刈りは伸びが目立つので、この際刈って貰うことにする(刈って1週間位が旬、2週間もすると段々もたっとした感じになってきて、3週辺りで床屋へ、というのが通常。毎朝髪型に手を入れるよりは、この方が効率がよい、というのが持論なので)。今日はなかなか巧くいった模様。チーフの人も手直しをせずすんなりOKを出してくれて、弟は満足そうな表情だった。
 床屋の後は、みちケンさんから振り込まれた先日のパーツ代を引き落としてから初詩知里屋。昼休みで奥さんがいらっしゃらなかったので、お年始のご挨拶をすることが出来なかったのがちょっと残念。近日中にもう一度赴いて、改めてご挨拶申し上げる次第。
 さて、膨れた腹を抱えて古本屋。実のところ、古本屋では本を買うばかりで、これだけ纏めて売るのは殆ど初めてだったりするのだが、思ったよりも高い値段で買い取って貰えてびっくりした。お陰で、月明けに控えている新しい携帯の買い換えも問題なく出来そうである。まぁ、理想を言えば、コミック類は作者に対する報酬や続きへの期待料として新書を買うべきで、そういう意味ではこういう所謂「新古書」は良いモノではないのだろうが、かといって借金生活をよしとするよりはナンボか健全なのではないか、と納得することにする。鍼灸院の近くの本屋だったので、一寸足を延ばして先生にご挨拶をした後、故障したままになっているプリンタをヤマダ電機に預けてから家に戻った。
 部屋に戻ると、押さえていた眠気が一気に吹き出す。生活リズムの構築という点では起きていた方が良かったのかもしれないが、生理的欲求に逆らえず、さっさと着替えてベッドに潜り込んでしまった……こんなので明日から大丈夫なのか。夕方起こされ、晩飯の支度に駆り出され、食後にはパソコン指導やら、姉貴の按摩やらに駆り出されでゆっくり出来ず。

 姉貴の按摩も終わったので、暫く二階でまったりしていると、何やら下が騒がしい。降りていってみれば、一寸した用事で家に寄った弟が連れてきた甥っ子一号を爺婆が愛でていた。弟夫婦のアパートや、あちらのご実家では今ひとつ走り回ったり出来ないようで、ウチに来るとこれでもかと跳ね回っている。やはり、子供は動いてこそナンボ、本当に楽しそうで、優しい伯父様としては自然と表情が緩んでしまうものである……一番嬉しそうにしているのは、やはり爺様であったが


1月7日 月曜日 冬休み残り:後2日

 今日も起床は15時前後。のそっと起き出して半纏を着込んでから、パソコンを起動して昨日の続きに没頭。アドベンチャーの類は勢いが肝腎……トリ頭がシナリオを記憶出来ないが為に、根性なしに長時間のプレイに耐える集中力と忍耐力が不足している為に、短時間で済ませてしまわなければならないからなのだけれども。晩飯もさっさと済ませて夜半まで掛かりっきりで、やっとコンプリート。……こんな時間の掛かるゲーム、学期が始まる前に一段落着いて良かった……月姫&歌月十夜。本当に面白かったです。早くやれよ、藤原ー(笑)

 明日、床屋にでも行ってさっぱりして新学期を迎える予定。始業式が終わった後はカンティプールでカレーを食って。3週間弱の休みとさっぱり訣別して、また、いつも通りの学生生活に戻ろうと思う。今の調子で遊んでいたいのも山々だが、こんな後戻りのしにくい道を突っ走り始めてしまった以上、最後まで走り抜けなければならないだろうから……というか、もう追試は勘弁(爆)


1月6日 日曜日 冬休み残り:後3日

 ……龍さんから電話を頂いたような気もするし、トイレに行く為に起きた気もする。が、その都度布団に舞い戻ってしまい、しかもこういうときに限ってなにやら豪勢な夢を見てしまう。結局「起きる為に」布団から這い出たのは15時頃だった。それも、姉貴に「洗濯物しまっといて。しまってくれなかったらお年玉上げない」と脅迫されてなのだが。半纏を着込んで表に出ると、少し風が冷たい他はいい天気であった。世間的にも日曜日で、こんな日に表に出てしまったらそれこそ人混みで大変な目に遭おう。ごろごろしていて正解なのだなぁ、と洗濯物を取り込みながら思った。洗濯物を取り込むと、程なく伯母が年始にやってきたが、生憎私以外誰もいなかったので、線香だけ上げてさくっと帰っていった。誰もいなくなり、するべき事も思いつかなかったので、再び布団に戻って読書を開始。次第に眠くなってきたので、自腹を切って3000円で買ってきた読みかけの本が折れたり涎が掛かったりして痛まないよう、枕元の書棚に戻してから寝直した。

 夕方、再び姉貴の電話で目を覚ます。「おかずを買って帰るから、お米を研いで炊いておいて。炊いてくれな(以下略)」と言われては起きない訳にもいくまい。朝飯はおろか、昼飯も食っていないので腹が空いて空いて仕方無いが、御飯がなければ晩飯にもならないので、計量カップで3合をきっちり計って、ごりごり研ぐ。冷たい水で目が覚めたので、部屋に戻って借りているゲームを始めてみたり。  晩飯を食らった後、「新・クイズ日本人の質問」と「利家とまつ」を見ながら姉貴の按摩・指圧・マッサージ。家庭教師の職もない現在、安定した収入はこれのみである。「肩揉みをしてお小遣い」というのも小学生のようだし、相手が姉貴というのもどうよって感じなのだが、手が鈍らないよう訓練を続ける必要があるし、何よりアルゼンチンも真っ青の財政状況では致し方有るまい。たっぷり45分程かけて背中から足、最後に肩と腕を揉んでおしまい。普段は、30分の拘束で一番でっかい硬貨を一枚渡されるだけなのだが、今日はポチ袋の中で夏目先生が分身していた。……そういや、お年玉をくれるって話になってたっけか。断る理由なぞどこにもなく、有難く頂戴する。
 ちなみに、今年の大河ドラマ、按摩をしながらながらで見ただけではあるが、それなりに「面白くなるかも」と思わせてくれたのは収穫と言えるかもしれない……今後見続けるかどうかは、日曜のこの時間に暇があるかどうかに大いに依存するのだが。これだけ時代劇が廃れてしまった今となっては、台詞や情景の考証が完璧な時代作品など既に望む術はない。況や、1年という期間が決まっていて、それに合わせて制作をする作品では言うまでもないことだろう。曰く「この時代の人はこんな喋り方する訳無い」だの「セイタカアワダチソウは江戸時代には渡来してない」だの「そんなフォームで矢がまっすぐ飛ぶかボケ」だの──ならばせめて、活気ある時代の中で生きた人々の生き様を生き生きと描けていて、しかも皆が見て楽しい作品になっていれば、それはそれで成功と言えるのではないだろうか──などと、とりとめもなく考えてしまうのだった。……弓はちゃんと引いて貰いたいが>元弓道部

 風呂から上がった後は、夕方始めたゲームを延々と続ける。9日から学校が始まるのだから、そろそろ正常なリズムを作っていった方がいいような気もするのだが、よくよく考えたら、学期中もいい加減に寝て、いい加減に起きている。余り気張るよりは、自分らしくリズムを作っていった方がいいだろうし、学期が始まってからゲームにハマるより、今片づけて置いた方がいいだろう……などと言い訳をしつつ、未明までパソコンに向かっていたのだった。


1月5日 土曜日 

 8時過ぎ、のそのそと起床。そのままのそのそと支度をして、のそのそと飯を食っていた為に、家を出るのが遅れる。昨日の日記通り、みちケンさんのパソコン(橘屋昇龍軒ブランド)を復活させる為に、龍さんと秋葉原で待ち合わせになっているのだ。信号から電車の時刻まで、有難いことにことごとく上手く流れ、辛うじて時間内に合流に成功する。
 合流後、まっすぐショップへ。マザーボードとそれに付随して必要になるものを購入。あらかじめ買うべきものに目星をつけていったので、買い物を始めて20分程で買うべきものが揃ってしまう。そのまま帰っても今ひとつ面白くないので、CDショップやら同人誌屋やらを巡って散財。臨時収入で財布が潤っていて気が大きくなっていて、アニメ版ホームズ(宮崎ホームズと称されるアレ)の2巻を衝動買いする。この調子でふらふらしていると帰りの電車代まで使いかねないので、ほとばしる物欲に後ろ髪を引かれながら秋葉原を後にした。

 籠原駅前「とんふみ」で、ランチのとんかつ定食に舌鼓を打ってから、15時頃から作業を始める。龍さんのご活躍で1時間弱で無事完成。私が無駄な口出し・手出しをしないで、ほぼ全てお任せしていたのが功を奏したのではないかと思われる>少しは任せっぱなしで済まないとか思いなさい 無事に稼働してくれたので(前回はそもそも電源が入らなかったので、HDDに異常があるかどうかも調べられなかった)一安心。ただ、色々とセットアップし直したので、強制終了が続いておかしくなりつつあるシステムに更に負担が掛かった模様。みちケンさん御自ら再セットアップをして貰う必要はありそうだ。作業が済んだので、冬コミ以降体調が優れない、喉も痛いとおっしゃる龍さんに、指圧・按摩・マッサージに鍼灸とフルコースで施術。

 戦い終わって日が暮れて、いつもの通り、鐘庵で晩飯を食らった後、激しい眠気と戦いながら、龍さんを東松山までお見送りして、22時頃帰宅した。どうして無事に帰ってこられたのか不思議になる位に眠かった……コレで帰ると不思議と眠くなくなるから不思議である。夜は作業をしながら、ずっとホームズのDVD(というか宮崎監督が演出や監督で携わった「海底の財宝」「ドーバー海峡の大空中戦」「ねらわれた巨大貯金箱」の三作)を流し続ける。やはり、好きなモノは何度見ても飽きないものだなぁ、と思う。折角なので(?)同じく宮崎ファンの藤原に自慢してみたり。

追記:問題の宝くじ、見つかりました……何と電子レンジの中、しかもターンテーブルの下にわざわざ隠されてました(ラーメンその他の調理用に、下宿していた頃に使っていた奴を部屋に置いてます)。宝くじの賞金は非課税なのに……勿論、大方の予想通り3000円が300円にしかなりませんでしたが。嗚呼、私の三億円>現実を見据えなさい


1月4日 金曜日 

 今日も昨日同様一日寝正月でいこうと思ったが、仕事柄一日遅れの正月休みの弟夫婦が、地元の大規模ホームセンターに買い物に出かけたいとかで甥っ子二号を置き去っていったので、世話を焼くために叩き起こされた。姉貴は朝から菅平にスキーに行っている……こういう時に限って。冴えない表情で居間に降りていくと、「コレでやる気出しなさい」と言わんばかりに母親から封筒を渡される。中にはポチ袋が三つ。我々が花園で雪に降られている頃に、年始回り先の叔父叔母の家で貰ってきたという、私の分のお年玉であった。25にもなってお年玉も恥ずかしいモノだが、バイトも出来ずアルゼンチンも真っ青の財政状況故、喜んで頂戴する。……ちなみに、封筒をよこした本人からのお年玉はなかった。この人もなかなか肝が据わっている。

 歯を磨いて、顏と手を洗ってから甥っ子の相手。相手といってもまだ生後一月半、泣き出さないように抱っこしている位しか出来ない。しかも、両親が抱いてあげてばかりいると思われ、布団の上に降ろそうものならたちまち機嫌が悪くなるので、抱っこしたまま一時間、絶え間なく動き続けることに。毎日の按摩で鍛えられた腕力・握力だと握り潰してしまいそうで、柔らかく、柔らかく抱くよう気を遣い続ける。親になるって大変なんだなぁ、と暫くは必要のなさそうな心配をしてしまうのであった。

 買い物を終えた弟夫婦が甥っ子を回収して行ったので、ようやく一息。昨日中途半端で終わっていたセットアップの残りを片づけながら、新日本プロレスの試合を見ていると、龍さんから電話。お互いプロレス好きなので、話に花を咲かせていると、不意に、氏と一緒に組んだ橘屋昇龍軒ブランドPCの修理がまだであった(先日の会合では修理の原因を特定するに止まっていた)のを思い出した。早い内に修理をしておかないと、北見から戻ってこられるみちケンさんに、こちらで寂しい思いをさせてしまう。明日の予定を伺ってみるとうまい具合にお休みで、一緒に秋葉原に出て必要なパーツを仕入れ、余裕があったら組み直して貰う事になる。

 特にすることもなくなったので、年末修羅場の中で遭難したままになっている年末ジャンボ宝くじを探すことにする。当たっているはず(希望)のアレが発見されれば、明日はウハウハで買い物が出来るはずなので頑張って探すが、やはり見つからず。あまつさえ、掻き分けた諸々の品々の下に通学定期が埋もれて二重遭難状態に陥りかける>大人は現実を直視します。そもそもそんなに部屋を散らかしません それでも「三億見つけてウハウハで明日は秋葉原に出るんじゃあ」と怪気炎を上げていると、ちょうど電話してきた藤原から「仮に見つかって、更にゼロに近い確率を跳ね除けて当たっていたとして。明日は土曜で一勧も休みだろうに」と鋭いツッコミが入る。更によく考えたら、そもそも高額当選は確認に何日か掛かるので明日即ウハウハになることはあり得ない。いろいろな意味でがっくりして捜索を中断……多分、半年くらい経ったらひょっこり出てくるだろう。引き替え期限中に出てくることを切に祈る。


1月3日 木曜日 

 目が覚めると表はまだ暗い。時計を見るとまだ6時である。「休みであっても、体は無意識のうちに学校に行こうとしているのか……私、そんなに学校が好きだったのかなぁ」などと思ってテレビを点けると、どう見ても夕方にやるような番組がやっている。6時は6時でも午後の6時だった。漫画のようなオチに愕然とする。起き出して、本当は昼間の内にやっておこうと思っていたマシンの再セットアップを進める。途中、晩飯を食ったり、姉貴の按摩をやらされたりしながらでなかなか進まず、結局テレホタイムまでずれ込んでしまう。必要なファイルをDLしては、インストールして再起動をかけ、またDLして……と繰り返している内に時間ばかりがどんどん過ぎていく。一通り終わって息を吐けたのは3時過ぎであった。


1月2日 水曜日 

 私は東京ドームのベンチに座っている。ファイターズの監督だからである。バッター小笠原、ピッチャー三都主(清水エスパルス)の投げた外角ちょっと外をかすめるかかすめないかの球を見送ると、ストライクの判定。駆け足でベンチを飛び出して「今のはオフサイドだろう?」と主審の芝田山親方(元大乃国)に猛抗議したがなかなか聞き入れられない。「まぁ時間も押していますから」と、ヘッドコーチの竹中直人になだめられてベンチに戻る……という所で、激しく怪しい初夢から覚めた。初夢はその年を占うものだと云われるが、この極端に支離滅裂な内容は一体何を暗示しているというのだろうか。

 今日は藤原と、高校時代に同じ部活だったタナカの家に遊びに行く事になっている。低電圧で鳴らす藤原を確実に起動させる為、迎えに行く2時間前に電話をすると、案の定寝ていた。お母上が起こして下さると仰有って下さったので、安心して家事を済ませて1時間前に出る。少し余裕を持って藤原宅に到着出来たので、お茶を御馳走になりつつしばし談笑。

 14時過ぎ、タナカ家に到着。今日お邪魔するのは、昨年お亡くなりになったお母上に御線香を上げさせて頂く為。格別に深いお付き合いがあった訳ではないが、教員採用試験の前、教員であったお母上に暖かいお言葉を掛けて頂けたのがとても印象に残っているからである。で、どうせ行くなら「一人より二人がいいさ」(C サンバルカン)と藤原を連れて行った次第。御線香を上げ、また茶を飲みつつしばし歓談。先日のコミケでは私と藤原が別ブースに張り付いていた為、三人でゆっくり話が出来なかったので、途中近所のガストに河岸を換えつつ、長々と話し込んだ。

 夕闇迫る中タナカ家を辞し、藤原を送る前に我が家に向かう……が、我が家に着くや否や、藤原が道中どこかで自身の鞄を忘れてきたことに気付く。職員証やら生活費やらが入っているらしいので放置プレイという訳にも行かない。レシートを頼りにガストに電話をしてみると、無事(?)鞄はあった。抑えておいて貰えたので、まずはご用意されている晩飯をフイにしない為(お父上もお帰りになって居られるそうなので)藤原の実家に向かい、食事の後に回収に伺う事にする。ご用意頂いた鍋を、藤原のご両親、弟君、藤原と私の五人で突っついて腹一杯になるまで喰って、休憩もそこそこに先ほどのガストへ車を走らせる。が、こんな日に限って途中で雪が降り始める。折からの強い風に煽られて地吹雪のような状態。何とか無事にガストには辿り着けて、荷物は無事に回収出来たが、このまま帰ると色々と危険そうである。大事を取って、そのガストで休憩を兼ねてしばし様子眺め……をしていると、雪は更に強く降ってきた。部分的には積もり始めていて、時間を遅らせるほどアカン事になりそうである。すり減り気味のスタッドレスを頼りに強行帰宅。熊谷に近づいた辺りで雪が止んでくれたのが救いであった。

 22時過ぎ、何とか藤原宅に到着。もう遅いので早く帰らねば……と思っていると、「ハイビジョンスペシャル・謎の都・飛鳥京発掘」なんて番組をやっている。藤原のご両親、藤原と四人、揃ってこの手の番組が大好き。あれやこれや話し込みながら見入ってしまって、ただでさえ遅い帰りが更に遅くなる。家に帰り着いたのは23時半頃であった。


2002年1月1日 火曜日 

 明けましておめでとうございます。相も変わらずいい加減な店主でございますが、ご厚情を以てお見捨て無きよう、何卒宜しくお願い致します。

 昨晩遅くまで起きていた事もあり、ご来光を拝むでもなく、昼過ぎまでぐっすりと休んでいた。「さっさと昼飯喰いやがれ」とお母んに督促されたので、起きていって年越しそばの残りを食べたあと、夕方まで、ごろごろしながらゆっくりと同人誌を読む。苦労をして本を出した後に読む他人様の同人誌はまた格別である。風も弱く、柔らかな日差しの暖かい穏やかな午後、大変、大変有意義に過ごす。
 ゆっくりと英気を養ったので、夜は日記やらウェブ上に上げる年賀の御挨拶などを作成しつつ過ごす。正月番組に特別見るべきものもないので、CDだけを掛けながらこりこりとキーボードに向かい続けて、テレホ前に何とか完成。ICQやチャットで会えた方には、御挨拶と共にURLをお送りして新年の御挨拶とした。

追記:郵政省経由で年賀状を下さった皆様、有り難うございます。……年末修羅場と家族の年賀状にかまけていて、そっち方面の年賀状はまだ作成出来てません(爆) 何とか明日明後日辺りで作ってお送りします。

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