ぬぬ 

 2月17日は、私の誕生日です。76歳になりました。
 たくさんのおめでとうメールをいただいて、うれしい日でした。
 数日前、ある園長先生と話していました。この方は私の同じ歳ぐらいかしら? と思いましたが、こういうときは「私より少しお若いですよね?」と声をかけることにしています。
 いままで「この人は私より年上だろう」と思っても、ほとんどが年下だったというのを嫌ほど経験してきたからです。ということは、私自身が実際より若く思っているからなんでしょう。他から見た実年齢と主観にギャップがあるということです。
 このときも結局、どうも、私より年下だったようです。けど、不思議なことに「何歳ですか?」と聞くと、ほとんどの場合曖昧にかわされます。歳が多いというのは恥ずかしいのでしょうか?「もう、言うほどの年齢ではありません。一年ずつ取っていってますから」と言われたりします。どうも、その気持ちが私にはわからない、「だって、もう76歳、こんなに大きくなった、すごい!」と、思うからです。これって、いつまでも子どもってことかしら?
 誕生日の度に、同居している姉から「あんたが生まれたときはね、もう、忘れられないわ」と聞き続けています。ちなみに自宅で、周囲の方々に見守られながら生まれたそうです。76年も前でも、赤ちゃんが生まれるという事件は一生ものなんですね。
 誕生日をなんとなく振り返っていました。
 私はいつも私らしく生きてきたわけではなかった気がします。
 家族でお祝いしてもらったときのことは、あまり記憶にはありません。お祝いしてもらわなかったことはないと思うのですが。
 嫌な記憶に残っているのは、お誕生会です。すでに幼稚園の先生をし始めた頃です。戦後の貧しさから抜け出した頃、周囲の家に門ができた頃から、子どもの数が減ると、子どもの誕生会をやる家が多くなりました。私もやってみたかったのです。友だちをよんでもてなすパーティーを。そして、親や姉たちに頼んで、やることにしました。
 家にある大きなお膳をお座敷に出して、次々運ばれる料理を食べました。でも、なぜか楽しくないのです。家族を働かせているという気持ちと、みんなはおいしいと思っているだろうかというのが気になってしまうのです。
 大きなお膳はおじいさんが設計して作ったものでした。私が生まれる前ですが、そう聞かされてきました。塗りの美しく、どっしりしたお膳です。大事だからテーブルクロスを掛けて使って来ましたが、それをダサいと感じた私は、直接料理を乗せてもらいました。そのあと、輪のかたちに白く塗りがはげた跡が残ってしまいました。親もきょうだいも怒りませんでしたが、私の心には情けない自分がずっと残っています。
 こんなようなことがたくさんあった気がします。やっぱり周囲に憧れたり、嫌な思いが残ったり、周囲の目を気にし、かっこつけていた時期があったのです。
 いま、こういう自分はほとんどありません。いつの頃から「自分らしく」に迷いがなくなっただろうと思うと、つい最近かも知れません。
「自分らしく生きよう」「自分らしく」という言葉がよく使われます。でも、案外難しいものです。人の中で生きている以上、人に左右されるし、揺れる。だから、嫌な思いも、いい思いもありながら、揺れる自分を引き受けて生き続けることしかないのでしょう。
 そうこうしてるうちに歳を重ねると、だんだんわがままになり、人に合わせるのは面倒になり、友だちは多くいらないと思えるようになり、家の中が散らかっていることより使い勝手がいいことが優先する。ありがたいことに体力も無くなってくることで、省かざるをえない事態もあるのです。自分らしくは歳をとるといただけるご褒美かもしれません。人生百年時代ですから、その時間が長くなるのはうれしいことです。
 89歳で亡くなった父が書き残した文章がときどき思い出されます。

 

「ご存じのように僕にはお金の財産はありません。
 でも、人の財産がたくさんあります。
 財産はちゃんと管理しないと無くなっていくのです。
 だから、誕生カードや、命日の花を贈ってきました」

 

 ほんとは長い文章ですが、エッセンスはこんなことです。とっても納得しています。
 確かに父はとても丁寧にやっていましたし、子どもたちにも誕生カードを送り続けていました。
 今回の誕生日も「おめでとう!」と、覚えてくださっているだけで、すごくうれしいです。
 けどけど、忘れちゃうのです管理を。お祝いされることにいい気分で浸っています。
 そろそろ財産管理をして、いい老後にしていかなくちゃ!
 みなさん、よろしくお願いしますね!    (2月19日 記)

 

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