柴田 愛子                 

 前回お話しした「とことん」のひとつに、「ステージ」がありました。
 パペット人形を作って劇をしたり、ピアノを弾いたり、歌をうたったり……そう、ステージですから。
 私が見せてもらったときは、小さい組が招待されていました。3歳児が17人くらい。その日、出演者の父母が2,3人来ていましたからおとなは7人程度というところです。
 会場はいつもの保育室。舞台はなく、観客と同じフロアー。人形劇はピアノの上を舞台にしていました。
 空き箱を使ったドラムセット、小さな白いピアノ、特別な感じはありません。子どもたちが考えられるレベルです。
 ところが、10人の子どもたちの意識は本番なのです。観客がいるのですから緊張しているのです。
 始まる前にウロウロしながら、ゆうとくんがつぶやいてます。
「おれ、もう、しにそう」
「しんじゃうかも」
 どうやら、心臓が飛び出しそうなのでしょう。
「きょうは、ねられなかった」という子もいます。
 ともくんは司会とソロで歌うとかで、家からスーツとネクタイ、濃いサングラスを持ってきて、バッチリ決めています。
 ところが、途中で母親が見に来たとたん、なりきることができなくなり、デレデレになって、床にはいつくばってしまいました。
 こういうとき、女子は頼りになります。見られることが張りになっている子だっています。
「おとこのこたちは、ちゃんとやらないんだから、もう!」と、人の分までセリフを言っていたあーちゃん。
 親に見せる行事がないりんごの木ですから、こんなささやかな場でも、こんなに普段とは違って、緊張感がみなぎるのでしょう。

 かつて、二十代の頃、私立の幼稚園に勤めていました。そこでは、12月に「うたと遊戯の会」がありました。場所は学校の講堂でした。大きな舞台で、歌をうたい、合奏をし、オペレッタをやりました。あのときも、子どもたちは「しにそう」なくらいに緊張してたのでしょうか。
 私は子どもが間違えないようにすることに必死、自分が舞台上のグランドピアノで歌の伴奏することに必死で、子どもたちの様子がどうも記憶にないのです。
 練習期間は一ヶ月半くらいでした。そのときでさえ、子どもが喜んでいたのか、迷惑がっていたのか、いやがっていたのかさえ、記憶にないのです。
 私は感情を停止して必死だったのでしょう。子どもたちも我をなくして、つきあってくれていたのでしょうか。
 いま、りんごの木の子どもたちを見ていると、いつも自分の気持ちをなくすことがありません。いつも自分と向き合っているように思います。
 幼い子どもが考えてつくるステージは、何をやっているのかわからない状態で、感動できるほどのものは少ないです。
 おとなが感動できるほどのステージにしようとするならば、子どもの力量では無理で、おとなの指導とある期間の練習が必要です。
 りんごの木のように、子どもが主役で、子どもが自分を失うことなく、自分の気持ちに立ち向かうからこそ体験となるのでしょうか? 
 それとも、子どももおとなも必死で我をなくしてでも頑張り、その結果、親たちが感動してくれたことが子どもにとって有効な体験なるのでしょうか?
 正直わかりません。
 私は見せるために、子どもの時間と自由をなくしたくないと思っています。我をなくして頑張らせたくもありません。
 でも、多くの幼稚園が発表会をやっていることを考えると、親だけにではなく、子どもにとってもプラスがあるのかもしれません。

 つい先日、我が子の発表会があった人の文章を目にすることがありました。そこには、30年前、劇で自分のやりたい役があった。ところが、その役をどうしてもやりたいという子が泣いて、仕方なく、自分は別の役に交代した。親や先生は譲ってあげた事を喜んだけれど、私は自分がやりたい役が出来なかったことが悶々と胸の中にしまわれた。今回、娘が私がやりたかった役をした。その姿を見て、やっと、胸のつかえがとれたという内容でした。
 私が二度目に勤めていた幼稚園の卒業生の文章です。私が担任だったかもしれません。
 当時、劇のやり方が保育者の自由にはならずに、園で決められていました。主役は一人の劇です。翌年、私は苦しくなって、園長とやり合い、この劇をやめて子どもたちと作った劇にしたことを記憶しています。
 読んでちょっとショックでした、役を譲った子どもの心情を「えらかったね」と片付けたであろうことが。
 案外、一人ひとりの子どもたちは、おとなが思いもよらない胸の内を経験しているのかもしれません。

●前回「石たんけん」を読みたい方はここをクリックしてください。
●「つれづれAiko」連載の05年1月〜07年12月から53編を選んで一冊にまとめました。詳しくはここをクリックしてください。