1998年5月22日 Friday(現在のゆりこ)
この頃と根本的に私の環境状況は変わってない。仕事も忙しいし、家族のことでゴタゴタもする。
この頃、自分ではいろんなことを努力しているつもりだった。けれど、結局は周りの人の顔色をうかがいながら生きているだけだった。恋人や親や家族の顔色をうかがいながら、あっちに行ったりこっちに行ったりしてへとへとになっていた。
自分の中で、一番大切なものは分かっていたけれど、それを貫くことができなかった。それは、自分が逃げていただけなのに、周りの環境のせいにして責任転嫁していた。
でも今、自分の中の気持ちとしては、この頃より幾分か、変わってきていると思う。
仕事に対する考え方や親に対する考え方。自分の人生に対する考え方。
仕事のことや親・家族のこと。自分の力じゃどうにもならないと思ってた。でも、そういうことはありえない。なぜならそれは、自分の人生だから。
嫌だと思うことならやめればいい。やめる勇気が無いのなら、そこまで思い切る事ができないのなら、文句や不平不満を持たずに納得して続けるべきだ。
このとき、私は、いろんなことに不満を持っていた。不平不満だらけだった。
仕事のことに対する不満、親・家族に対する不満、恋人に対する不満。なんで、あたしがここまで仕事をしなきゃいけないのか?なんでうちの親は、家族はこんなにわがままな人の集まりなのか、なんで彼はこの苦しい私の気持ちを理解して一緒に分かち合ってくれないのかと。
先に進めない不満ばかり心にためていた。「なんで?なんで?」そればっかり。これでは先に進めない。
現状がいやならば、「じゃぁこの先どうすれば解決できるのか?」を考えるべきだ。文句を言う労力や不平不満をためる労力は莫大なもの。その莫大な労力を、前に目を向けて注いだら、きっと打開策が見つかるはず。
未だ周りに左右されている部分は、私の中で多々あるけれど、内面では徐々に変わってきていると思う。
今、仕事も忙しい、家族もなんだかあやしい状況だけれど、私はあまり気にならなくなってきた。
私は、これから自分のために生きようと思う。それは決して自分勝手に生きるという意味ではない。「自分のために生きること」は「自分の気持ちを大事にして生きていく」ことだと思う。例えば、大切だと思う人がいるのならば、その人を大切にして生きていくことが自分にとって幸せであり、「自分のために生きている」ことになると私は思う。
何かをしようと思ったとき、全てがうまくいくことはありえない。何か必ず犠牲になるものがある。けれど、その犠牲になるもののことばかりを考えていたら、一生自分のためになんか生きることはできない。
だからといって、周りの人間を傷つけていいというわけではない。もちろん、少なからず傷つける事はある。けれど、故意に傷つけたり、けんかをする必要はない。思いやりや優しさを忘れずに、周りと接して行きたい。
自分の意志を通して自分のために生きること。私にとっては、今まで一度もしたことがないこと。だから、簡単なようでかなりむずかしい。
でも、私の人生は私のもの。親のものでも他の誰のものでもない。後で後悔しないように生きようと思う。たとえ、誰かを傷つけることになることがあったとしても。