日々是平穏
2002/03 後半

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3月30日〜4月2日

旅行中につきお休み


3月29日 金曜日 春休み

 いつもより大分早く、8時に起きる。旅行前のオーバーホールの為先生の所で鍼を打って貰ったり、様々な支度をしたりするのに時間が掛かることを見越してである……が、眠気には勝てず、結局もう2時間寝倒してしまい、急いで身支度をするハメに陥る。朝飯兼昼飯は、幸いにして麻婆豆腐があったので、カレー連鎖から脱却することが出来た……カレーを後回しにしているだけとも言うが>勿論カレーはしっかり残っています
 何とか支度が出来たので、10時ちょっと過ぎに出発。旅行で聴く縦ノリCDをガンガン掛けてご機嫌に治療院に到着した……までは良かったが、「診療中」の札だけ掛けて、先生はいらっしゃらなかった>大人は電話で相手の在宅を確認してから出掛けます  待っていても仕方無いので、本屋を経由しつつ祖父母の家に廻り、暫く出来なくなるであろうあん摩をする。施術をする内に昼を過ぎたのと、従弟が籠原まで行くというので、帰宅ついでに駅前まで配達。「もしも先生が戻っておられたら、籠原から直接おじゃまになりに行こう」とも思ったが、一縷の望みに掛けて電話をしてみるもやはりおいでにならず、そのまま帰宅する。

 しばしまったりした後、重い腰を上げ、旅行の支度を始める。とはいえ、荷物の大半は着替えなので、畳んであるTシャツやパンツをごそごそと鞄に詰め込み、掻き集めたり買い足してきた小物を纏める程度で簡単に終了。毛布の積み込みや、チャイルドシートの載せ替えは明日の朝予定。また、以前に申請していたJAFの会員証も届いていたので、免許証の中に仕舞い込む。車での旅行前に大変心強いバックアップを付けることが出来た。これで何が起きても安心である>何も起こさない努力はしましょう

 夜、姉を通じて先生と連絡が取れた。お父様が体調をお崩しになり、お医者様に付き添っていたとのこと。先生はウチのお母んと殆ど同い年であるから、お父様の体調ともなればさぞやご心配なさったことであろう。そう考えればあの音信不通具合にも頷けるというものである。折角連絡が取れたので、PCに発生したトラブル──メールの受信の不具合を修正しつつ、もし宜しかったら施術をして頂くことにする。時計はちょうど20時を指していて、お邪魔するには遅すぎる時間ではあったが、不具合が出ていたのが鍼灸院の公式サイトの物だったので、仕事に関するメールが来て何らかの支障が出ては、鍼灸院のIT担当(死語気味)としての面目が立たない。今日直しておかないと、私が帰ってくるまでの復旧は恐らく不可能であるし、支度も殆ど終わっていたので、おもむろに着替えて、雨中カムリをすっ飛ばして治療院へ。早速PCを拝見する。我が家でも数度同じ症状が出ているので、その経験に従ってちょちょいと弄るとあっさりと回復……どうやら、ノートンさんには長い間こき使っていると拗ねてメーラーのパスワードを書き換えてしまう癖があるらしい。
 不具合の調整が終わった後、背中を診て貰う。20時半を過ぎていたというのに、快く施術して下さった先生に心より感謝。明日から旅行の旨もご存じで、「良い『氣』を一杯吸いつつ、朝の施灸などもして鍼灸師らしい旅をしてくるように」と、励ましの言葉と共に餞別として携帯用温灸と置き鍼のセットを頂き、鍼灸院を後にした。1時間掛けてがっちり施術して頂いた御陰で、重みを感じていた背中が嘘のように軽くなっている。これならば、旅行中も体調に不安を感じることはなく通せそうだ。後は、東洋医学系としての矜持を保つべく、精一杯体調の保全に励む所存。

 帰ってからは準備の続き。歌えるCDが少なかったので、手持ちのCDや音楽ファイルなどを編集して2枚でっち上げたり、取り敢えず積み上げておいたような装備や着替えを鞄の中に収めたり。後は車に積み込むだけ、という状態まで支度を済ませて横になる……が、1時間半ごとに目が覚める。遠足でどきどきして寝られない小学生そのものである。二度目が覚めた後、日記の書き足しをしてみたり>「夜、姉の〜」以降ココまでは午前4時過ぎの追加

 弟へ。何もないように出掛けてきますが、何かあったら、後は全て君に頼みます。甥っ子を可愛がりつつ、お父んとお母んを支えてあげて下さい。あ、あと、私の部屋にあるあやしい物品の類は、藤原と二人で処分してくださいますよう。藤原も忙しいだろうがその辺宜しく。

 かねてより日記で書いております通り、明日30日より、店主・橘 柾樹は4〜5日(>この辺からしてアバウト)の予定で、長期休業恒例の自動車旅行に出掛けて参ります。今回の目的地は春盛りの紀州路、本州最南端の潮岬です……あくまで予定なので、途中で気が変わって飛騨高山辺りにいないとは言い切れないのですが>アバウトすぎです
 装備、休憩等、いつにも増して万全を期して行って参りますが、何分はじめての一人旅ですので、どんな旅行になるかは勿論、どんなハプニングが起こるかも全く判りかねます。一応の帰宅予定が4/2〜4ですので、4/6辺りになっても日記及びトップの更新が見られない場合は、橘屋本宅に問い合わせの上、仏壇に線香の一本も手向けてやって下さいませ。


3月28日 木曜日 春休み

 例によって昼起きると、例によって朝飯兼昼飯はカレーだった。残量を見るだに、明日の晩辺りまではカレーが続くものと思われる……本当に旅行前日ギリギリまで残るとは。
 食後は「旅行前に英気を養っておくのだよ」という言い訳の元、借りていたビデオを見たり、旅行に持っていくCDを編集したり、日がな一日ごろごろと過ごす……だけなのも芸がないし、必然的に運動不足になる旅行なので、ジムの近くのレンタルショップに借りていたビデオとCDの返却を兼ねて、スポーツジムのプールへ出掛ける>複数の動機がないと出掛けられないこの怠けぶりを何とかしなさい 運動不足を解消しつつ、適度に凝りをほぐすことが出来たように思う。
 22時前に帰ってからは、今回の旅程の途中でお目に掛かりたい人などにネットで連絡を付けたり、ラグナロクをしたり。明日以降のことを考え、いつもより少し早めに寝て睡眠時間を確保する。


3月27日 水曜日 春休み

 昼前に甥っ子に起こされて目を覚ますと、雨が降っていた。今月は雨が異常に少なかったので、バランスでも取るつもりなのだろうか、随分と勢いが良い……何も、サッカーの最終日に降らんでも。休みだというのに寝起きにカレーでうんざりしていると、短期ステイの女の子達はこの雨の中で試合をしているというので、急いで風呂の準備。お父んがチームメイトの子達も連れてきて、10人近くでわいわいきゃいきゃいしていた。妙に女好きの甥っ子(>先が思いやられます)が風呂の方に行って悪さをしないように見張ったりなんだり。
 お父んが彼女らを送っていくのを見送り、一息ついていると、お母んが「甥っ子のお守りも兼ねつつ、川向こうのジョイフル本田まで買い物に行く」というので、旅行で使えるような小物を探しに着いていくことにする。甥っ子の相手をしながらの買い物は楽しかったが、唯でさえだだっ広いショッピングモールの中を、カートに乗せて歩き回ったり、肩車をねだられたりしながら歩き回るのは相当に骨だった。お陰で、思ったより自分の欲しい物を見て回れなかった……まぁ、「金を掛けない、ある物を使う」のが貧乏旅行の醍醐味の一つであるとも言えるのだが。
 買い物が一段落つき始める頃には、甥っ子はすっかり飽きていて、アイス食うだのハンバーガー食うだの騒ぎ出した。この食いしん坊は食い物に関する恨みはなかなか忘れてくれないので、併設のマクドに寄ってハンバーガーその他を買い込み、3人でもしゃもしゃ食べながら帰宅……弟夫婦やお母ん共はいつもこんなのと一緒に買い物をしてるのか。ある意味感服。余りに疲れたので、帰るなり横になったら、そのまま21時過ぎまでぐっすり寝てしまった。

 流石に小腹が空いたので、何か食おうと思って下に降りたが、案の定カレーしかない。マクドのバーガーを食らった後なので、少しだけ食べて済ましてまったりしていると、両親から「まだまだ今日みたいに天気が荒れることもあるだろうから、今度の旅行はカムリではなく、カリブで行ってきてはどうか」と提案を受ける。シャーマン戦車と比べると、確かに排気量こそ一回り小さいものの、一応仕様はツアラーのスポーツワゴンなので、遠乗りには向いているだろうし(シートが堅めで長い時間乗っていても疲れにくい)、荷物も一杯積める上に、一々トランクを開けに車外に出ずに済むし、CDオーディオは標準装備だし、何より四駆なので多少の悪条件にも対応出来る。提案を受け入れる事にする。
 晩飯を少な目に抑えていた所為で、24時を回った辺りで急に腹が減り始めたので、台所に降り、明かりも点けずに食い物を漁る。流石にカレーはもう食べたくなかったので、適当にスナックを漁って上に戻る……と、プリングルスのクリスピーカレー。カレーまみれ。


3月26日 火曜日 春休み

 13時過ぎ、まったりと起きる。余りにまったりしていたので、2時間前に起きたにも関わらず、15時からのカウンセリングはギリギリ滑り込みになってしまった。2ヶ月ぶりなので、自分の内面について気付いたことなど、割と深いところまで1時間話し合う。自分について考えたり、反省したりするいい材料を得ることが出来たし、溜まっていた物をはき出すことが出来て、気持ちの上でも大分楽になれたように思う。次回は5月21日の予定。

 クリニックから直接祖父母宅に寄り、二人のあん摩・マッサージをしていると、お母んから電話がかかって来た。こちらは晩飯の支度で忙しいので、定食屋に頼んでおいたコロッケその他を回収しながら急いで帰ってこいとのこと。夕闇迫る中車を駆り、コロッケとメンチとカツを回収して帰宅すると、おおかた食事の準備は仕上がっていた。狩ってきたコロッケとカツを皿に並べ、カレーを盛り、食卓へと運ぶ。今日も美味しく、楽しい夕食を過ごすことが出来た。お互いで話が出来るという条件付きではあるが、若い女の子が居るというのは、場の雰囲気を華やげてくれる物なのだなぁ、と感じる>ウチの姉貴はカウント外の方向で
 食後、水を飲むべく台所に行ってみると、直径が36cmある大鍋一杯にカレーがなみなみと湛えられ、その存在感をアピールしていた……当分、食卓にはカレーが登り続けるであろう。私が旅立つ前に消費しきるのだろうか。


3月25日 月曜日 春休み

 昨日の疲れがまだ残っている感じだったので、昼までと言わず、夕方位までのんびりしていようかと思い、水木一郎の出演した「徹子の部屋」などを見ていたら、内線がけたたましく鳴り、招集されてしまった。今日が短期ステイの初日で、急いで支度をしなければならない上に、弟夫婦が甥っ子を置いて出掛けてしまったので、こっちの世話も見なければならないというのである。急いで身支度をして、居間の片付けやら、甥っ子の世話やら、調理やらに駆り出される。甥っ子のおむつが大噴火で後始末がてんやわんやだったり、唐揚げの油で火傷しかかったり。
 そんなこんなで18時過ぎ、どうにか無事に短期ステイの女の子達を迎えることが出来た。今年の娘は良い意味で大人慣れしていて、妙に緊張したり、壁を作ったりすることなく、積極的に話に応じてくれるし、話題も振ってくれるので、両親も安心して色々と話をしていた。こういう娘が多いと助かるのだが。
 妙に豪華な晩飯を食らった後、祖父母の家に行き、叔父叔母から、三脚やら小型コンロやら寝袋やら、今度の旅行に必要な資材を色々拝借する。「小型コンロは元々貰い物だからあげる」との仰せなので、有難く拝領。帰途、レンタルショップにビデオとCDを返却がてら、旅行中に聴くCDを物色する。居眠り防止の為、基本的に縦ノリする曲か歌える曲をチョイス。水木一郎の話を聴いた直後だったので、ルパンの主題歌集なども借りてみたり。

 帰って一息つきつつニュースを見ていると、出発予定の27日からの天気が怪しい様なことを云っている。「危ないから出発を少し延ばした方がよいのではないか」と両親から提案され、検討の結果、出発を30日以降に延期することにする。長い旅程、体力も注意力も徐々に消耗していくのは今までの経験から確実だし、たった一人のドライバーが根本的に粗忽者なのだから、望んで危険な方に進むことも無かろう。肝心なのは「危険を乗り越える力」よりも「危険を事前に回避する力」なのである。準備も今ひとつ進んでいないので、準備と環境の両面でよりよい状態を期する。
 気象関係のサイトを巡って調べた感じでは、30日以降に天気が回復することは確実のようだ。後はこの予報が外れないことを祈るのみである……中国の方に濃い雲がないから、暫くは大丈夫だとは思うが。

 日程的に余裕が出来たので、夜も特に早寝するでもなく、いつも通り姉貴のあん摩をして、いつも通りのんびり過ごし、いつも通りラグナロクをしてから寝る。


3月24日 日曜日 春休み

 朝、7時半に目が覚める。「今日の内に松本に戻らなければならない上に、アトピーの具合が宜しくなく、余りご迷惑を掛けたくないので、すぐにでも発ちたい」とヒラノが宣ったので、お休みのご家族を起こさないよう支度をして、カムリで黒磯駅まで送る。晴れ渡った朝の黒磯は、風もなく、大変清々しく、気持ちよいドライブを楽しむことが出来た……無茶苦茶な運転をする車に遭って、80km/hからフルブレーキングをさせられる羽目に陥った他は。
 これまた美味しい朝ご飯を頂いてから、10時過ぎにサワダ家を辞す。カンダと二人でお土産物などを買いながら、高速を使って帰途に就いたのだが、珍しく朝早く起きた上にやや睡眠時間が足りないのと、高速道路を走っているのとで妙に眠くなったので、大事を取ってSAで30分ほど仮眠を取る──今度の旅行は遂に一人であるから、この眠気対策と早めの休憩は重要だと感じる。 カンダをご実家に送り届けた後、疲れを取る為、晩飯だからと起こされるまでぐっすり寝る。晩飯の支度中、甥っ子を迎えに来ていた弟と無駄話に興じたり、姉貴のあん摩をしたりした後は、溜まった日記を書き上げたり。


3月23日 土曜日 春休み

 今日は黒磯まで遠征。家族で黒磯に引っ越した旧友ケンタロウ(黒磯市職員)がこの度結婚するというので、中学時代からずっとつるんでいるカンダとヒラノを連れて、結婚のお祝いを述べに行くのである。二人は車を持っていないか、持っていても小さな車なので、私の シャーマン戦車 カムリで行くことになっている……のだが、例によってオリーブドラブになりかかっているので、行きがけに洗車をしていく事にする。おみやげのケーキを持って現れたカンダを乗せ、11時過ぎ出発。いつものGSに寄って、ガスを入れつつ洗車をお願いしつつ、GSの近所に住んでいる平野とも合流。途中コンビニでジュースなどを買い込みながら、館林ICから東北道に乗る……高速料金は、唯一の社会人カンダ持ち。 高速に乗ってからも暫くは順調に進めたのだが、栃木ICを過ぎた辺りで猛烈な雷雨に遭う。洗車台無し。しかも宇都宮で事故渋滞に引っかかって、到着予定がいくらか遅れるが、那須塩原IC近くのコンビニにて、無事ケンタロウと合流を果たす。彼の車の助手席にはしっかり彼女が乗っていた。文句なしに、ストレートに美人と評しても良い方だが、個人的には寧ろ可愛さとか愛嬌の際だった人のように感じた。しかも年上>大学時代のサークルの先輩なのだそうな 羨ましいったらありゃしない。 

 黒磯周辺は国内でも有数の酪農地帯である。(一応)同じ関東でありながら、どこか北海道にいるような感覚を覚えるような、牧草地と防風林に囲まれた、空と空気の綺麗なところだった……風が非常に強くて難儀したが。牧場地のそばの別荘地にあるお宅に着くと、塾を開いていらっしゃっるお父上・お母上が共に外まで出て迎えてくださった。塾舎も本宅もカナディアン2x4の洋風のつくりで、居間には暖炉。冬は大分寒いので、家も装備も大分北海道寄りなのだそうな。本宅の裏にはケンタロウと彼女が入る新宅を増築していた。
 酒席の用意をして下さっていて、それがまだ暫くかかると言う事なので、その間に山寄りにある温泉まで4人で出掛ける。私以外の3人ともアレルギー性疾患保ちなので、似非医療系を囲んで、風呂に浸かりながら健康相談が始まったりなんだり。
 暖まって良い気分の中、酒席を始める。お母上と彼女とで作った非常に美味しいおつまみを摘みながら、ビールやら日本酒やら地元のワインやらで気持ちよく酔いながら、地元での思い出話やら、塾を経営されているお父上と教育談義にふける……本来こういう席では新郎の暴露話に花が咲くのだろうが、奴は表ではソツが無かったので、結局私のネタ話に終始する──結局こういうポジションなのか。気持ちよく酔う内、大分夜も更けてしまったのでお開き。和室の客間に布団を用意して貰い、皆で準備をして修学旅行気分を満喫する。
 敷き終わった布団の上で文字通りごろごろしていると、ビールを持ってケンタロウが来てくれた。ネタにすべく持ってきたプロ野球選手名鑑を手に、2時過ぎまで野球談義にふける。


3月22日 金曜日 春休み

 ……朝から晩まで自堕落。余りに自堕落すぎて、何をしたかはっきり覚えていないほどである。明日、黒磯のサワダ邸におじゃまになりに行くで、その準備と、参加メンバーとの連絡をしたこと、ラグナロクをしたこと位しか覚えていない。本当に自堕落。


3月21日 木曜日 春分の日

 今日から春休み。この「1年鑑頑張って学校に通ったご褒美」を有意義に使う為、全力で自堕落に過ごそうと決意し、総力を挙げて二度寝を決め込む>日本語がおかしいです
 そのまま一日寝ていようかとも思ったが、「おまえが旅行に行ったりするんだから自分で取り替えに行って来い」と叩き起こされて、14時過ぎ、タイヤ交換の為GSへ。休憩所に置かれているスポーツ報知の一面が、Fsの2004年札幌移転。寝惚け眼が一発で開く。……まぁ、毎年毎年「今年こそ札幌かねぇ」と噂し合っていただけに、ショックと言うよりは、「遂に来るべきものが来たか」という感慨が強かったのだが。(常にイベントを開いていないと赤字になってしまうという)東京ドームの性質と、在京球団・東京での試合が全てなくなるのは困るというパリーグの事情もあろうから、20〜30試合はドームでの試合は残るとは思うし、球団・選手・パリーグ全体にとっても悪い話ではないと思うので、嬉しいことは確かなのだが、やはり寂しさは拭い切れないものだ。これを契機にCSの導入を本気で考えなければならないようである。
 機械力で古タイヤがホイールから外され、新しいタイヤが着け直され、回転具合を調整してカムリに着けられていく様をじっくり観察してから帰る。

 帰宅後は、そのまま寝るまでまで自堕落に過ごそうかとも思ったのだが、 祖母の所に寄って帰ってきたお母んが「おばあちゃん、大分背中が凝ってて辛かったみたいよ」というので、急いで支度をして祖父母の家へ。1時間掛けて祖母の背中と足をマッサージした後、爺様からもリクエストがあったのでこれまた2時間かけてマッサージ。晩飯もご馳走になって、家に着いたのは21時半過ぎとなった。以降、当初の予定通り自堕落に過ごす。


3月20日 水曜日 終業式・教育講座(花粉症について)

 今日は終業式である。つまり、一応、何とか、鍼灸学生の一年生としての年限を修めきることが出来るのである>成績表貰うまでわからんだろう 一年なんて、過ぎてみれば案外あっという間……と言うより、これ程までに短く感じる一年は初めてだったように思う。それだけ、この一年が色々な意味で私にとって刺激的であったということなのだろう。──来年度は、間違いなくもっと忙しくなる。学ぶべき内容は加速度的に難しくなっていくだろう。それらに遅れないよう、かといって急ぎ過ぎて大切な物を見失わないよう進んで行こう──と春霞む白い空と、朝の爽やかな空気に一人誓いつつ、家を出る……と、案の定カムリはオリーブドラブに戻っていた。雰囲気ぶちこわし。

  いつもより30分早い時間での開始の為、遅刻者続出の中で、終業式は始まった。皆勤賞者の表彰が行われたり、いつも通りの校長の話があったり。この後講演会があるということで、いつもより校長の話も控え目であった……毎回講演会をやって貰うべきなのだろうか。
 今日の講演は花粉症についてで、「花粉症研究と言えばこの人」と云われるような偉い先生。講演慣れしている人の話は、わかりやすく纏められていて、聴きやすくて助かる。筋道を立て、事例を上げて。

先生:花粉症にはコンタクトは非常に良くないですね。目が悪い人は眼鏡にするべきです

花粉症万歳>落ち着きなさい

パイプ椅子が堅すぎて尻と腰が痛かったのは辛かったが、知的好奇心がばりばり刺激される内容でとてもタメになる講演であった。>眼鏡云々は関係なく
 講演後のホームルームにて成績表を拝領。どこにも「校長と面談」とか「来年もう一度一年生」とか「スカ」とか書いてなかったので、進級は出来たらしい。諸連絡程度でHRは終了、クラスメートに半月後の再開を約束して学校を発った。
 とんふみでいつもの豚カツ定食を食べてから、トヨタに寄ってサイドバイザーを貼り付けて貰う。相変わらず「タイヤ買いませんか」と云われたので、見積もりだけは貰ってみるが、やっぱり高い。そのまま地元のGSに行くと、トヨタのそれより5000円近く安い見積もりと、明日には交換作業が出来るというお言葉を頂いたので即決。


3月19日 火曜日 自宅学習日(という名の休日)

 正午頃、のそのそと起き出す。今日は、13時から我がカムリの12ヶ月法定点検の予約が入っている。籠原のトヨタまで出向くべく支度をして表に出た……が、カムリは駐車スペースの関係上、庭に露天で停めてある為、ここ数日の好天・強風に朝露とにわか雨が加わって土埃まみれ。本来ならぴしっと締まった濃緑メタリックの車体がオリーブドラブに堕している。こんな塗り損ねたシャーマン戦車のような汚いのを持っていくのかと思うと、恥を知る事を是とする日本人としては気が滅入る。が、実際の所、オイルは少なくなってるわ、タイヤは磨り減ってるわ、ワイパーブレードはへたれてるわ、サイドバイザーを固定しているゴムパッキンが紫外線で劣化して剥がれて、60km/hを越えるとばたばたとフラッターを起こしてやかましいわ(>つまり毎日うるさい)と、週末に黒磯まで往復、月末には旅行も控えている身としては、足元に不安を抱えているのは宜しくない。恥を忍んで出掛ける。

 時間通りにトヨタ着。持ち合わせが余り無いので、タイヤについてはこちらからは特別持ちかけないことにして、オイル・ワイパーブレード・サイドバイザーについてだけお願いする。窓越しに行われる作業を、興味津々に見学。サイドバイザーのみ、今日は取り外して接着面の研磨のみで明日また取り付けに来ることになったが、基本的につつがなく終了。予想通り「タイヤ換えた方が良いですねー」と云われる。磨り減ってるのは知っていたが、前輪のエッジ辺りは大変綺麗に溝が無くなっているとは思わなかった……道理で最近曲がるときゅるきゅる音がするわけだ>運転が荒いのもいけないと思いませんか  高速を走ることが確実なので、タイヤを新しくしなければならないのは間違いないし、提示されたタイヤがグッドイヤーなのも魅力ではあったのだが、4萬強から費用がかかるらしいのと、「GYは在庫がないから3日待ってくれ」と言われたので保留。週末にギリギリor間に合わないのでは意味がないのである。馴染みのGSならもう少し安く、早く出来るはずである。
 ちなみに、オリーブドラブだったボディは、点検のついでに水洗いをしてもらったようで、とても綺麗になっていた……まぁ、この天気が続く以上、明日になったらまた薄汚れているのであろうが。

 我が地元はメヌマカップと題する高校女子サッカーの選手権大会を毎年この時期に開催している。全国から集まった数十校の女子サッカーチームが、5日間のリーグ戦で競い合うのである。この大会期間中、遠方から来るチームに関しては、 田舎で周辺に大きな宿泊施設がない 地域住民と地方との交流を図り、町の知名度を高める為に、町内有志の家に分宿して貰うのが通例となっている。我が家の兼業坊主は町役場の職員なので、毎年この短期ステイを受け入れているのだが、コレが結構神経を使うのである。「ぴちぴちの女子高生がお泊まりなんて羨ましいじゃないですか」と云われたことがあったのだが、私を慕って泊まりに来てくれるとか云うのなら兎も角(>無論そんなことはあり得ません。妄想は程々に)、そのぴっちぴちの女子高生とはなかなか話が合わないわ、ヘタな飯を出すわけには行かないわ、なかなか大変である。しかも、恥を知る事を是とする日本人としては、来客がある内はせめて家を綺麗にしておきたいと思う訳で、お母んから「年末にする位の勢いで風呂掃除せよ」という指令が下るに至ったのである。

 パソコンのスピーカーを風呂場の入り口付近に置き、CDを聴きながら風呂掃除を開始。ざっと一面に水を吹き掛けてから、塩素系のカビ取りを、ゴムパッキンや、天板と壁の間のシーリング等にしゅっしゅっと調子よく吹き付けていく。 窓を開けて換気しながら、塩素の力でカビがやられていくのをしばし待つ……と、だんだん気分が悪くなってきた。窓を開けて換気しているはずなのに、何故……と思ってよく見ると、二重サッシの外側の窓が開いていなくて全然換気になっていなかったワナ。 作業中断、咳き込みながら何度もうがいをするハメに。
 カビと一緒にカビ取りを濯ぎ落とした後は、バスマジッ○リンで浴槽、壁や床から金属部品に至るまで擦って擦って擦りまくって、石灰化しつつある水垢や、ぬるぬるする石鹸分の残りと格闘。大分綺麗になって満足する。黒板掃除もそうなのだが、「汚れた物を綺麗にする」事に関しては適性があるようである……コレが「散らかった物を片付ける」適性とは別物であることが惜しまれるのだが。


3月18日  日曜日  月曜日 自宅学習日(という名の休日)

 今日も昼起き。特にすることもなくぼーっと過ごしたり、ラグナロクをプレイしたり、家事を手伝ったり。夜になってからプールに行って、体を動かしたり、ほぐしたり。帰ってまったりとラグナロク……本当に書くことがない。


3月17日 日曜日

 昼前に携帯の着信音で目が覚める。取ってみると、都内の即売会に出ていた龍さんからで、「イベントが終わってこれから東松山に向かうので、迎えに来て欲しい」とのことだった。……そういえば昨夜、「明日はイベント帰りの龍さんと合流して、お互い貸し借りしていた物を整理しつつ、指圧の一つもしようじゃないか」と約束をしていたのであった……へろへろとしすぎていた為に、危うく忘れるところであった。跳ね起きて着替え、冷たい水で顔を洗って、家を出た。
 1時間後、東松山駅にて合流。詩知里屋に寄って昼飯を食いつつ、まったりと帰宅する。物品の受け渡しを済ませ、まったりと四方山話の後、簡単に指圧の施術。施術が効いたか、それもとよほどお疲れなのか、大分眠そうにしていらっしゃるので、 龍さんには3時間弱眠っていて貰い、その間はラグナロクで過ごす。
 日も暮れたので、龍さんを起こしてお見送りの支度。昼飯をがっちり食って、揃って余りお腹が空いていなかったのと、まだ時間が早かったのとで、今日は駅までのお見送りに留める。ただ、駅で龍さんと別れた後、モスバーガーのお持ち帰りで空いた小腹を埋める>それでも食うのか
 以後は例によってまったり、事も無し。大分眠いので、1時には寝てしまう。


3月16日 土曜日 自宅学習日(という名の休日)

 昼過ぎに起きて下に降りていくと、祖父と祖母が居た。パーキンソンと診断された祖父の定期検診に、お母んが付き添っていって、その帰りに寄ったそうである。大きい病院故に随分長い時間待たされたらしく、揃って疲れた表情だった。 そんな訳で、今日はあん摩三昧。無論、される方ではなく、する方で。爺様を2時間(!)ずっと揉み続けた後、付き添いのお母んにも肩もみ。夜には姉貴にもいつものコースを。日頃祖父の面倒を朝夜無く続けていて疲れている祖母にもやってあげたかったのだが、疲れの余りぐっすりと寝こけていて、起こすのも忍びなく、次回に持ち越しとなった。

 流石に疲れて以降はへろへろと過ごす。普通の患者さんには色々な方向から色々な姿位で施術を行う分、揉んでいる側の筋肉も適度に伸び縮みしてくれるのだが、爺様相手の時は、畳の上にじっと座って、ずっと同じポジションで薄く、柔らかくマッサージし、揉み解していくので、背中と腰と尻が辛いのである「コレ位数をこなせなきゃ、飯の種には出来ませんからね」とは強がってみるものの、やはり疲れることに変わりなし。
 私の体を優しく揉み解してくれるおねーさん募集中。かなり真剣に。

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