日々是平穏
2002/03 前半

↑現在の日記へ↑
←←2002/01 後半へ 2002/03 後半へ→→
↓過去の日記一覧へ↓


3月15日 金曜日 臨床実習 (上級生の指圧実技を見学・体験)

 5時半起床。「学校がある」と思うだけで体がきちんと動いてくれるのは有難いことである。後は終業式の日以外は学校に来ないので、ロッカーに残っている実技の道具などを持って帰らねばならない。少しでも多くの荷物が入るよう、鞄の中を整理してから出掛ける。
 軽く雨に降られながら学校に到着。授業もなかったので黒板は殆ど使われていなかったが、コレをやらないと朝が来た気にならない。ひとしきり掃除してから、実習の支度を始める……鞄の中を見ると白衣がない。朝、鞄の中を整理したとき、鞄の容積を広げることに専念する余り、白衣を忘れてはいけないという重要事項が頭の中からすっぽり抜け落ちていたようである。余りの片手落ち具合にがっくり。クラスメイトのミヤジさん(元球児、体格よし)が予備の白衣を貸して下さると仰って下さったので、ご厚意に甘える。

 実技室に移動、漢方研究会の前会長について実技を見学。1年のアドバンテージとはこれほどまでに大きい物なのか、と感心しするやら恐ろしくなるやら。見学の後は、研究会の別の先輩の実技を受ける。45分間、じっくりと指圧を受け続けるのは大変気持ちが良いものだった。姉貴や祖父が顔を合わせると「あん摩してくれ」と云う理由が解ったような気がする。先生の鍼で楽になりつつあった腰も更に楽になった。こういう役得であれば幾らでも受けたいものである。もう少しこういう授業が増えてくれないものか。

 いつもの授業終了時間と少しずれて終わり、ちょうど良い時間に電車がないので(口実)、秋葉原を経由して帰宅。指圧が効いている為か、とても眠いので、帰るなり横になったのだが、目が覚めると既に23時であった。取り敢えず風呂から上がってから飯を食おう、と思っていたのだが、寝ている間に食べられてしまって、晩飯になる物は殆ど残っていなかった。電子レンジの上に転がっていた魚肉ソーセージを侘びしくかじりながらラグナロク。


3月14日 木曜日 自宅学習日(という名の休日)

 世間的には白い日らしいのだが、非常に侘びしくなるのでその方面の話題には触れないことにする。白だろうが黒だろうが関係ないものは関係ない>開き直りは見苦しいです

 寝て起きると10時過ぎ。頭に手をやると酷く寝癖が着いている。試験開けに刈ったきりのスポーツ刈りは、ぼさぼさとしていてさながらウニの様である。そろそろ床屋に行かなければならないのだが、こう休みが続くと、何か特別な動機でもない限り、なかなか外に出る気にならない>床屋は重要な動機でないのか プレイしているゲームが面白かったりすると尚更であり、一度表に出たときに色々纏めて片付けておかないと、それこそやるべき事が山積してしまう。幸い(?)今日は、マツモトキヨシにサプリメント(健康保持の人体実験として、ビタミン・ミネラル系を継続的に摂り続けている)を買いに行かなければならなかったので、その足で弟の勤める床屋へ。
 平日の床屋は空いていて、すぐに散髪台に案内される。準備にかかる弟に「明日は学校、月末には旅行も考えているので、短くびしっと決めてくれ」と頼んだら、「新しい旅行記だけでなく、以前のも読みたいから早く再アップすれ」と逆リクエストを食らってしまった。間もなく、弟の手で散髪が始まる。近々コンテストに出場するとかで色々練習をしているということだったが、寧ろそれが災いしたか(笑)、地味でかつ丁寧なテクニックを要求されるスポーツ刈りはなかなか上手くいかない模様。一通り終わってみると何となくまったりとしたスポーツ刈りが出来上がってしまった。本人も納得行かない表情で居たところ、お店のチーフさんにも色々と改善点を指摘されて、これ以上ないほどがっくりした表情で修正作業に取り組んでいた。お陰で非常にぴしっとした、理想的なスポーツ刈りが出来上がって私は満足であったが、弟は苦笑しつつも悄気ているのが一目瞭然であった。どうもウチの兄弟は表情に感情が出過ぎる嫌いがある。勿論、それはいいことでもあるのだけれど。

 床屋が終わって後は自由時間ではあるが、大分良くなったとはいえ、腰は未だ完調ではないので、プールも祖父のあん摩もなし。さっさと帰って、以後まったりとラグナロクをプレイする。夜まで続けても余り腰に違和感を感じなかったので、姉貴の指圧・あん摩だけはこなしておく。明日は学校で臨床実技なので、白衣を忘れないよう、鞄に仕舞ってから寝る。


3月13日 水曜日 自宅学習日(という名の休日)

 昼頃目が覚める……と同時に、腰に違和感を覚える。昨日のプールで頑張りすぎた為の筋肉痛、という訳でもなさそうである。取り敢えず、起きるのも億劫なのでこのまま寝ていようかな……と思っていると。

橘甥1号:まーちゃん、おきぇー。ごはん、たべゆー」

「父親のことを笑えないなぁ」と苦笑しつつ、痛い腰を押して起きる事にする。上体を起こしてみると、腰の緊張が臀部や下腹部の筋肉にも及びつつあるのが解る。筋緊張の所為で、お腹も重くて余り食欲もない。が、こんな日に限って昼飯が、親父が毎回買ってくるので今ではすっかり甥っ子の好物になってしまった近所の定食屋の焼きそば(脂っこい)。子供の目の前で食べ物を残すのは宜しいことでないので、頑張って全部食べる……まぁ、ウチの甥っ子は食欲旺盛過ぎる位だから大丈夫だとは思うのだが。座って食べている内に、次第に背中と腰の張りがきつくなってきた。お母んが用事で居なくなる15時以降、お父んと一緒に甥っ子の面倒を見ることになっていたのだが、そちらはお父んに一任して、先生の所で鍼を打って貰うことにする。お父んは「俺一人じゃあ大変だなぁ」とぼやいてはいたものの、やはりどこか嬉しそうな顔をしていた。流石爺馬鹿。
 お母んが(チャイルドシートの載っていない)カムリに乗って出掛けてしまったので、入れ替わりにカリブに乗って先生の所へ。シートが程良い堅さで腰への負担が少なかったのは有難いが、腰が沈まない分、高い座高を実感させられて凹む>ヘッドレストがネックレストになってました 私が着いた頃には他のお客さんは居なかったので、ゆっくりと施術して貰えた。大分張りが酷かったようで、足から背中にかけてばっすんばっすんと何本も鍼を打たれ、更にパルス通電も掛けられて、小一時間ぴくぴくしていた。
 流石に今日は、帰りがけに祖父のあん摩をしようとか、姉貴のあん摩をしようとかいう状態でなく、さっさと部屋に戻る。寝ているとき以外は、中途半端な姿勢で居るよりも、ぴしっとした姿勢で正座したり、椅子に座っていた方が楽であるようだ。夜のラグナロクも非常に正しい姿勢でプレイする。


3月12日 火曜日 自宅学習日(という名の休日)

 いつもより少し早く、10時過ぎに起きる。軽く昼食を摂った後、のそのそと着替えてプールへ。最近背中が張り気味なので、ゆっくり歩いたり泳いだりして、全身の緊張を緩める為である……私にもマッサージをしてくれる人がいればいいのだが。
 程良く疲れてプールから上がった後、ひとまず先生の所に寄って軽くパソコンを教えてから、祖父の家に赴くと「あん摩とマッサージだけで良いよ」と頼まれる……余りお灸が気に入らなかった模様。暫くはマッサージとあん摩メインでいくことにする。夕方、今度は祖母のあん摩を始めようと思っていると、姉貴から「馬車道で晩御飯だから、現地集合。さっさと来い」と電話が。祖母のあん摩は後日必ず、と約束。
 現地集合、といった割には私が先に到着してしまう。のんびり漫画の単行本を読み始め、1/3程読み終わった頃に父母と姉が到着。今日は我が家の青色申告が終わったお祝いとのことだが、特別何が出るでもなし。応対に出たウェイトレスさんが、すらっとしていて、あの制服がよく似合う人だったので満足>料理の方は良いのか
 帰宅するなりあん摩のリクエストを受けたので、背中から足にかけて施術したが、「この間30分だったのに1000円払ったじゃない。だから今回は無し」といなされてしまった。以降まったりとラグナロクオンラインに興ずる。


3月11日 月曜日 教育講座(麻薬撲滅キャンペーン)

 今日は「教育講座」というお題目の下、麻薬撲滅に関する講演を聴かされることになっている。時間の読めない電車に乗るのがイヤなのと、ナガイ先生に「月曜日は遅くとも9時半までに来ていて下さい」と言われていたのとで、いつも通りに起き、いつも通りにカレーで朝飯を食って、いつも通りに家を出た。その甲斐あってか、講演会の始まる1時間以上前に学校に着いてしまう>講演会の開始は10時だった 当然教室には誰も居ない……というか、鍼灸本科のフロア全体にすら人が居ない。仕方がないので、卒業式の控え室に使われっぱなしで汚い教室を掃除したり、黒板を綺麗にしたり、オオバ先生に捕まって講演会の会場設営を手伝ったり。

 さて、10時に講演が始まったはいいが、コレがまた強烈につまらない。イヤ、麻薬に関する知識には興味があるし、そういう話やビデオは楽しかったのだが、その後に出てきたライオンズクラブの親父の話が、怒りを覚える程つまらなかった。地域の名士面して出てきて、言葉の端々に傲慢さというか、独善偽善が感じられて、すぐ本筋から逸れて、小学生でも解るようなことを何回も繰り返し言って、放っとくといつの間にか自慢話を始めて、講演のタイムスケジュールを無視して。どうしてこういう親父の話はこう、長いだけで実がないのか。本当に麻薬を撲滅したいなら、こういう親父を連れてくるべきではないと思うが、如何なモノか>警視庁殿
 聴衆の興味を殺がないように、解り易く楽しく話す事の難しさを改めて感じつつ、「私はこんな事で無駄な時間を費やす為だけに、5時半に起きて2時間かけて学校に来たのか」と凹む。

 予定より30分遅れて学校が捌ける。渋谷駅にて待ち合わせをしていたお友達のはぐさんにおつきあいして、新宿ヨドバシカメラにてお買い物の後、ロッテリアにて、はぐさんのおごりで昼飯。おごりに対しては遠慮をしないのが、相手の厚意に応える最良の方法と信じる私は、各種バーガー4つ、鶏の唐揚げにポテト、ドリンクと、満腹になるまで頂く>ちょっとは遠慮しろ
 渋谷発1321の湘南新宿ラインに乗れたので、3時過ぎには家に戻れた。以後、ラグナロクをやったり、昼寝したり、姉貴にあん摩したり。


3月10日 日曜日

 目下毎日が日曜日なので、私にとっては特別に何かがあるというわけではないが(>社会人から呪いのオーラが感じられます)、一般の社会人の皆様の多くはお休み。折角お休みなので、前回の施術から日も開き大分お疲れ気味の龍さんに、実験材料として東松山までおいで頂く。懸案の一つだったルータの設定が非常にあっさりと終わったので、思いの外早い時間に施術を始められたが、疲れの「質」がいつもとちょっと違う感じで(どう違うんだ、といわれると非常に説明に困るのですが)、どうにも施術が上手く対応しきれない。結局、終始今ひとつ満足行かない仕上がりで無念。多少上手くなったようなつもりで居ても、こういう所で経験不足が露呈する辺りまだまだ修行が足りないなぁ、と痛感・反省。ただ、施術者が「今日はダメだった。てへ☆」とか言う訳にもいかない(>施術者じゃなくても言うな)ので、一人、次回の雪辱を心中に期するのだった。
 目一杯お疲れの龍さんにはそのまましばし寝て貰う。とてもぐっすりお休みなので起こすのも忍びなく、3時間ほどそのまま寝ていて頂きつつ、ゲーム(「ラグナロクオンライン」というネットゲーム)をして時間をつぶした。20時前に起きて頂いて、例の如く松庵経由でお見送り。牛丼(並)と掻き揚げ丼(小)におにぎりまで食ったのだが、何となく食い足りなかったので、龍さんを東松山で降ろした後モスバーガーに寄ってバーガー2個にオニオンフライを買い込み、運転しながら頬張りつつ、帰途に就いた。明日は久々の学校なので、ゲームも程々にして2時頃寝る。


3月8・9日 自宅学習日(という名の休日)

 ……小ネタで誤魔化す余地がないほど何もなし、そもそも小ネタになりそうなイベントもなし。昼起きて、プール行ったり、あん摩に出かけたりして夜になり、ゲームしながら夜が更けて、眠くなったから寝て。


3月7日 木曜日 自宅学習日(という名の休日)

 今日は10時に起きる予定だったのだが、目が覚めると11時。タナカとは12時に東松山で会う予定になっているので、今からだとかなり厳しい。1時間ほど遅れる旨を連絡すべく電話をかけると、あちらも正に起きたばかりであった……揃って寝坊。予定を1時間繰り下げて13時に東松山駅で合流、途中籠原に寄って豚カツを食らいつつ帰宅と相成った。
 さて、朝霞に住むタナカにわざわざこの辺境まで来て貰ったのは、先日購入したノートパソコンについての質問に答える為、だったのだが……OSがXP(実は初接触)でのっけから半ば降参状態の上、普段全然使っていないWordについて訊かれたりしたものだから、本来の目的では殆ど役に立たず、結局、搭載のDVDROMをテストするという名目のアニメ鑑賞会に。
 手持ちのDVDが一段落するまで鑑賞を続けた後、晩飯を食いがてら、タナカを花園町のご実家まで送るべく家を出る。「折角だから鐘庵のかき揚げを食わせてやろう」とわざわざ(花園とほぼ逆方向の)太田まで出張ってきたはいいが、店の前まで来て、今日が木曜日で定休だった事に気づくワナ。鐘庵はまたの機会という事にして、同市内のパスタハウス「ボストン」で腹拵えをしてから、取り留めもない話を延々としつつ花園へ。夜も遅かったのだが、晩飯を食った後でやや眠い。前回(1月26日)の帰宅時に居眠り運転の半歩前まで行き着いた前科があるので、渋ーーーーいお茶と、それによく合う饅頭をご馳走になり、ばっちり目を覚ましてから帰途に就いた。22時過ぎに帰着後、姉貴に施術したり風呂に入ったり。


3月6日 水曜日 自宅学習日(という名の休日)

 目が覚める。正午。休み二日目にしてすっかり体が「出来上がって」しまっている。
 もそもそ起き出して階下に降りると、爺婆が孫を愛でている。一緒に甥っ子とじゃれたり、まったりとネットサーフィンなどしてから、15時過ぎに祖父母の家へ。祖母にあん摩、祖父に施灸の後、ジムに行ってプールでまったりと1時間泳ぐ。帰ると姉貴がグロッギーになっているのでこれまた施術して小遣いをせしめて一日が終了。今日もあまり書く事がなくて困る。明日は旧友タナカがパソコンについていろいろ聴きに来る予定。ついでなので一緒に昼飯なども。

・人間が信じるのは、正しいモノではなく『自分の信じたいモノ』なのか。
 姉貴のあん摩(全部書くと長いので、メインのコレで統一)をしながらニュースステーションを見る。と、近頃巷を騒がせている、詐欺疑惑で話題の某広告会社の社長が主演しているという商品のプロモーションビデオが流れていた。「お客様に提供する為に、素晴らしい薬効を持つ伝説の木の葉を求めてジャングルを探検する」という内容。社長が体を鍛えている冒頭から、ジャングル探検へと場面は移る。社長の身のみに次々と迫り来る危険をリポビタンのCM宜しく乗り越え、遂に伝説の木の葉を手に入れて、喜びの内に探検は終了。が、それに満足せず、更に良い物をお客様に提供し続ける為、夕日に照らされながら体を鍛え続ける社長の絵でビデオは締め括られた。

橘屋&橘父……川口浩探検隊かよっ!(爆)

(為念:川口浩探検隊をご存じでないヤングメンはこちらこちらを御覧になるか、30歳前後以上の方に訊いてみると良いでしょう)

 余りのツッコミどころの多さに同時にツッコんでしまう。他にも『100%元本保証、20%の利息が付きます』とか、色々と楽しい企画をぶち上げておられたようだ。……この社長の言う事を信じて、一万人にも及ぼうという被害者が出ると云うから世の中解らない(『イヤな方向に解りすぎて困る』とも言う)。勿論、信じる度合いは人それぞれだったのだろうが……。こういう判断力の低下も、不景気故の切迫感の所為だけなのだろうか。多分違うとは思うが。

橘母:ウチみたいに金がないウチは『増やそう』って考えまで行けないからねぇ、そもそも。小金持ってて、それを元手にリスクも負わないで、必要以上に楽して稼ごうとするとこうなるんだろね。自分で使う金は自分で汗水垂らして稼ぐのが一番」

 ごもっとも。


3月5日 火曜日 自宅学習日(という名の休日)

 郵便屋が鳴らすチャイムで目を覚ますと、既に正午だった。昨日も書いた通り、今週はもう学校に行く必要がない。期末テスト疲れ(>疲れるほど勉強したのかというツッコミはナシの方向で)を癒すべく、全力で休むことにする>日本語がおかしいです
 パート先全員の給料ン百万を銀行に取りに行くという母親に付き添って銀行まで行ったのと、昨日開けた大穴を多少なりとも埋めるべく、姉貴に指圧・あん摩・マッサージを施した位で、他はこれでもかという位何もせず、夜までまったり。コレだけ書くことがないと、明日の予定でも書かないことには字数が稼げない位困る。ちなみに、明日は久々にプールに行ったり、爺様のところにマッサージに行ったりする予定。


3月4日 月曜日 臨床実習(刺鍼・パルス体験)

 通常授業も終わり、今年度日程は後4日(→社会人から怨嗟の声が聞こえてきます)を残すのみとなった。今日はその初日、肩凝りについての講義と刺鍼・パルス治療の体験であり、コレが今週唯一の学校ということになる。9時半からの開始ということで、本当は少しゆっくりも出来たのだが、時間の読めない電車に乗るのがイヤなので、白衣を鞄に詰めていつも通りの時間に出る……が、会場である学校付属の研究施設(学校から徒歩3分)に着いたのが8時40分。当然誰もいない。無論、扉すら開いていない。 併設の付属医院は開いていたので、受付のお姉さんにお願いして中に入れて貰ったまでは良いが、ここに来て、B組の実習は10時40分からスタートだったことに気付き愕然とする。 先生は「両方とも受けていっても構わないよ」と仰って下さった。早く帰ってもすることがないし、B組のメンツとも顔を合わせたかったのでお言葉に甘え、A組の分も合わせ、2回とも受けることに。
 実習とは言え、1年生はまだまだ経験が浅く、治療に関する理論も殆ど知らない(1年次は基礎医学的な内容に終始している)ので、手〜前腕の「合谷(ごうこく)」「曲池(きょくち)」という取穴しやすい経穴に浅く刺鍼して、パルス電流を流す体験学習のみ。先生のところでのお手伝いで大体は分かっていたので、パルスの機械に関しての疑問点や細かい操作方法などを先生に質問しつつ、周りの実習を手伝いつつ無事終了。何か重大事が起こるようなこともしてないけれど。

 カンティプールでいつも通りの昼飯(マトンカレーにナン6枚)を済ませ、さっさと家に帰って睡眠を取るべく駅に向かう……が、今後の予定を考えているうち、次に都内に出るのは来週の月曜になることに気がつき、「じゃぁ、買える物は今日のうちに買っておかないと交通費と時間が勿体ないじゃないか」という無茶苦茶な理屈を導き出すに至る。予定を直帰からアキバ経由に変更して、
前から興味のあった「スペースチャンネル5part2」等を購入。大散財。爺様に按摩をして貰った小遣いが綺麗にすっ飛んでしまった。コレでは借金返済など夢のまた夢……さながら賽の河原の小石積みである。まぁ、買ったゲームは面白かったのでよしとする>するな


1月27日〜2月28日

 随分長くお休みを頂いてしまったので、この一月の間にあったことなど、ざっと。

・救急車に乗った。
 1月下旬、インフルエンザは治ったもののどうも咳が抜けないでいたところ、27日20時過ぎ辺りから急に熱っぽくなった。夜も遅く医者に行く時間でもないので、薬を飲んで部屋で寝ていると、突然、比喩表現でなく「締め付けられるような」激しい痛みが胸に走った。救急車なぞには載りたくないので、脂汗を垂らしながら指圧やマッサージで何とか痛みを和らげたが、すぐにまた同様の痛みが走る。本当に洒落にならない病気だったりしたら困るので、仕方無く内線電話で家族を呼び(階下に降りていく余裕すらなかった)、救急車を手配して貰った。幸い、救急車を手配して貰った途端に痛みが和らいで、搬送先に着く前に、痛みだけはあらかた治まってしまった。症状も、レントゲン撮影の結果、軽い急性気管支炎と判断され、その日の内に家に帰る事が出来た。その後3日ほどお休みを頂いた後、学校にも復帰。インフルエンザに続いての連続欠席となってしまった為、流石に「二度あることは三度ある」というわけにも行かず、復帰後も無理をしないよう気を遣い、日記も書かず早寝している内にテスト期間になってしまって、結局復帰が今日まで延び延びになってしまった次第>大人は言い訳をしません
 後で文献などを調べてみる感じではあの痛み、出続けた咳による筋肉疲労と気管支炎からの痛覚信号の混線が招いた横隔膜の痙攣に過ぎなかった模様。

 ちなみに、インフルエンザ&気管支炎に因る欠席増が大きく響き、出席重視の実技系教科は軒並み10点ほど評点を下げられてしまった。10点足したのが技術に対する評点だ、と思えば十分に満足のいく点数ではあるのだが、「学科はいいかげんで実技は真面目」を地で行っているために、この評点ダウンはイタかった。

・車を乗り換えた。
 1月からずっと計画していた新車購入計画は、弟が通勤に使っているカローラも近々車検→廃車のコンボに突入する事が判明した瞬間に断念。父の友人(トヨタ系中古車チェーンの支店長)に探してもらった中古のスポーツワゴンを購入する運びとなった。店長さんだけにかなりの上物を持ってきて下さったのは幸いと云えよう。
 それに伴い私の乗車がカムリ(白)→カムリ(濃緑:今までお母んが乗ってたの)となった。事実上、載っているエンジンと駆動方式と年式以外はほぼ同じ車。新鮮味は絶望的にないが、車幅感覚はそのままで運転出来るし、白よりも3年ほど後の機体だけに微妙に内装・電装がよいので満足して使っている。

・期末テスト。
 病み上がって、漸く体調も安定したかと思っていると、恐怖の期末テスト週間が始まってしまっていた。我が校のシステムでは、60点未満を取ると追試が待っている。追試1本につき1000円取られるし、何より休みを一日返上して、テストの為だけにあのクソ遠い学校に行かなければならないし、どんなに追試で良い点数をとっても、評点は60点止まりと良いことがない>追試で良いことがあるようでは困ります 前期末テストでも解剖学に赤点を付けてしまっているだけに、今回は何とか頑張りたい……のだが、「しけんべんきょう」という奴が何より苦手で、この歳までとんと縁がなかった身、ちょっとやる気になったからといって急に出来るようになるわけもなく、

1.21時頃起きる
2.3〜4時までぶらぶら遊んでいる
3.さすがにヤバいと思い始めてその日のテストの勉強をする
4.レトルトカレーで朝食・登校
5.教室で最後の悪足掻き
6.9時半からテスト
7.帰りがけにとんふみで豚カツ
8.寝る(→1に戻る)

というやる気の欠片も見られないサイクルのガチンコ勝負で5日間・10本の試験を乗り切った(流石に解剖学だけはもう少し真面目に勉強したが)。 一部教科を除き、まるで量ったかのように70点台のオンパレードである。ともあれ、無事に追試0を達成し、追再試日を自由に過ごす権利を手に入れた。最低限の努力で最低限のラインは確保出来た、ということにしておく。そうすると幸せ。

・大学に復学が決まった。
 そのテスト期間の真っ最中、「休学の更新をするかどうかとっとと決めんかい」という有難い通知が大学から届く。 丸々2年与えられている休学期間は残り半年分しかない。どうせ、鍼灸学校にいる残り2年の内の1年半は、大学も並行して通わなければならないのである。残り半年分のストックは、3年の後半期、国家試験の対策用に充てることにして、年度明けから大学に復学することにした。こちらの勉強も加速度的に難しくなっていく中、更に負担が増えて忙しくなるのはちょっと憂鬱だが、浦和で燻ってた数年間のツケを払う為だと思えば仕方無い。「忙しいのは生活が充実している証拠である」と前向きにとらえて、少しずつでも単位の消化を試みる次第。……ちなみに、平日の昼間の授業が存在する為に、1年半の内での完全消化が不可能となっており、こちらを卒業した後も丸々1年大学に通わなければならなかったりする。「ツケという奴は思わぬところで手痛く返ってくるからツケというのだなぁ」としみじみ感じる橘 柾樹25歳の春であった。

↑現在の日記へ↑
←←2002/01 後半へ 2002/03 後半へ→→
↓過去の日記一覧へ↓
橘屋入口へ