目白駅から目白通りを歩いていき、千歳橋を渡ってすぐの「高田一丁目」の交差点を右に折れて坂を下ったところに目白不動尊があります。

山門。200年前のものだそうです。



門前にも不動明王の石像があり。            この寺の本尊が「聖観音菩薩」なので、観音様もありました。
     



本堂、社務所は立派な鉄筋コンクリート製  不動堂
      



不動堂に安置されている「断腎不動明王」



この寺に奉安する不動明王像は弘法大師御作と伝えられ、身の丈八寸。「断腎不動明王」といい五十年に一度開帳されてきた秘仏である。
みずから断ち切られた御腎(おんて)を衆生のために与えられる断腎護身明王としている。
縁起によれば、弘法大師が唐より御帰朝の後、出羽国湯殿山に参寵された時、大日如来が現れて不動明王のお姿に変じ、忽然と滝の下に現れ出でて大師に告げた。
明王は「此の地は諸仏内証秘密の浄土なれば、有為の穢火をきらえり、故に凡夫登山する事かたし、今汝に無漏の浄火をあたうべし」といわれ、
持てるところの利剣をもって、みずから左の御腎を切られると、霊火が盛んに燃え出でて、仏身に満ち溢れた。
 大師はこの眼前に出現の御姿をそのままに二体を謹刻して、一体は同国の荒沢に安置し、一体は大師自ら護持されたという。
その後この地にあったが、寛永年中、三代将軍家光公は、特に当山の本尊断腎不動明王に「目白」 の号を贈り、
江戸五街道守護の五色不動(青・黄・赤・自・黒) のひとつとし、以後は目白不動明王と称することになった。
またそのあたり一帯を目白台と呼ぶこととなった。現存する「目白」の各地名は、いずれも目白不動明王に由来する。


ご朱印をいただいた。



境内に安置されていたもの。

鍔塚

寛政12年(1800)に建てられた、刀剣の供養塔である。



倶利伽羅不動庚申

庚申塔であるが、通常は青面金剛が刻まれているのに対して、これは倶利伽羅竜を刻んだ非常に珍しいもの。
倶利伽羅竜とは、竜が剣に巻き付いて、これを飲まんとする姿を言います。
その下に三猿がいる。



本堂前の宝篋印塔




ここが変わっているのだ。                        法隆寺の五重塔の一階裳階にも居たんですよね。
天邪鬼が四隅で支えている構図。                     縁の下の力持ちが。
     



墓域にあるとわかっていたので、お参りしました。

青柳文蔵の墓

青柳文蔵は仙台出身の人で、医者を業としました。
彼は正邪曲直を明かにし、紛糾をきばいたりしたので、報酬として得た財が莫大であった。天保2年(1831)彼はこの財産で二万巻余の書を集め、
出身地仙台の百騎町に日本最初の公開図書館「青柳館文庫」をつくったということです。
つまり、日本で最初に公開型の図書館を作った人。

夫人が、この地の人だったので、この寺に葬られたそうです。



丸橋忠弥の墓

宝蔵院流槍術の大家で、お茶の水に道場を設けて指南していた。慶安4年(1651)由井正雪と謀って幕府転覆を企てたが、
7月26日捕われ、8月10日鈴ヶ森で、礫刑された。年37歳であったが、処刑後、-族がひそかに遺骸を貰い受けて、紀州(今の和歌山県)に埋葬し、
のち一族の縁者が金乗院に移し、安永9年(1780)7月14日墓碑を建てたそうです。













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関東36不動霊場めぐり

東京都豊島区高田2-12-39
2011.6.15 参詣

JR山手線「目白」駅から目白通り高田一丁目右折

第14番・目白不動尊金乗院

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