【4月19日BR−1/2】 4月19日のプロローグは飯島選手が3位、元Ravanello選手新保選手(愛三)が4位につけ好調な 滑り出しをはかりました。2着は6秒差でキナンの岡崎選手。1位は海外選手となっています。 4月20日からは本格的なステージレースの始まりです。また、今回は BR−2の個人参加登録レースもありこちらにも「赤坂」「深尾」「関口」「岡和田」で3日間の レースに挑んでいます。 【4月20日BR−1】 南紀白浜空港跡地走路周回コース6kmを40周128kmで戦われました。 第1ステージ、飯島選手はステージ2位、総合1位に輝きました。 その他各選手も第2ステージへ進んでいます。 【4月20日BR−2】 南紀白浜空港跡地走路周回コース6kmを25周80kmで戦われました。 BR−2は赤坂選手が、集団ゴールで24位。深尾は16周でタイムアウト、岡和田は15周で、関口 は10周でタイムアウトとなったが、次のレースも走れるゾンビルールなんです。5周回暗いまでは エース赤坂を擁護すべくまとまって走っていたRavanello勢ですが次第にハイペースな展開と管制塔付近の 回るコースで、中切れ続出で足を使わされ、次第に集団から切れてしまいました。集団のペースは本当に 早かったです。 【4月21日BR−1】 熊野山岳コース110kmで戦われた。 第2ステージ、本大会最大の山岳コース。豪雨の中スタート。各選手大小の落車を発生させながら サバイバルレース。このレースを制したのは、集団から抜け出した愛三の田中光輝選手。 後続を、数分引き離し、リーダージャージを着ることになった。 【4月21日BR−2】 熊野山岳コース47.2km桃太郎峠(KOM1)と市木の峠(KOM2)を上る戦いであった。 BR−2は、BR−1の先頭から15分で切られるルールではあったが、なんとか全員完走できた。 「赤坂」−−5位 :4秒遅れ 2回のマウンテンポイントを3位通過で表彰。個人5位でゴール。 「深尾」−−33位:3分47秒遅れ 「岡和田」−56位:8分5秒遅れ 「関口」−−65位:10分41秒遅れ 73人出場で66人完走という結果であった。スタート直後の豪雨により視界が2〜3人前の選手のお尻 しか見えない悪条件と本大会最大の山場のレースでのBR−1のゆっくりとした展開が、我々との時間差を さほど発生させず、JCF規定の%内での遅れでゴールできた。 【4月22日BR−1】 太地半島周回コース、9.65kmを11周回106.15kmで最終ステージの幕を開けた。 最後のステージ、Ravanello勢は飯島選手を筆頭に、スティーブ選手、藤田選手、米山選手が生き残った。 スティーブ選手は前日の落車の後遺症で戦線離脱、米山選手は補給での落車で集団に自力で戻るものの最終周回 数十秒足りずタイムアウト。残念な結果になった。 【4月22日BR−2】 熊野灘に突き出した太地の町で行われた最終レース。太地港からの60m一気に上るKOM1は以外に 選手を苦しめた。9.65kmを6周回57.9kmで戦われた。 BR−2は、先頭から5分で切られるルールと非常に厳しい。関口は早くも4周目でタイムアウト。 2周目で早くも集団から「深尾」「岡和田」は遅れる。赤坂は集団先頭で粘りを見せていたようだ。 集団は見えるものの、少しずつはなされていく。各周回の時間差を、オフィシャルから聞き、危機感に 落ちいつ。5週目4分遅れを宣告された「深尾」「岡和田」岡和田は登りで痙攣のおそわれスローダウン。 深尾は第2集団を引き離し、完走目指した。最後の関門。4分45秒おくれで深尾はクリア。岡和田は 5分50秒と50秒さでタイムアウト。涙をのんだ。がしかし、早い展開のペースによくついていったと 思う。集団とはほんの僅差の差が最後につながらないことをよくわかったレースであった。 「赤坂」−−−4位 「深尾」−−41位 「岡和田」−DNF:5分50秒遅れ 「関口」−−DNF:4周回でリタイア
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