藤原梟介の造船所実習記 第2弾
造船狂時代2前編


0日目 7月11日(日) 雨時々嵐

1840時、工場実習へと出発の途に就く。
「19時から20時の間に東京第一工場近くの研修所に来られたし。」
ということなので、いつもの経路で有楽町の例の吉牛で晩飯を食い、いつものように有楽町線に乗って
いつものように豊洲駅で目を覚まし、いつものように、「ああ、あと2駅で新木場か…。」
違う。違いすぎるぞ俺。
慌てて飛び降りる。

研修所の部屋はまさに「研修所」という感じで、ベッドと机以外に何もない殺風景な部屋である。
一応2人部屋なのだが、それを自分1人で使わせてもらうことになっていた。
最近いびきをかいて寝言を言う(らしい)ので、誠に有り難いことである。


1日目 7月12日(月) 曇

0630時に起床し、食堂に行くと、去年の呉での工場実習でお世話になった方が朝飯を食っていた。
「単身赴任が多いというのは本当らしい」と思いつつ、朝飯を食って出発した。

本日は実習初日ということで、お定まりの安全教育、作業服貸与、工場見学、ミーティング、で終わった。
去年は工場の門なぞフリーパスであったが今年は入構証というものが必要らしく、作って貰った。
J隊関係の仕事をしているため、何かとうるさいらしい。

工場内は、去年の呉工場の半分の面積しかない工場だけあって、結構狭い。
建造中の船の船体の上に、これから取り付ける船体の一部が置いてあったり、
海ぎわの通路が一部海の上に張り出したりしていて、かなりイイ感じだ。


2日目 7月13日(火) 雨時々土砂降り

今日から岸壁で艤装中(註1)の貨物船の上の実習である。

AURORA AMETHIST

今週の我が職場、「AURORA AMETHIST」。
48000重量トン級のばら積み貨物船である。
要するに小麦か何かを4万なにがしトン積める船。


いきなり雨である。
甲板の上での仕事なので、屋根などという文明的なものはない。
まんま露天。
天を恨めし気な目で睨んでみた。

今日の主な仕事は、ナット締めであった。
甲板の上に、長さ百数十mほどのパイプが船の長さ方向に走っていて、
それを固定するバンドのナットを締めて回るである。
雨水が川の如く流れる甲板上に這いつくばり、「手が届かねぇ〜!」とか叫びながら、締めても締めてもパイプは続く。
全長180mの船ゆえ、パイプのしっぽは遥か彼方である。締めても締めてもたどり着けない。
合羽を着ているとはいえ、雨がその中までしみ込んでくる。
定時の5時には、へそまで水浸しであった。風邪ひかないと良いのだけど。

註1.艤装
ふねを造るときには船体を陸上で造ってしまい、船体が完成したら海におろして
こまこました物を取り付ける。その作業を艤装と言っている。
この船の場合はクレーン、ハッチ、パイプ、居住区などの取付が主な艤装工事ということになっていた。


3日目 7月14日(水) 曇のち晴れ時々だだ降り

雨が断続的に降る中、ハッチカバー(註2)開閉用の油圧系の引き回し。

Hatch covers

ハッチカバー。
手前が閉じた状態、奥が開いた状態である。

Hatch cover animation gif

ハッチカバーの開閉のイメージ。
ハッチを横から見た図になっている。


ホースだのパイプだのをえっさほっさ運び、(重い!)
かちょかちょ接続して、(つながらない!)
試しに圧をかけてみると、どっかで圧が漏れているらしい事が判明。
犯人は油圧系の中の「エア抜き」という、長さ4cmくらいの部品だったので、
雨がざぶざぶ降る中、替えを求めて放浪の旅に出る。
例によってなかなか見つからず、工場内をたらい回しにされて工場内を散々歩き回った挙句、
やっとこ見つけた部品を船に持ち帰ったら、径が違ってて入らないというワナ!

註2.ハッチカバー
船の甲板には荷物の積み下ろしの為の巨大な穴(この船で15m四方くらいあるのかな?)が開いていて、
ハッチ、と呼ばれているんだけど、穴を開けたままだと水が漏って大変なことになるので
鋼鉄製の蓋がついていて、ハッチカバーという名前がついている。
ちなみに重量は20tくらいあったらしい。


4日目 7月15日(木) 晴れ

夢。
夢を見ていた。

ということで、だいぶうなされた気分で目が覚める。
頭が痛い。
節々が痛む。
キモチ悪い。
熱を計る。37度4分。
風邪である。
鼻水が黄色い。
今日は一日寝ていることにする。


5日目 7月16日(金) 晴れ

午前はハッチ回りの作業。
ハッチは巨大蝶番みたいなものなので、付け根の軸にずれ止めのピンを取りつけ、
グリースガンでグリース(キカイ油)を注す。
軸にピンを取り付けようとしたところ、軸が奥まで入っていなくてピンが付けられない。
仕方がないので軸の頭をハンマー(例によって鋼鉄製)でごわんごわんひっ叩く。
なかなか入らないのだが、「野球のバッティングの要領」でぶん殴ると、一回に数ミクロンくらいは入ってくれるらしく、
20分も叩き続けると軸が所定の位置に収まった。
で。後で。
「馬鹿もん!商品をそのままひっぱたく奴があるか!そういう時は何かあてがってやるもんだ!」
怒られた。確かにそりゃそうだ。
で、グリースを注す。
ハッチの左舷側の軸だけで8ヶ所も注すべき所があって、1ヶ所あたり5分くらいかかる。
一通り終わって、やれやれと思って機械を片付け始めたところで、
「馬鹿もん!右舷がやってないぞ!船には左舷と右舷があるんだ!」
怒られた。どう考えてもそりゃそうだ。

午後。大学から先生が見廻りに来られて、工場見学にお供した。
大学助教授、というのは世の中では凄いモンであるらしく、
修理中の護衛艦の中を見学させて貰えることになった。
海上自衛隊の「たちかぜ」という対空ミサイル護衛艦なのだけど、
いきなり、ビルジタンクという船体の底の底のタンクへと連行される。
階段と梯子を何回も下り、今の橘屋には辛いであろう小ささのマンホールにもぐり込む。
船体の最深部だけあって真っ暗で、御丁寧に壁まで真っ黒に塗装してあって、だいぶ油臭い。
しかも男3人がやっと立てるくらいの狭さで、かつ立ったら頭が天井にぶつかる低さ。
護衛艦というのは万事がその調子らしく、機関室(エンジンルーム)でも真っ直ぐ立てないし、
居住区は天井の高さが2mない所で3段ベッドである。
上に上がり下に下がり艦内を探検するうち、艦の最後部、操舵機室という所にたどり着いた。
ふねの舵は人力ではそうそう動かせるものではないから、油圧で回していて、
その為の機械の入った部屋である。
護衛艦だけあって、万一の場合のための人力操舵装置がある。
4人でポンプをがっちょんがっちょん漕いで油圧を作り舵を回すである。
(「雑想ノート」宮崎駿著、54ページ参照)
真っ直ぐに立つこともできない狭さの、くそ暑い部屋で、ポンプを漕ぎ続ける。
想像しただけでげんなりした。
一緒に歩きまわっていた先生も、全然若手な歳なのだが、ばてばてであった。

先生:「あのさ〜、工場実習に来て造船所来たくなくなることはないけどさ〜。」
藤原:「護衛艦の中を歩いたら、海上自衛隊行きたくなくなりましたね〜。」
いや、まぢで。

終業後にOBとの懇親会があった。
話が最近の新入社員のことになって、
工場長:「最近の学生は修士を出ていても単純梁(註3)の計算もできない奴がいて…。」
先生:「高校で物理をやらずに工学部に来てる子もいて、大学側でも苦労してるんですよ〜。」
なんて言ってる脇で小さくなって寿司をもさもさ食っていたことであったよ。

註3.単純梁
「*mm四方の断面の長さ*mmの棒を両端で水平に支えて真ん中に*kgの重しを載せたら、
この棒は折れるや折れざるや?」といった問題。
藤原は不良学生であるため、テスト前を除く期間には計算できない。


本ページの写真は、IHI東京第一工場の皆様の御厚意により撮影させて頂いたものです。

「造船狂時代2 後編」へ

「時にはお船の話を」入口へ
橘屋入口へ
Constructed by Kyosuke Fujiwara (frigate@ops.dti.ne.jp)