三浦一族の傑物で源頼朝の重臣を務めた和田義盛は平家追討を悲願としていたが、
或る夜の夢に不動尊が現れ「我を勧請祈願すれば必ず悲願成就せん」との夢告を得た。
早速義盛は堂を建立し、夢に出た不動尊の姿を刻ませ、御本尊として安置した。治承元年(1177)のことである。
三浦一族滅亡とともに、この寺も廃寺となったが、1615年この地の有力者田口重勝が中興した。
横浜から相鉄に乗って10分ほどで和田町駅に着き、そこから5、6分歩くとお寺に着く。
その入り口のところに「満願地蔵」がある。
昔浅間宝寺というお寺があったが、平家の残党を隠したと焼打ちに合い、焼け跡からたくさんの遺骨が出てきた。
真福寺中興の田口重勝の弟、重信が地蔵堂を建立してそれを祀ったものという。
参道は、四国八十八所霊場と、西国・坂東・秩父の百観音霊場の砂を敷き詰めたもの。
突き当たると「修行大師像」が迎える。
右に折れると本堂が見える。
昭和20年、大空襲で伽藍は悉く焼失。かろうじてご本尊が助かったのみ。
やがて再興の機運が高まったが、和尚さんはまず地域社会への奉仕を考え、反対を押し切って幼稚園設立を先にしたという。
仏教の慈悲心を建学の精神として設立した。
なので、本堂再建は1960年にようやく建ったという。
木鼻の獅子の目が光っている。ここの不動明王と同じである。
本堂にあがる。本尊の前に天女の前掛けが
本尊・不動明王は全国でも稀な、利剣を前に突き出して向けている御姿である。
正面に拝すると、お不動さまの目が眼光も鋭く欄々と輝いている。和田義盛の激しい気性が乗り移ったとも云われ、
それだけに真剣に祈りをささげればきっと願いを叶えて下さる仏さまであろう。
ご朱印をいただいた。
庭に出て、他の仏像にもお参りする。文殊菩薩の頭が、みんなが撫でるのでピカピカである。
六地蔵
合掌観世音像。たいへん品のあるお姿だ。
大変立派な樹があった。
門前に、高野山のポスターが貼られてあったが、とてもいいポスターだったので貼ってあったのを全部撮ってきました。
横に、和田義盛にゆかりのあるという「和田稲荷」があったので、そちらもお参りした。
それにしても、お稲荷さんの前に生えている二本の木が、ともに「夫婦(めおと)」になっているとは。
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関東36不動霊場めぐり |
神奈川県横浜市保土ヶ谷区和田2-8-3 |
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第4番・和田不動尊・真福寺 |