岩手県奥州市(旧江刺市)にある東北工場に金曜に出張になり、東北工場への出張は年に数回なのでせっかくだからと近くの花巻を訪ねた。
仕事が終わって花巻に移動し、着いたのは夜。
いったんホテルに落ち着いたが、観光パンフレットで知って「風の鳴る林」のモニュメントを見に、駅前に。
30分ごとに「姫神」オリジナル曲が流れる。
朝の花巻駅。 バス乗り場の案内
駅前でバスを待っていると、さすが「武士道」の新渡戸稲造が出た花巻! という光景が。 続々と弓をかかえた高校生がいく・・・・・・
頭を悩ましたのが、花巻の交通。電車もバスも一時間半に一本という間隔。
まずは、宮沢賢治の暮らした「風土」「空気」を感じたいと思い、地図を眺めて北上川も近いこの辺をぶらつこうとバスで「宮沢賢治詩碑」を訪ねた。
宮沢賢治が自耕したあたりの光景。
悠々と流れる北上川。コンクリートの護岸でないのが嬉しい。
いろいろなところに、こんな碑があり宮沢賢治の事跡を大事にしていることがわかる。
岩手の人は温かい
さて花巻駅に戻ろうとバス停に来て、ちょっとまだ時間があるなと上の写真を撮っていたら、始発地で留まっていたバスが出ていってしまった。あれよあれよと見ている間に(驚)
なんと、私が平日と土日の時間を勘違いしていて置いていかれたのだ(泣)
次は1時間後。どうしようとしょげた顔をしていたのだろう。通りかかったご婦人が「どうされました?」と。
「いや、時間を勘違いして置いていかれたんです・・・・」と説明すると、そのご婦人が親切にも急ぎ足で自宅からバスの時間表を持ってきて調べてくれて、
「ここをまっすぐ行って、大通りに出たらバス停が二つあって、ややこしいからそこにある薬局で確かめなさい。そうすればちょうどいいバスがありますよ・・・・」と。
慌ててお礼を言いつつ、感謝しながら道を急いだ。
このあいだ「県民性」を特集していたテレビ番組で「日本で一番お人よしな県民」が岩手県だった。
お人好しというのは語弊があり、温かいということだろう。
これはわが社の東北工場でいつも感じることだが、ほんとうに岩手の人は温かい。
そして、今度は花巻駅に戻りちょっと時間をつぶして花巻駅前から新花巻にバスで移動しようとバス乗り場に行くときに、鹿踊りの掲示を眼にした。
今日は「鉄道の日」とかで駅前で地元の高校生が鹿踊りを披露するとのこと。
以前から東北工場に出張に来るたびパンフレットなどでこの踊りを目にし、ぜひ見たいと思っていたので予定を変更して待つことにした。
一時間待ち時間があったので、コーヒーを飲むことにして店に入った。
コーヒーを飲んでいると、地元の人だろうお客さんが持参したサツマイモをお店の人と食べ始めた。
なんとお店の人が私のところに「どうぞ・・・」とお芋を持ってくるではないか・・・・・・・
いやあ・・・・・・温かいね。
「岩手・鹿(しし)踊り」の写真は「お気に入り・踊り編」に収納しました。 ⇒「鹿踊り」
鹿(しし)踊りを堪能した後、バスで新花巻駅(東北新幹線の駅)に出て、そこからタクシーで「宮沢賢治記念館」に。
宮沢賢治はやはりすごかった
ここで、宮沢賢治は実に多才な人であることを知った。
宮沢賢治が生きた時代は戦争、地震、津波、凶作と不幸に悲しむ人が多かった。妙法蓮華経を信じる敬虔な仏教家として行動した。
盛岡高等農学校(首席)で地学、農業、化学を修め、アインシュタインの相対性理論などを学び科学者だった。地学での功績が大きいらしい。
農学校の教師であり、貧しい農村の改革に尽くし、農村に新興文化を興すことを目指した。
岩手県を「イーハトーブ」と名づけ、田園の風と光に満ち溢れたドリームランドとして捉えて、詩や童話を作り出した。
自身はチェロを、彼のよき理解者だった妹(早逝)がバイオリンを弾き、上京中は新交響協会で特訓を受けるという音楽家だった。
「ヨダカ」の碑 ここからも北上の流れが見えた
これは、石なのだ。・・・・・・・・・ 実は私も福井県で採集した「桂化木」を持っているのだ(嬉)
記念館の喫茶コーナー。実に気持ちの良い空間だった。 「シグナルの小道」と名づけられた散歩道。
記念館の前の展望台から眺めてビックリした。
わかりますか? 「散居村落」なのが。隣の家が100m先という世界です。
私の富山県の郷里は「砺波平野の散居村落」と社会科の教科書に出てくるところ。
岩手は雪がすくないという話だが、富山県の散居は冬はすっぽりと雪に埋まります(泣)
記念の絵葉書
野に立つ賢治(大正15年) 賢治自筆画「ケミカルガーデン」 賢治自筆画「みみづく」
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イーハトーブ・花巻 |