ボロハチ奮戦記 第一幕(創生編)




92年5月 66万円(走行9万km・保証無し)で中古車として購入。昭和61年製造の後期型としては結構破格だったと思う。

もともと趣味車にするつもりだったので、内装・外装・走行距離・多少の事故歴は気にしないことに、どうせぶつけるだろうし、内装も剥がしてしまうし。

ちなみに隣に展示されていた同61年式、走行6万kmのトレノ(保証あり)は90万だった。

92年6月 まずは様子見で筑波山へ

とりあえず自分の場合、車を買ったら筑波山に持ち込み限界がどのくらいかを体感することにしています。朝日峠、パープルライン、フルーツラインと一通り走り、中腹の駐車場でパイロン相手にジムカーナ。前のオーナーが多少は手を加えていたみたいだけどロールはひどいは、LSDはヘタッてるはでお話になりません。

途中、キレた白のEP71(実はスターレット‥)と一緒に走って5戦全敗‥。いくらなんでもあの速さは尋常じゃなかった。固く再戦を誓うのでした。

92年8月 とりあえずお約束として足回りからいじる。

JAMレーシングの前後車高調キットを購入。F5.5kg:R3.5kgのソフト仕様だったかなぁ?ついでに全然効かなかった純正LSDもTRDの4ピニ機械式に換装し帰り道の交差点で大ドリフト大会になるほど強烈に効きまくる‥。(^^;;

ちなみに現在はF8kg:R6.5kgの標準的?な固さに落ち着いてます。

92年9月 友人の86についていたプロフ製の競技用腐れマフラーを5000円で購入。

面倒くさくて整備工場に任せたら8000円も取られる。おまけに86用としては珍しい60φと太いためノーマルエンジンではトルクがスカスカ。ガビ〜ン!

92年11月 日曜の早朝に宿命のEP71と遭遇し再戦!

足を固めてLSDを換装した効果は大きく7往復し辛くも2勝する。ただ、その2勝はどう見ても相手が手を抜いてくれてたようだけど‥。

彼が鬼のように速い秘密はセミスリックタイヤ(発売中止になった昔のやつ)とみた!峠で4輪セミスリは反則でない?

93年2月 冬の凍結時期を過ぎて、この頃にはEP71とも互角に走れるようになる。

もちろん86のタイヤもセミスリに履きかえられていたのは言うまでもない。どうもEP71の彼は土曜の深夜から日曜の朝にかけて走っているらしく、日曜の朝に現れる自分と走ってから帰るというのが日課になっているみたい。

この頃、確かTRDのメタルクラッチを入れて後悔したっけなぁ‥。

93年7月 7月下旬の暑い土曜日の夜

その日は仲間とつるんで筑波山に行ったところ、ホームコースであるパープルラインの途中に花とお供え物が置かれていました。

この場所は制限速度30kmの道を140kmで抜けていくような最も速度が出る場所で通称『どんぶりコーナー』と呼ばれており、片側が岩肌、その反対側がガードレール越しに崖となっているコーナーで、ガードレールのへしゃげ具合や、崖下の木の不自然な折れ方からどうもここからダイブしてしまったようです。

よくある光景でも、ここパープルではめっきり死亡事故が少ないため特に印象に残っています。

実際に事故現場を見てないので確証はもてませんが、その日を境に1年来のライバルEP71の姿が筑波から唐突に消えました‥。

93年8月 とりあえず排気系を完璧にしようと、トラスト製のタコ足(青いやつです)を購入。吸気系も茶漉しフィルターを装着して給排気系は完璧?になったはず。

93年12月 最初からついていたワタナベのアルミホイールの引っ込み具合が気に入らず、アドバンA3Aを購入。

ただ、金欠中だったため4本セットのところを強引に交渉して2本だけ売ってもらう。

※たこ踊りポルシェ事件