南蔵院の由来は、蓮沼村を開墾した新井三郎盛久は、村の生活が軌道に乗ってくると、開山に宥照上人を招いて、自らが開基となって志村坂下に寺院を創建したのが始まり。
しかし、戦乱に堂宇は全焼したり、当地は荒川に近いことから洪水が頻繁で、当院も何度か移転を余儀なくされた。
享保七年(1722)十一月二十五日、徳川八代将軍吉宗が鷹狩の際に当院に立ち寄って当縁起を尋ねられた。
吉宗は当院の由緒を知って苦難の道のりに感じ入り、当院に白銀を奉納し、以後、御膳所に命じられた。

一方、志村不動尊は、もともとは当院の末寺であり、近隣に建っていた「命王山金剛院」の本尊であった。
この不動尊は、蓮沼村ばかりでなく、志村庄をも代表する不動尊であったことから「志村不動尊」と称され、広く人々の参詣を集めていた。
昭和二年(1927) に、この金剛院を当院が合併したときに、その御本尊を本堂ごと境内に移築したのが、現在の当院の不動堂である。
特に厄難消除の本尊として知られている。

この「志村不動尊」は別名「櫻寺」と言われているそうで、それならと4月にお参りすることにした。



境内に入ったところに、石仏が並んでいて、その一角に三尊の石仏があり、銘を見るとそれぞれ羽黒山、湯殿山、月山の仏さんで構成されていた。その他にもいろいろな石仏が並んでいる。
      


不動堂の両脇に、片側にしだれ紅梅、もう一方には名前はわからないが珍しい紅梅が咲いていた。
    


不動堂の本尊が「志村不動尊」ですが、その前に「明王」だと思いますが飾られています。
明王の主をなすのが不動明王ですから、不動明王を中心にして明王がそろい踏みといったところでしょう。
     


本尊の「志村不動尊」                     ご朱印をいただきました。
          



本堂には十一面観音が安置されています。 観音講の信者さんたちが御詠歌をあげていました。
   


ちょうど花祭りで、本尊の前に、花祭りのお釈迦様が置かれていました。
子供のころ、花祭りにお寺に行ってお釈迦様に甘茶をかけて、それから甘茶を飲ませてもらったのを思い出した。
     


本堂前の「紅しだれ桜」は咲き始めたところで、ちょっと残念だった。
     












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関東36不動霊場めぐり

東京都板橋区蓮沼町48-8
2011.4.5 参詣

都営三田線「本蓮沼」駅から徒歩5分

第12番・志村不動尊・南蔵院

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