藤原梟介の造船所実習記 第2弾
造船狂時代2後編


6日目 7月19日(月) 快曇

今日から船台(註4)で建造中の貨物船での実習。
今日の仕事と言ったら、「たま拾い」に尽きる。
船が進水する際、船体は進水台という滑り台の上を、海へと滑り落ちて行くんだけど、
そのまま滑り落とすと摩擦で大変なことになるから、船体と進水台の間に
鋼鉄製のボールを挟んでおき、船体はその上をごろごろと滑って行くことになってる。
で、船体と一緒にボールも転がってくわけで、進水式を1回やると
船台の一番海側に、ボールが山のように溜まるということになる。
それを集めておかないと今度の進水ができないのだけど、
造船所のおじさん達は忙しすぎてそれどころではないので放っぽってあった。
そしたら日当1000円のお馬鹿な学生がやって来た、と。
そのボールというのが、直径10cmくらい、重さ4kgくらい。
ボールが鋼鉄でできてるというだけで、あとは高校1年生の野球部員と変わりのない仕事。

進水ボール

大リーガー養成ボール。進水ボール。
錆びて赤茶いのは造船所のお約束。
オレンジ食べたいなぁ。


進水ボールの使い方

進水ボールの使い方。
たまの上を船体が画面右から左へと滑って行く。
たこ焼食べたいなぁ。


「上原の3日分も投げれば終わるよ。」てことで作業を開始する。
球を拾って、箱に投げる。
単純極まりない作業なのだが、何せ鋼鉄だから段々疲れてくる。
しかも暑い。汗がどぶどぶと出ている。
1時間経っても、ちっとも球は減っていない。
「これは松坂の甲子園くらいあるんじゃない?」
暑い。ちうか熱い。
今ならPETのDr.ペッパーを一気飲みして「くは〜うめ〜。」と言えるくらい暑い。
2時間経過。
「・・・神奈川県予選も入れた方がいいね。」
疲労困憊するあまり人間ピッチングマシーンと化す。
結局定時までには終わらず、試合は後日に持ち越しとなった。

へろへろのふらふらで事務所に入って行くと、机の上にビールが置いてある。
注がれてしまったので有り難く頂くことにしたが、
死ぬ程うまい。
「造船所にはうわばみがたくさんいる」とは良く言われることだけど、
仕事の後の一杯がこれだけうまくては、至極当然なことである。
あまりのうまさに体が自動的にお代りをしてしまい、千鳥足でよろよろ歩いて帰ったのであった。

註4.船台
船を建造するときには、海に向かって傾斜したスロープの上で船体を建造して、
大体完成したあたりで滑り止めを外し、海に滑り下ろして進水させる。
このスロープが船台なわけである。
もっとも今では「建造ドック」という、掘割の化け物みたいな処で船を造ることが多い。


−日目 7月20日(祝) 晴れ

海の記念日で工場はお休み。
と思ったら休日出勤をしている人がいるらしく、クレーンが動いているのが研修所の窓から見えてたりする。
明治天皇がお船に乗って行幸から帰ってきた日、というのが国民の祝日として相応しいかはともかく、
会社に行かなくて良い日と言うのは実に素晴らしいので、一日中ごろごろしていることにする。


7日目 7月21日(水) くそ晴れのち夕立

午前は掃除である。
掃除するのは、船台で建造中の船体の船底の、そのまた下の地面。
船体は地面から少し持ち上げて造っていて、それゆえか船体の下の地面にごみが溜まりやすいのである。
頭の上には、船底部が巨大に広がる。
外の光も届かぬ暗黒の空間である。

船の底の下

船底の更に下の空間。
頭の上の赤いのが赤く塗った船底。
遥か彼方の明るい部分は船底の下から出た
お日様の下の部分である。
何となく洞窟みたいな感じであった。


低い所では船底が1m50くらいの高さにあるので、例によって真っ直ぐ立つこともできず、
頭の上の船体からは、工事中の音が反響して無気味に響いてきている。
何となく、地獄という言葉を連想してしまう。
箒でさかさかと地面を掃くと、赤茶けたホコリが煙のように舞い上がる。
こんな所にたつのは土ほこりなどという悠長なものである筈もなく、勿論鉄ホコリである。
風が全然通らないせいもあり、やたらと暑い。
水飲み場の壁に、「塩錠剤」と書かれた缶がぶら下がってるくらい暑い。

午後も掃除である。
3時頃になると、石の下のハサミムシの気持ちがとても良くわかった気分になる。
そして、何か風が立ってきたな〜、と思う間もなく空が真っ暗になり、夕立がやってきた。
それでも頭の上の船体では工事が続いている。
船体の下から外に出ると、目の前に火の粉がぶわぁーっと降ってくる。
頭の上10mくらいの所で鋼板のガス切断をしているらしく、
鉄板のスキ間から滝のように火花が降ってきて、地面にあたってはぜる。
真っ暗な空をバックにして降りそそぐ、真っ赤な火花。
まるで花火のようであまりにも綺麗で(原理は一緒か)、ただぼんやりと眺めていた。


8日目 7月22日(木) くそ晴れのち夕立

午前。溶接裏当て材はがし。
鋼板と鋼板を溶接でつなぎ合わせるとき、板同士を突き合わせ、継ぎ目の裏に裏当て材という
アルミホイルの化け物みたいなのを貼り、表側から継ぎ目を溶接することになっている。
溶接が終わったら、裏当て材をはがさないと商品にならないので、手作業ではがして回る。
ここのところ船底部の溶接がだいぶ進んでいるので、昨日と同じ船底の下で、
天井(=船底)の裏当て材をはがして回ることになった。
これがまたつらい。
真っ直ぐ立つことはできず、中腰では天井に手が届かない。
不安定な姿勢で裏当て材をはがす。
裏当て材を放り込んだごみ缶を持って、中腰で歩く。
腰が痛いよう。
汗で前が見えないよう。

午後。
唐突に暇になる。
学生にもできるような、安全でスキルが要らない仕事のネタが切れたらしい。
仕方がないので事務所の掃除なぞしてるうちに一日が終わる。


9日目 7月23日(金) くそ晴れ

今日で2週間の工場実習も終了である。
午前中は甲板上、久しぶりにお天道様の下、ロボット溶接機のレールを集める作業に従事する。
建造中の船の上というのはそれはそれは暑い所で、何でも甲板の鉄板は70度に達するんだそうである。
嘘か本当か、「目玉焼きが焼けるよ。」という話もある。
やっぱりキカイ油で焼くのだろうか。
無駄なことを考えてみた所で、暑いもんは暑くて暑くてしょうがない。
体を動かすのでなおさらである。
今すぐ目の前の東京湾に飛び込んでヘドロまみれの土座衛門になった方が幸せな気がする程、暑い。

午後、クレーンを見学させてもらうことになる。
クレーンと言っても、例によって工事現場にあるような可愛らしい代物ではなく、
最大吊下げ重量80t、自重800tある。
それでも造船所としては小さい方で、日本の造船所で一番でかいクレーンは800t吊りだそうだ。
上に行くほど強くなる風の中、階段と梯子を登り継いで地上35mの操縦席に行く。
全面ガラス張りであるからして、下まで良く見える。
地面が妙に平らで、人が蟻んこよりも小さい。
ここで毎日働くのはどういう気分なんだろうと思うが、想像もつかなかった。

最後に日当を貰い、レポートを書いて、工場実習が終わった。
去年より圧倒的に肉体労働が多くて大変だったが、その分得られたものも多かった気がした。

造船モード藤原

工場内ではこういうカッコで歩き回っている。
(流石に遮光眼鏡はいつもはしていないけど。)
実習の最終日に撮影。
2週間分の汗と錆と油とヘドロにまみれて、
作業服は凄い汚さだ!



本ページの写真は、IHI東京第一工場の皆様の御厚意により撮影させて頂いたものです。

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