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 今日は雪景色です。初雪がどーんと降りました。
 しめっていて重く、風も強いので、屋根から地響きをたてて雪が落ちてきます。家が壊れそうで怖いくらいです。外であそぼうなんて思えない雪です。雪国はこういう毎日なのでしょうか? そういえば、今週末から石川県、富山県とお仕事をいただいています。どんなことになっているのか不安でも楽しみでもあります。

 

 さて、先週10日に、いとこが脳梗塞で急に亡くなりました。私より十歳年上で、ずーっと隣(正確には間に二軒)に住んでいて、ずーっと頼りにしてきた人なので、信じられない気持ちと悲しさとです。心境はここには書けません。ただ、葬儀の時に懐かしい人たちと懐かしい話をしたので聞いてください。

 私が子どもの頃、昭和30年前後、今の家の通りは子どもがいっぱいいました。だって、角の家は親戚で子どもが5人、その隣が祖母のいる家でここも子どもが5人(その長男が亡くなったのです)そして、その隣りの我が家も子どもが5人。すでに三軒で15人の子どもがいるということです。さらに向かいの家に4人、2人、と、ともかく子どもの多い通りでした。その群れの中でいちばん小さいのが私でした。いちばん大きい人と十二歳は離れていました。

 

「○○さんちでベーゴマやったよね。庭が立派な家でね。塀の側でやったね」
「けど、肝心のあのうちの子はやっていなかった。あの家のシート(ベーゴマをやるときにバケツの上に敷く)がよかったんだよね」
「あのうちのお姉さんは美人だったな。行くのが楽しみだった」
「そんなこと思ってたの? ませてたね」


「井戸にビー玉入れて、ポンプを壊しちゃって逃げたんだよ。そしたら高校生だった○○ちゃん(故人)が直してくれて、直ったからって言われたんだ。知っていたんだよね。男を感じたね」
「そうだよ。あの人は高校生のときから何でもできた。怒らなかったしね」


「○○さんちは新しいもの好きで、テレビがあったよね。見たいときはその子を大事にしたっけ」
「あのうちのおばさんは怖かったけど、おばあちゃんは優しかったよね。おばさんがいないときを見計らって、おばあちゃんに会いに行ったっけ」
「あのうちの子が新しい革のグローブを買ってもらったとき、みんなで隠しちゃったの覚えてるよ」


「のぶちゃんは、よくお父さんに怒られていたよね」
「そう、柱に結わかれて泣いてたよね」
「ふんどし一丁でお父さんが怒ってた」
「でも、お兄さんはほとんど怒られてなかったから、やんちゃだったんだね」


「近くのグランドの土手のツクシを採ると、管理人のおじさんがコラーって怒ったよね」
「でも、ツクシを採りたいって言いに行くと、いいよって言うのよ」
「わたしたちのときは、そこはもう塀になっていて、越えて中であそぶと管理人さんが棒を持って、コラーって追いかけてきたよね」

 

 通夜の席、こんな話で盛り上がっていました。どんどん懐かしい出来事が思い出されていきます。
 地域で群れてあそんでいた時代、おとなは忙しいからほとんど関わらずに、子どものことは子どもに任されていた時代。十歳以上も離れている異年齢集団の中で、大きい人には大きい人なりの役割があり頼りにされていたのです。
 地域そのものが今のプレーパークのようでした。そのひと回り外側に、おとなの見守りがあったのです。
 豊かな子ども時代だったと思います。今とは全く違う子どもたちだったと思います。でも、これは単に昔は良かったという懐かしの話かしら?
 ごめんなさいね。今の若い人も、今の子どもも、「わたしたちの子どもの頃はね」って、話すのかもしれませんね。それならそれでいいです。
 思い出してみて下さい。子どもの頃のことを! 子どもの気持ちを。

 自分の子ども時代を大事にすることが、今の子どもを大事にすることにも繋がると思います。(1月14日 記)

 

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