まず、御本尊の不動明王は理源大師聖宝の御作。
徳川家累代の秘蔵仏であったが、元禄年間成田山中興開祖・照範上人が、徳川家より祈願を懇嘱された際に祈躊の本尊として賜わり、
その後塔頭の観音院に奉安されてきたものである。

日米通商条約の締結により港が開かれると、一漁村であった横浜は俄かに発展を見せ、全国各地から押し寄せる移住者を吸収して一躍国際港の街となった。
これら移住者の中には成田不動尊を信奉する東京や千葉の人々が非常に多く、成田山大本山より御分霊をお迎えして朝夕明王の御加護を仰ごうとする
熱烈なる念願のもとに、大本山は、明治三年(2870)原口照輪上人を開基として、太田村の普門院境内に遥拝所を設けた。
本尊には成田山塔頭・観音院に安置されていた、かの理源大師御作の不動明王像を遷座奉安した。これが当院の開創である。

その後信徒の増加、講社の設立につれ、普門院境内の遥拝所では手狭となった。
『高島易断』で名高い高島嘉右衛門はかねてより成田山の篤信者であったが、此の教会設立の話を聞いて大いに喜び、早速に自らの広大な敷地を寄進した。
これが現在の当院の境内であり、通称「野毛山」と呼ばれた。


浮世絵に見る「野毛山の切通し」昔から、大変な崖地だったことがわかる。
     
                                 成田山に直行?、バイパスする?階段があります。


が、水行堂などを見ながら行きたいので、そちらに向かいます。
    
                                                   入ると、寄進された不動明王などが並んでいる。どこの溶岩でしょうか、奇岩を使ったものが多い。


前不動堂、この奥が水行堂で、行者が水垢離をするところ。




これは「福満弁財天」
    
                                                                                  阿吽の狛犬のかわりに、阿吽の蛇がついてます(笑)


ここに、きれいな鳥が休んでいるのに気が付きました。カワセミ?
糞の様子からして、いつもここに居るようです。
飛び立つところを撮ろうと15分くらい待っていたが、一向に動かないので根負け(笑)
      



役行者窟
      
                                   傾斜地に36童子が立っていたが、あまり整備されていない感じだった。


階段を更に上っていくと、石垣が途切れて窟になっており、寄進された不動明王が鎮座。
   



この階段を上がれば、本堂。



階段の上り口のところに、狛犬ならぬ獅子が。
     
左には、「子落としの獅子」                   右は、子獅子がもうすぐ近くに居る。



階段を上がりきって本堂の前で振り返ると、桜木町の町が。昔なら横浜の海が見えたのでしょうが、今はマンションでさえぎられてしまっていますね。



本堂
    
                                                    向背の竜                                 木鼻の象


本尊の不動明王
       
                                          ご朱印をいただいた。

そのあと、間もなく「護摩行」があるというので、ご祈祷に参加させていただきました。


横浜成田山本堂と並んで、いろいろなお堂やお宮さんが並んでいる。
  
                                                     大師堂の「お大師さま」


子育て地蔵尊(萬徳寺)
   



寄進された不動明王
     



灯台かと思い、近づいてみると「海員悼逝之碑」というものだった。
碑文を読むと、当時の海員倶楽部の所属船員が、維新以来海難に殉じた海員の霊を慰めるため、明治36年に建てたもの。
     
                                      題字は伊藤博文の筆によるもの。


「海員悼逝之碑」の足元に「野毛の七福神」が祀ってあった










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関東36不動霊場めぐり

神奈川県横浜市西区宮崎町 30
2011.3.2 参詣

JR「桜木町」駅から徒歩5分くらい

第3番・野毛山不動尊・横浜成田山延命院

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