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 石川県、富山県の巡業は、それはそれは、おいしい魚をたーんと食べてきました。

 いろんな親御さん、幼稚園、保育園にお目にかかりました。どの園も活気があって、元気をいただきました。それにしてもよくしゃべるなぁ、とわがことながらあきれてもいますけど……。

 

 さて、今週の火、水曜日は5歳児といっしょに、山梨県清里に雪や氷あそびにでかけます。数年前知り合いができたこともあって、みんなで遊びに行こう! とワクワク気楽に計画し、この数年恒例になっています。
 先週の金曜日に子どもたちのミーティングに参加しました。
 みんなで持ち物などを話していたので「ところで、みんな行くの?」と問いかけてみました。すると「まよっている」という子が二人いました。
「気持ちを10とすると、いくつくらい行きたい気持ちがあるの?」(以前に木の棒を使って、気持ちを数で表すことをしました。この聞き方がわかりやすいようでしたので)と聞くと、一人は「4くらい、いきたい」もうひとりは「2くらい」と答えました。

「あとの6は、どんな気持ちか言える?」と不安や心配の中身を聞きますと、一人は「おかあさんといっしょじゃなくては、とまれない」。もう一人は「おかあさんと、おとうとがいないと…」ということでした。
 雪遊びは想像できています。みんなと行く楽しさもわかっています。心細くなった時のため、ぬいぐるみやタオルを持っていっていいことも知っています。けれど、お母さんといっしょではない不安はそれを上回るということでしょう。
「お母さんはどう思っているか、知っている?」と聞くと、二人とも「いけばいいとおもっている」と答えました。「いっても、いかなくてもいいよっていうけど、ほんとは、いけばいいとおもっている」と。「それって、苦しいね」というと、二人とも「うん」とうなずきました。私にもこの子たちの辛さが伝わってきます。
「じゃあ、お母さんもいっしょなら、行きたいということ?」と聞くと、「うん」。
 それもありかと思いました。

「この二人だけ、お母さんがついて行っても、ずるいって思わない?」と他の子に聞くと「いいよ」 二人の気持ちがわかるから、子どもは寛大です。
 前向きに二人の方向性を提案していきました。(図にしながら具体的にイメージできるように)

 

  1 頑張って行く
  2 行かない
  3 お母さんもいっしょに行く

 

 全員の子どもに考えを聞きました。
「もう、いちばんぐみ(年長)なんだし、がんばっていったほうがいいよ」「いっしょに、いきたいよ。いこうよ。バスにのっちゃえばへいきだよ」と行くことを勧める子どもが六割くらいいました。

 四割が「○○ちゃんのことなんだから、じぶんでえらべばいい。どれでもいいとおもう」という子どもでした。
 私があえて口を挟みました。

「行きたい気持ちはあるんでしょう? だけど、エイ! って思えない。じゃあ、バスが来たら、私がエイ! って乗せちゃうというのはどお?」
 親の気持ちも感じています。だから、こんな方法もありかもしれないと思ったのです。

 私は根性を養うためや、自分のハードルを越えさせるためにこのキャンプを企画したわけではありません。楽しそうだから思ったことでした。そのことで、親も子も苦しい思いをしているのなら、こんなやり方もありかもしれないと思ったのです。
 でも、このやり方を言ったときの二人の顔は、今にも泣きだしそうでした。そして、他の子は「ひどい!」と私をにらみました。
 私は、もうこの子たちに任せる以外にないと思いました。
「悩んでいるのは気の毒だけど、どうにもしてあげられない。やっぱり、自分で決めてね」と言うと「うん」とうなずきました。
 一人は「でも、おかあさんはいかないとおもう」とぽつんと言いました。

 まさに、今、直面している出来事をここに書きました。


 子どもは自分だけの気持ちではなく、親の気持ちも受け止めたうえで、葛藤します。

 今回のことだけではありません。どんなときも親の思いを背負っています。親も子どもを背負っています。親にとってよかれと思うことをしない、できない子どもを受け入れなければならない葛藤。
 今回、迷っている二人は家族が大好きなんです。いえ、お母さんが大好きなんです。お母さんといれば安心なんです。どんなに外界が魅力的でも、まだ、飛び立つことができないのです。

 でも、いつか期が熟するときがきます。

 自分から羽を広げて飛び立つときが来ます。

 決して、自立できない子にはなりません。
 親も子も別人格でありながら、お互いを引き受け合わなければならないのが親子。

 大変な試練です。共に育っていくための試練としか言いようがありません。(1月27日 記)

 

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