「何様のつもりだ。」

祖母が最初に倒れるまで、私が14歳になるまで言われ続けた言葉だ。

洋服を買ってもらって帰ってきたとき
どこかへ遊びに行ったとき
小学校の入学祝に勉強机を買ってもらったとき
電子ピアノを買ってもらったとき
コンクールで賞をとったとき

必ず玄関に仁王立ちして腕を組んだ祖母に、鬼のような形相で言われた。

何様のつもりだと言われることに慣れてしまった私は、買ってもらったものを隠して二階に上がるコツを覚えた。
賞を取っても誰にも言わないようにした。

そんな風に免疫ができ、次第に苛められ虐げられることにすっかり慣れっこになってしまった私に衝撃を与えた、とても思い出深い「何様のつもりだ」がある。

私は中学受験組だった。
小5の時から学習塾に通い始め、私立中学を受験した。
第一志望は御三家といわれる桜蔭。そのすべり止めに東邦大東邦、さらにそのすべり止めに新しくできた渋谷学園幕張中学を受験した。
桜蔭は見事に落ち、東邦大東邦も落ち、私の実力なんてこんなもんだよねと思いながらも、一生懸命勉強した分かなり悔しくてこっそり泣いたりした。
祖母や伯母や叔父は、いい気味だと指を刺して私を笑った。
そんな私が、渋幕には何故かトップで合格。
トップ合格ということで両親は喜んでくれたが、祖母伯母叔父は、そんな名前も知らないような学校にトップで合格したって意味ないと、さらに罵った。
でも両親は喜んでくれていたので、彼らに何を言われても構わなかった。
ちなみに、渋幕は今じゃ千葉県では、東邦と入れ替わって今じゃトップの偏差値だそうです。
だから、こんな失礼な言い方されるような学校ではなくとても立派な学校ですが、とにかく何でもいいから難癖をつけたかったのでしょう。
私が受かった当時は、たぶん偏差値60弱位だったと思いますが・・・。

制服も届き、新入生総代で挨拶を頼まれていた私は、どんな挨拶をすればよいのだろうと考えながら毎日を過ごしていた。
そんなある日。
東邦大東邦から補欠合格の連絡が入る。
入学が決まっていた渋幕に丁寧に断りの連絡を入れ、ありがたい事にずいぶん引き止めて頂いたけれど、私は東邦に行きたかったので制服その他一式をお返しした。
当時千葉県ではトップだった東邦に、私は補欠で何とか入ったのだ。
だから、まぐれ当たりのようなもので、別に偉くもなんともないのです。
でもまあ、合格は合格。

晴れて中学に入学して、私の母親が台湾人であることなど誰も知らない人たちに囲まれた生活はとても穏やかだった。
沢山友達ができ、水泳部に入り、日々楽しい時間を過ごしていた。

そして受験の季節がやってくる。
もちろん私には受験はもう関係ない。
1つ下の私に対抗心バリバリの従妹が受験する季節になったのだ。
我が家は大騒ぎになった。
とは言っても、大騒ぎしてるのは、祖母、伯母、叔父、そして従妹本人であって、私も母も我関せずではありましたが、家庭教師をつけるということになった。
その家庭教師の費用と、塾へ持っていくお弁当を何故かうちの母が負担することになってしまう。
母は、店で忙しく働く合間に、毎日彼女のお弁当を作ってあげていた。
しかし、お弁当の中身について文句を言われたことはあれど、御礼を言われたことはないそうだ。
本人からも、その母親の伯母からも。
家庭教師の費用などは、何故母が払うことになったのか理解に苦しむのだが、経緯はこうだ。
父が、祖母と伯母と叔父に、
「どうせあんたは従妹よりゆりこの方がかわいいんだろう」
と責め立てられ、呆れながら
「自分の娘なんだから当たり前だろう!」
と答えたら、大泣きの大荒れの大騒ぎになって収拾が着かなくなり、家庭教師費用を払ってあげる、ということで決着させたらしい。
かなり理解不能な話ではあるが、我が家ではこういうのは当たり前で日常茶飯事だった。

ちなみに、私は母にお弁当を作ってもらったことはほとんどない。
何だか申し訳なくて頼めなかった。
いつも自分で何かしら用意して持っていっていた。
いや、一回だけねだって作ってもらったことがあった。
いつも私は自分で自分のお弁当を作って学校に行っていたのだが、いつもワクワクしながらお弁当箱を開ける友達がうらやましくて頼んだことがあったのだ。
自分で作ってるから、何が入ってるかなんて分かりきってるし、朝はお弁当に入れた残りを食べていたので、朝と昼は同じメニューなのだから、楽しくもなんともない。
その頃仕事が忙しいことをきっかけに、この地獄のような家から出て、店の近くに1人で住んでいた母に頼み、朝学校へ行く途中に電車でその駅までお弁当を取りに行ったことがあった。

この頃の私は、従妹とは本当に対照的でことごとく自己主張をしない子供なのだが、彼女の方は自分の主張を全て通していた。
周りもそれを当たり前のように受け入れていたし、私と母はその輪の調和を乱すととんでもない事になるのは目に見えていたので、文句も言わず合わせていた。

そして、入学試験が始まる。
彼女は、第一志望は女子学院でその他10数校受けたがことごとく落ちた。
どこにも受からなかった。
もちろん大騒ぎになった。
泣いて騒いだってどこかに受かるわけではない。実力の問題だ。
けれど、泣いて騒いで暴れる。
そして、家庭教師に絶対良くなる学校ですよと勧められた新規開校の学校の二次募集の試験を受け、ようやく合格した。

合格したんだからめでたいのに、家の中は相変わらず泣くわ暴れるわの大騒ぎ。
ある日、私は、祖母と伯母と叔父に呼び出される。
三人に囲まれ正座させられ、こう言われた。

「従妹が新しい学校に受かったことをどう思うか。」
「良かったと思いますけど。」
「お前は東邦で、従妹が××校で、お前は恥ずかしくないのか。」
「・・・? ××は別に恥ずかしい学校ではないと思いますけど。」
「違う!お前だけ良い学校に受かって、従妹は惨めな思いをしていることに対して恥ずかしくないのかと言ってるんだ」
「言っている意味がよく分からないんですけど・・・。」

「お前だけが良い学校に入って何様のつもりだって言ってんだよ!」

そして、3人から代わる代わる罵られた。
言葉が出なかった。
むちゃくちゃだ。そんなの。と思いながらも、黙って我慢してその場を凌いだ。

きっとこの「何様のつもりだ」を私は一生忘れないと思う。
つらい思い出というよりは、何だかバカバカしくて笑ってしまう思い出として。



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りーどめっ