この寺は、弘法大師の甥にあたる天台宗第五代座主・智證大師円珍和尚が東国教化の途中、当地に立ち寄り、地形の比叡山に似ることを機縁として一宇を建立したのに始まる名利である。
円珍はさらに自ら大聖不動明王の御尊像を刻んで中心となる堂に安置し、比叡山と同じく日吉社(山王社)を勧請してその鎮護となした。
こうして堂宇を建立し、不動明王を御本尊とする寺院を開基したのである。
「日吉」という当地の地名も、このとき金蔵寺の鎮守として円珍が勧請した日吉社に因むという。
古来「東三井寺」或いは「新三井寺」と称され、鎮護国家祈願の勅願寺であった。
入口から境内に入るとまず、柱には竜の彫刻のある派手な水天堂があります。
水天堂 横にある不動明王の筋彫り
水天堂の4面の破風には、このような獅子、獏の彫刻がある。
本堂の前にも派手な灯篭があります。そこには、「一隅を照らす」と書かれていました。伝教大師最澄の「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」という言葉からですね。
本堂に向かいました。鐘と一緒に大念珠が下がっています。
本堂にお参りしたあと、奥さんのお奨めで、大念珠も回してお祈りした。
御朱印を頂こうと思い、庫裏に行くと住職の奥様らしき人が本堂を開けてくださったので、本堂でお参りをさせていただく。
本堂には、釈迦三尊、不動明王そして寿老人が祀られている。
また、お堂には不滅の法燈の分燈があると聞いていたので、どれがそれか教えてもらいお参りしました。
比叡山延暦寺の開山時に最澄が灯した一筋の炎が伝わっています。
本尊の不動明王 ご朱印
それから奥様にことわって、自由に境内を見て歩いた。
関東地方には珍しいキリシタン燈籠。江戸時代初期のもので、織部燈籠とも称する。
高さ1.5mもある大きなもの。
灯篭の横の窓が日月になっている。
細い三日月 太陽の丸窓、向こう側に三日月が見える。
本堂左にある弁天堂。ガイドブックによると、横顔に毘沙門天と大黒天の顔を持つ三面弁財天が祀られている。建物の彫刻がすごい。
弁天様と龍。繋がりは分かりませんが、この辺りの農業の豊作祈願(雨が降り、日照りを防ぐ)のためでしょうか?
更に奥に進み、奥の院に向かいます。途中にいろいろと祀られている。
日吉山王権現 弁天様奥の院 土地の人が奉納した不動明王
それから、もうちょっと山道を登っていくと、奥の院。
奥の院にも不動明王が祀られていました。
奥の院がある山頂の辺は、樹が立て込んでいてほとんど見通せなかった。
境内に降りてきて、本堂前の松に「横綱武蔵山の遺愛の松」とあるのに気づきました。
調べてみると、昭和10年横綱武蔵山が四国巡業で記念に四国のマツを持ち帰った4本のうちの1本。隣が武蔵山の実家だそうで、金蔵寺に寄進したものだった。
45貫目の「ちから石」がありました。 168.75kgあります。
今でいうウェイトリフテイング。境内に力自慢が集まって力くらべをしたのでしょうか。ツルツルの石だから、大変だ。
徳川秀忠が寄進した鐘楼
あれっと思ったのは、御守や授与品をお見かけしなかった。
向かいに幼稚園を経営していたし、普段はお堂が閉まっているみたいなので、完全に檀家寺でしょうか。
三面弁財天(三面弁才天)の御影札など授与したら、きっと全国的に人気が出そうな気がしますが・・・・
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関東36不動霊場めぐり |
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