日乃出堂通信30号Part2
「悪魔の手鞠唄」「獄門島」
東宝ビデオ
市川 崑 監督作品
やっと、LDが再発売されました。それで、手に入れることができました。
珍しく、1週間で両方を見てしまいました。いらないと思っていたのですが、こう
なると、「女王蜂」と「病院坂の首縊りの家」も欲しくなってしまいました。
やあ、「悪魔の手鞠唄」はやっぱり良いです。「天河殺人事件」まで購入しても良
いかもなどと思いはじめてしまいます(ウソ)。
「女王蜂」と言えば中井貴恵が若いです。
ところで、市川崑監督の金田一シリーズは奇麗ですなあ。しかし、なぜ、宿屋の女
将さんは岡山県警の警部と探偵がいる時に人殺しをしなければならなかったのでしょう。
やっぱり金田一のフィールドに踊らされたのでしょうか?
「あっ、患者が死んじゃった![109の誤診実例]」
半田 宏著
データハウス
思わず購入してしまった。なぜ、こんな本が目に付くのかわかりません。
しかし、おもしろい本ですね。やっぱり本屋には足しげく通う必要があります。
題名どおりの本です。ただし、全部が全部死亡に至った誤診、医療ミスではありま
せん。
ただ、残念なのはクモ膜下出血だったか硬膜下出血の手術で血腫の吸引で脳味噌ま
で吸引してしまったと言う話が無かったことです。残念です。
まあ、神ならざる存在ですからしょうがないですね。所詮、医者は職人でしかない
のです。失敗を重ねて一人前になるのですし、いつでも成功するとは限らないもので
すよね。
人一人の命を助けられるようになるためには多くの屍が築かれるものなのです..
.虫垂炎の診断を間違い患者を危険に陥れて外科部長に怒られるからはじまって。手
術するにしても、麻酔を忘れて患者に悲鳴を上げさせるくらいならまだしも、緊急の
ときの注射を間違え殺した患者は数知れず。ですよ。
これが脳の話しになるともう、次から次へと死ぬ死ぬ。もう勘弁してよと言うくら
い殺してしまうのですよね。結局人を殺して経験値を得なければ成らないのです。え
?医療はゲームじゃないって?それはそうでした。
さて、この本の中でおもしろいと思ったのは、体の中に置き忘れる物として一番多
いのは、メスや鉗子では無く“ガーゼ”だと言う話しでした。金属物で無く、血で色
が付くと組織と見分けが付きにくく成ってしまうのかも知れませんね。それに、メス
や鉗子等より数が多いしね。しかし、どこの病院でも一応ガーゼの数も数えるように
はしているそうなのですけどね。
とにもかくにも人間の体は複雑だと言う話でした。
「菊と刀−日本文化の型−」
ルース・ベネディクト著
長谷川松治訳
現代教養文庫|社会思想社
「完訳」とあります。
日本研究の基本的テクストとされている文献です。今頃読みました。
基本的テクストとされている意味がわかりました。確かに基本です。というよりこ
れだけでも素人には十分かも知れないと思わされる内容です。異論もいろいろあるよ
うですけど、それは研究を重ねてきた人が言う言葉です。
著者は日本を訪れたことがないそうですが、驚くと共に、ある種納得できるものも
あります。とか書くとその矛盾が実に日本人だと著者に評されそうですね。
たぶん皆さんは既に読んでいると思いますから多くは書きません。
ところで、九州大学では社会学でこの本をテキストにしていたことがあるそうです。
まったく帝大というやつはこんな小難しい本をつかうんだから。
研究対象が戦前を中心とした日本の家族制度であるので多少古く感じるところもあ
りますが、大枠では変わっていないと言うことがわかりました。国民性(と言うより民
俗なのでしょう)と言うものはそんなに簡単に変わるものではないと言うことでしょう。
日本人が変わらなかったのは、ある種連合国(この場合特に合衆国と言うべきでし
ょう)の占領政策に寄るところが大きいのかも知れません。
それもこれもこの本の著者等の作成した「日本および日本国民」に関する報告書に
影響されたためなのです?
もっと早く読むべきでした。と言うのが結論です。
早く読んだからと言って何かが変わったと言う訳ではないかもしれませんけど。も
しかすると何か違っていたかも。
ま、そんなことはどうでも良いですね。
「携帯電話」
ついに購入してしまった。さて、これから毎月の基本料金の払いをどうしようかと
思い悩んでしまう私であります。
機種は三菱電機のデジタル携帯電話のDigaです。会社はNTT DoCoMoを選びました。
で、いきなり購入したのはここにきてNTT DoCoMoが新型を出してきて、型落ちの機
種の値段が大幅に下がったことにあります。
そして、来月で車のローンが終わり、生活がいくらか楽になるからというのもあり
ます。
さらに、今まで外で使用していたポケットモデムをデジタル交換器付きの内線電話
に確かめもせず繋いで壊してしまい外での接続ができなくなったと言うこともあります。
そして、一番の理由が、1997年2月にBTRONをOSとしたPDAであるBra
inPad TiPOが発売になりと言うのがあります(これは上に書いてますね)。
これは、雑誌などで最近取り上げられることが多いのでご存じの方も多いと思いま
すが、HP200LX(現在私が外で主に使用している機種)には無かった、“標準
”でインターネットにダイアルアップ接続する機能が付いていると言うことでますま
すMobile Computing環境の整備が急がれていたのです。
そこで、悩んだのが
1)新しいポケットモデムを購入する
2)モデムカードを購入する
と言う2つの選択だったのです。
ポケットモデムは最近アイワから30k超のポケットモデムが発売されたのでプラ
イオリチは高かったのですが、前のポケットモデムを壊した経緯があり“どこでも接
続できるとは限らない”、“思いの外じゃまになる”と言うのがあったのです。
ただし、ポケットモデムにはコンピュータ側の電源を消費しないと言うあまりに大
きな利点があるのも否めません。
それに、カードモデムにしても“薄い”と言う特性により取扱いに慎重さが求めら
れ意外に「じゃまになる」とも言えます。さらにコンピュータの電源を消費するとい
うのは問題かも知れません。
それでも、
「どこでもいつでも通信」と言うMobile Computingの一番の利点を生かすために結局
携帯電話の購入を決意したのです(笑)。
しかし、実際それだけのメリットがあると判断したのではありません。ただ「欲し
」かっただけです(大笑)。
問題はそれからです。
はたして携帯電話を使うのかPHSを使用するのか?これは悩みました。
将来的には両方を手に入れるしかないのかな(^O^)?とも思いますが、それはまだま
だ先の話です。
で、通信端末として考えた場合に、
「主として車で移動している」
「都会ならいざ知らず、大分ではPHSと携帯にサービスの違いがあまり無い」
と言う2点から結局NTT DoCoMoの携帯電話を購入する事にしたのです。
「ミカカ(なつかしいでしょう)」系を選んだのは電話料金が安かったからです。特
に「出張中や旅行中」を考えると他の移動体電話会社は結構通信料金が高いことがわ
かりました。
しかし、デジタルデータPCカードは値段が高い!お店(ベスト電器大分店で購入
)の人も「携帯にPCカードを使ってデータ通信したい」と言うと「データカードは
まだ値段が高いですよ」と言われるほどでした。実際には350k円で入手です。
しかし、この時まだ不安がありました。
私は以前にも書いたようにOSにDOS/V用のBTRON1であるところのパー
ソナルメディア社の「1B/V3」(12月にV2からバージョンアップされた)を
使用しております。V2でもPCカードモデムはいくらかサポートされていたのです
が、このV3から制式なものとなりました。しかし、当然のようにすべてのマシンと
カードの組合せによる動作が保証されているわけではありませんから...
ま、結果から言うと1B/V3での動作にはなんの問題もなく、現在の出先用であ
るHP200LXパームトップコンピュータでの利用も完璧だと言うことがわかりま
した。
これでもうホテルでの電話回線に悩む必要がなくなったと言う訳ですね。めでたい!
ところで、料金は「スタンダード」で契約しました。利用時間に制限が付くのは論
外だし、通話料金の割り増しで基本料金の割り引きがあってもこの先どのくらいのメ
リットがあるのかわかりませんからね。
後は、基本料金と通話料金の値下げが行われることを期待するだけです。
一番の問題は「使うことがない」と言うことでしょう(^_^;)
ところで、デジタル携帯電話の通信速度は現在9600でしかありません。もちろ
ん、外からの接続で利用するサービスがほとんどメールのやり取りと言うことしか考
えてなかったのでこれで十分と今のところは思っています。しかし、今後どうなるか
わかりませんね。ま、そのときはそのときです。
さて、それから9ヶ月が過ぎようとする今、携帯電話機を買い替えました。買い替
えた機種はD203H。前にもっていた物と同じ三菱電機の製造ですが、今回はDoCoM
oブランドになりました。
しかし、小さい、軽い、電池が長持ちする、メモリが大きい。技術の進歩はめざま
しいものがあります。
まあ、9ヶ月近く携帯電話を利用してきたのですが、「便利です」しかし、「不要
」としか言い様がありません。
どこからでも通信でき、いつでも(とはいきませんが)電話を受けられるのは、実
際便利としか言えません。しかし、出費に見合うメリットがあるとはとうてい思えま
せん。
「Free BSD for PC-9801」
ご存じPC-UNIXです。新しいぺんてあむ166とノートパソコンの導入で使わなくな
って一時片付けられていた98DA様に導入してみました。
まず、昔外付け500MBHDD導入時に一緒に導入したSCSI−2のI/Fボ
ードがこのOSに合わなくて第一回目のインストールは一晩で断念。
しょうがなく新しいボードを購入。まったく、使わなくなったハードにお金を掛け
ることになろうとは思いもよりませんでした。
もちろん、ボードの仕様を確かめて購入したので次のインストールは問題なく終了
。と言っても結局1晩掛かりましたけどね。そのときは、そのまま会社に出ると言う
目茶を久しぶりにしました。
それから、その後X-windowsを導入しました。
しかし、マルチ周波数のテレビは166に与えてしまったので、使えるテレビはD
Aの初期導入時に手に入れた98標準ディスプレイでした。
Xを立ち上げるとこれがもう、狭すぎ!これでは使えません。
日本語環境の構築も何もせずに今またDA様は眠ってます。
少しでも余裕ができたら新しいテレビを購入しなければならないと思っています。
とりあえず、一度部屋を片付けて、166のマシンとテレビを共有にしてみたいと
思っていますが...
しかし、このめちゃくちゃな部屋が片付くことがあるのか!と言う気もしています。
また、今後少しずつ環境を立ち上げたいと思いますのでわからないことが出た場合
には御教示お願いしますね。
そんなこんなで、三菱電機のRD15Mと言う15吋のマルチスキャンのテレビを
購入したのですが、今DAに刺さっているアクセラレータが言うことをききません。
FreeBSDのパッケージではサポートされている機種なのですが...。
さて、次は古いアクセラレータを捜す必要があるのでしょうか?
まだまだ楽しませてくれそうです。
次は、linuxだと思っているのですが。
「1B/V3」
この号の前の方でも紹介している「電房具1B」のバージョンアップ版です。
1B/V2からのアップグレードです。
このバージョンの一番の目玉はHDDの「MS-DOS」区画を見ることができると言う
ことと、ATAのPCカードディスクを読めると言うことでしょう。
これにより、HP200LXで作成したデータをフラッシュカードを介して直接データ変換
することができるようになりました。
もちろん、上に書いたようにモデムカードも認識します。
後は、何度も出ているBrainPad TiPOが手にはいるのを待つだけです。
しかし、なぜ、こうも必要ないものばかり購入する...と言うより欲しくなるの
でしょうね?よくわかりません。
ところで、実は「Microsoft Windows NT」まで購入してしまいました。これを、「
1B/V3」を入れている、Let's NOTEに導入しようとしたのですが、PCカード接
続のCD-ROMを認識してくれません。ドライバが用意されていないのでしょうけど、ど
こをさがしてもありません。九州松下のウェッブサイトも見に行ったのですが...
さて、このニッツウが出る頃には導入が済んでいるでしょうか?いや、このOSも
導入してみたいだけです。特に使いたいわけではありません。
通常使うOSは1B/V3で十分ですからです。できれば3Bが出て欲しいと思う
だけです。
どうもパソコンの話ばかりですね。そろそろ別の話に移りましょう。
その後NTは10月末に衝動買いした79.8k円でテレビ付きの大安売りPCに
導入して会社でLANに接続して使用してます。無駄にならなくて良かったね。
「病院坂の首縊りの家」
市川崑監督作品
伴奉天さんに大阪からわざわざ買ってきてもらいました。
良い話です。もうどろどろ。見てい思わず顔がほころぶほどどろどろです。
かみひとえさんの言によれば「これぞ日本の殺人!」と言う感じです。
でもね、頸動脈を切って死んでから数時間たった人間の首を切ってもあんなに血は
飛び散りません(たぶん)
等々力警部はやっぱり良い人だし。
昔、ビデオか何かで見たのですが、まったく記憶に残っていなかったのであまり深
く考えていなかったのですが、今回見直して認識を新たにしました。
この作品と一緒に買ってきてもらった「女王蜂」も良い作品です。
美しい映像は当然として、高峰三枝子が良いかもしれない。
「東京たてもの伝説」
藤森照信、森まゆみ著
岩波書店
この「いもほり日記」の最初にも紹介した本です。
興味がない人でも楽しめるのではないかと思う本ですが、わかりません。私は興味
があるのでおもしろかったですが。
この本の中でも紹介されていた「江戸東京たてもの園」と言うところには一度行っ
てみたいと思います。
1996年の11月末に出張を利用して「江戸東京博物館」と言うところに行った
ときにその存在を知りました。
「江戸東京たてもの園」と言うのは「江戸東京博物館分館」ということです。
高度成長期までの代表的住宅を集めるつもりのようです。
ところで、その「江戸東京博物館」のミュージアムショップで見つけた本を紹介し
ましょう。
「江戸東京たてもの園物語」
企画 編集:江戸東京たてもの園(江戸東京博物館分館)
スタジオジブリ
製作 :スタジオジブリ
発行 :江戸東京博物館
です。題名にひかれて手にとって見ると“スタジオジブリ”とも書いてあるではない
ですか。
図録なども購入していて「重い」とは思っていたのですが、購入してしまいました。
ぱらぱらめくっただけですが、「東京たてもの伝説」を読んでからあらためて読み
たくなりました。
やはり東京が文化の中心地であると再確認してしまう本でした。
ただ、建物に関しては各地方独自の発展を遂げていると言うのもあって東京だけが
注目されるべきでは無いとは思いますが、(東京には)研究者が多いし、しょうがな
いのでしょう。
また、江戸東京と言う流れが、大火、地震、空襲そして先のバブルと言う条件も重
なり自然に流転をくり返す文化を育んで来たために“保存、記録”と言うことに(最
近になってですが)気がつき始めたのだと思います。
近畿圏では意外に古い建物は残りやすいために今少し“保存”に力を入れ始めるに
は時間が掛かるのかも知れません。しかし、「江戸東京たてもの園」より先に大阪の
「緑地公園」では民家の移築と保存が始められていたし、近代建築についても記録は
再開発ギリギリになって行われました。
しかし、気になるのが霞が関ビルです。あれは保存されるのでしょうね。
今、行きたいのは「深川江戸資料館」と言う博物館です。行きたい!
で、その「東京たてもの園物語」です。
序文というかなんというか、そういうところに“高畑勲”と“宮崎駿”が書いてます。
表紙は宮崎さんが描いたものでいかにもと言ったところです。
内容は、1995年たぶん94年までに「江戸東京たてもの園」に移築された建物
に関して関係者へ行ったインタビューといくばくかの写真からなっています。
構成として、最初の半分が下町の暮らし、後の半分が高級住宅と言う感じです。
上にあげた「東京たてもの伝説」でも、同様に昔の住人や当時を知っている人達に
インタビューを行っているのですが、いかんせん昔のことでもありどうしても“郷愁
”と言うフィルタがかかってしまうのが困ります。
ま、こういう本を読む私自身がその“郷愁”に毒されていると言うのが一番いやな
のですけど。
と言っても本当にそう言うのに憧れているかと問われれば答えは“No”です。
ああ言う人間関係と言うのは基本的に嫌いです。そこら辺に高度経済成長期以降を
育ってきた私があり、またそこにこれらの本に書かれている事に郷愁を覚える基本的
部分があるのでしょう。
「20世紀 映像の世紀」
NHKスペシャル
1997年始め、「20世紀 映像の世紀」の集中再放送がありました。
本放送ですべて見てます。この集中再放送はすべてを見た訳ではありません。
しかし、第10集の「民族の悲劇、はてしなく」はこれで3回目くらいですが良い
です。自分が“人間”であることに誇りを感じてしまいます。
しかし、この番組ではあまり科学技術について取り上げられてません。
20世紀は誰もが科学技術の世紀であると認めているのにです。
確かに、カメラは“社会”にフォーカスを合わせることが多いためにあのような編
集に成ったのかもとは思いますが、もしかすると、「科学技術の世紀」については別
に特集を組むつもりなのかも?と期待しているところです。
ところで、この「20世紀 映像の世紀」はLDボックスを出して欲しいですね。
一家に1セット揃えて置きたい映像記録です。
LDボックスと言えば終に「花のあすか組」テレビ版がLDボックスになって発売
されるようですね。
あんな物を買う人間が本当に居るのか?とも思いますが、少なくとも大分では私の
知人2名が購入するようです。(既に発売済み。もちろん購入しました)
発売されればきっとかみひとえさんが懐かしの「ソーダーズダイジェスト」で取り
上げてくれるでしょう。
ところで、その「科学技術の世紀」なのですが、20世紀が科学技術の世紀であり
えたのは19世紀末の相つぐ発見によるもだったですよね。特に1890年代はそれ
はすごい時代でした。また1905年までに現代の技術を支えている理論の基本論文
のほとんどは出されています。
では、21世紀はどんな世紀なのでしょうか?
物理の世界では期待していた“質量”に関する新しいパラダイムはまだ出ていません。
量子論の世界でも結局ミクロとマクロをつなぐパラダイムは出てませんし、重力の
量子化も間に合わないかも知れません(これはもしかすると質量の秘密にも絡んでいる
のかも知れませんね...と言うより絡んでいるのが当然ですね)。でも、特殊相対性
理論が出されたのが1905年と言うことを考えると21世紀始めには何か出てくる
のかも知れないと期待してしまうのです。
しかし、少なくとも“哲学”の世紀になるのは確実でしょう。
NHK風に言えば“人間の世紀”とでもなるのでしょうか?
と言うのも哲学で問題になっていた“自分”についての新しい概念を造るのに必要
な要素について研究が最近進みつつありますよね。それとても、前世紀末の物理学の
進展ほどではないですけどね。
俺って何を書いているんだろう。
コンピュータネットワークについてはディビッド・ブリンの「ガイア」のような“
世界”を期待してしまいますが、ま、そんなことは無いでしょう。
そうか、2階へ行く階段には扉が付いているのか。そうだったのか。「東京たても
の伝説」や「江戸東京たてもの園物語」を読んだお蔭でわかったぞ!
「少女民俗学」世紀末の神話をつむぐ[巫女]の末裔
大塚英志著
光文社文庫|光文社
古い!古すぎる。
基本的に80年代後半の“サブカルチャー”でしかありません。
著者が書いているように、“それ自体がサブカルチャーであろうとした、サブカル
チャー研究書の体裁を取った本”でした。
ただ、“サブカルチャー研究書”の体裁を取っていると言うのがキーワードでしょ
う。研究書では無いのはわかっているのですが...逆に研究書で無いだけに論理の
展開にどれだけ飛躍があるかが気になるのですが、たいしたことありません。
著者は、プロローグに
「神道を含めて旧日本人の文化は稲作民の共通感覚を前提とするものであり、稲を捨
てて農業をやめてしまったぼくたちの宗教や儀式はそこにはない。
消費者であるぼくたちの新しい宗教、新しい儀式をぼくたちはこれから自分たちで
つくっていかなくてはならないのだ」
として、柳田國男が生産者の共通感覚を「常民」としたように新しい民俗として、消
費者たるぼくたちの共通感覚を「少女」と書いて、
「近代以降の<少女>イメージの成立と膨張の過程を、具体的な少女文化の研究から
探る必要がある。当然、それは生産者の文化である民俗文化「常民」の文化との対比
で描き出されなれなくてはならない。」
と、書いている。それを読みながらぼくは
“いままで延々と築き上げてきた生産者としての民俗文化を消費者になったからと言
って簡単に変化させることができるのか?また、変化したとしてもそれを柳田民俗学
の直系の子孫である著者がそれを描き出すことができるのか?”
と言う疑問を持ちました。
結局それは単なる危惧でしかありませんでした。
“生産者の「常民」文化との対比”は結果的に対比ではなく“対応”になってしまっ
ていました。
そういう意味で、本書は著者が“サブカルチャー”として明示しなければならない
ほど“サブカルチャー研究書”として仕上がってしまっているのです。それも民俗学
の保守本流としてのね(^O^)
しかし、内容的にはだれでもが考えつくような内容であって、所詮“サブカルチャ
ー”の域を越えていないのが残念です。
もう少し“研究”としてつっこめば“研究書”としても“サブカルチャー”として
も大成したような気がするのは私の気のせいでしょうか?
ま、「古い」と言うことで暇潰しに読むには良い本でしょう。
「不思議の町 根津 −ひっそりした都市空間−」
森まゆみ著
ちくま文庫|筑摩書房
上に書いた「東京たてもの伝説」の著者の一人です。この人は「谷中・根津・千駄
木」と言う地域雑誌を主催しているそうです。
「東京たてもの伝説」から私はこの人の著作が気になるようになりました。
内容は「根津」と言う町の現在と過去を書いているだけで、実際に住んでない私に
は何の関係もないものです。とか言いながら読んでしまう自分が悲しい?
基本的には「江戸東京たてもの園物語」とも通づる所があります。
団子坂の菊人形の話のくだりに安本亀八の名前が出ていたのが驚きました。
しかし、この本も基本的に“郷愁”と言うフィルタが掛かっているのか?と思うと
気が重くなります。
確かに下町に代表されるちょっと前の日本には“地域コミュニティ”なるものが存
在したのは確かで、それは良いものだったのも確かです。人との付き合いが嫌いな私
自身も時々そのような時代をなつかしく(実際には経験がないにもかかわらず)思う
こともあります。でも、実際に現在、そのようなコミュニティーを必要としているの
でしょうか?必要が無くなってきているからこそ現在のような生活文化が構築されて
いるのではないのでしょうか?そう言う疑問もあります。
社会全体の変化に併せて、生活文化の変化も起こっているのではないかと思ってい
ます。特に、江戸、東京というのは昔は基本的に“職人”の町でした。現在の下町は
特にそう言う江戸を支えていた人達が多く集まった「長屋」と言う生活文化を形作っ
てきていたはずです。その中から生まれた「下町」だったはずです。
しかし、今は人々はすべて(と言っても過言でないでしょう)サラリーマンであり
、生活の主要な部分を会社に持っています。特に高度経済成長期を通してその傾向は
強くなっているはずです。そう言う中でサラリーマンは生活空間としての会社の中に
“地域コミュニティ”を形作る文化を創造してきたのでは無いのかと考えてます。
この本の中にも「コミュニティとか人間関係というのは目に見えないんです。恐い
のはそういう町の解体を止め、人間の倫理を高める基準がないことですよ。」と言う
ある人の証言が載っています。それを読んで、私は、「今の人達やこれからの人達の
生活空間は町には無いし、倫理はその町をうまく運営していくことやまったく自分の
会社に関係無い人との間の人間関係を維持することを必要としなくなっているのでは
?そういう風に社会全体が変化してきているのでは?」と思ってしまいました。
ある意味では助けあって生きなければならないほど今の人達は貧乏では無くなった
のかも知れませんね。そんな気もします。
なんか、詰まらん事を書いてしまいましたね。
では、次へ移りましょう。
「明治東京畸人傳」
森まゆみ著
新潮社
またもや森まゆみの本です。実際には「不思議の町 根津」より前に読んだ本です。
谷中、根津、千駄木を中心にした有名人の人物傳です。
皆さんが良くご存じの人のを目次から拾いあげてみましょう。
「エルウィン・ベルツの加賀屋敷十二番館」:エルウィン・ベルツは東京医学校のお
雇い外人教師で名前は聞いたことありましたが、実際にはまったく知らない人だった
ので興味ありました。
「藪蕎麦発祥の地 団子坂の三輪伝次郎」
「川口慧海の寝度宮永町雪山清舎」
「サトウハチローの桜木町と弥生町」
「露伴が谷中にいた頃−五重塔の話」
「渡辺治右衛門て誰だ」:渡辺銀行の頭取だそうです。
この渡辺銀行の話についても本を持っているのですが、読んでません。
銀行の倒産と言う話は興味あるのですけどね。
しかし、この本はサライの「映画の雑貨店」を読むような気分で読んでました。
宮澤賢治が上京することになったならば、もしかするとこの辺りに下宿をしたかも
知れませんね。
「衛生博覧会を求めて」
荒俣 宏著
ぶんか社
生き人形の亀八こと安本亀八の名前が出てたのはこの本でした。
「衛生博覧会」、この言葉の魅力に取りつかれたのは以前「いもほり日記」で紹介
した(?)「衛生展覧会の欲望」(田中聡著|青弓社)ででした。
その後、国立民族学博物館で開催された「シーボルト展」で見た実物の生き人形(
これは頭の部分だけでしたが)などにも触発されて「見世物」や「衛生展覧会(衛生
博覧会)」への妄想だけが膨らんで行くのです。
しかし、この「衛生博覧会を求めて」では荒俣さんが「求めて」それを得ただけで
読者にはその一端しか覗かせてくれません。これでは欲求不満に成ってしまいます。
この本を読んで思ったのはそう言うことでした。
私が求めているのは「たくさんの図像」なのです。「衛生博覧会を求める」話では
無く、「衛生博覧会」そのものなのです。
荒俣先生、次回は「衛生博覧会」と言う本を出してください。お願いします。と言
っても実際には“出版できない”図像が多いのでしょうね。
ところで、90年には国立民族学博物館では「モース展」が開かれていたそうです
。これは、「モースの贈り物−100年前の日本」−」(ジョン・セイヤー、守屋毅
他著|小学館ライブラリー|小学館・・・まだ読んでない)に書かれてました。このこ
ろ、私は近畿に住んでいたのに行って無いです。惜しいことをしました。あの頃は結
構国立民族学博物館には通っていたのですけどね。
モースコレクションにも生き人形はあったはずです。
「女殺借金地獄(おんなごろしカードのじごく)−中村うさぎのビンボー日記−」
中村うさぎ著
角川書店
私は、この中村うさぎと言う人物を知らないのですが、かなり有名なマンガ原作者
ですか?
おもしろいです。題名から想像されるとおりの内容です。
浪費癖のある私にとって心強い味方です。と言うよりスタパ斎藤師と同じ物欲道の
師匠と言ったところでしょうか。
「超芸術トマソンの冒険」
ジャストシステム
CD−ROMです。超芸術トマソンです。検索性が高まった?超芸術に検索など必
要無い!
第一、ジャンル毎に分けられたトマソンなんかおもしろく無いです。
赤瀬川さん等の対談は結構おもしろかったです。トマソンよりも「路上観察」のC
D−ROMが出て欲しいです。
個人的には「建築探偵」ものがお望みです。
「火星の人類学者−脳神経科医と7人の奇妙な患者−」
オリヴァー・サックス著
早川書房
オリヴァー・サックスと言う人を覚えていますか?私は「どーっかで聞いた...
」と思いながらっ本をめくると「レナードの朝」の著者と書いているではないですか。
友人からも「おもしろい」との感想を聞き、購入してみました。
おもしろかったです。
「テロリストの半月刀(シミタール)」
ラリー・ボンド著
文春文庫|文藝春秋
「侵攻作戦レッド・フェニックス」や「核弾頭ヴォーテックス」などの著作が日本で
も紹介されているラリー・ボンドの最新訳です。
今回のテーマは題名にも現れているように「テロリズム」でした。
まあ、アメリカ合衆国のように大きくて人口の多い国ではテロリズムに対応するの
は、特にそれを予防するのは至難のわざと言うほかありません。
それでも、FBIや軍は対テロリズム特殊作戦部隊を持ち、訓練に励んでいるのです。
それにつけても、「デルタ・フォース」や「NSA」などの名称が小説のなかで当
たり前に使われるどころか、その作戦が当然の様にある程度のリアリティをもって語
られる時代が来るとは関係者は誰も考えて無かったでしょう。それこそ、全米各地で
繰り広げられるテロにもまして悪夢のような出来事でしょう。
それにつけても、日本政府はどうなっているのでしょうか?もしかすると、初期の
SEAL、デルタ・フォースなどの様に完璧に隠蔽されているのでしょうか?
それはそれで、許せないと思います。でも、国外で発生した事件には日本政府が介
入できる余地はまったく無い現状で国内テロに挑むのはもちろん、「警察庁」なので
すよね。
凶悪なテロ、人質事件が発生した場合、自衛隊の特殊作戦部隊が治安出動?まさか
ねえ。
ところで、自衛隊の特殊作戦部隊と言うのは何をするのでしょうか?やっぱり、日
本に侵攻してきた敵国の領土内に密かに侵入して指令部や補給基地を混乱に陥れるの
ですよね。まさか、日本国内に侵攻された後に、その前線の背後に廻って作戦を行う
ための存在なのでしょうか?
特殊作戦ものは“むかーし”書きかけたことがありました。今でも、私のHP20
0LXには改定版の書き出しが入ってます。
あれも仕上げたいです。
「ZZ−R1100」
川崎重工業製の輸出用のオートバイです。エンジンの排気量は1100cc。所謂
リッターバイクと言うやつです。
思わず、手に入れてしまった。
乾燥重量が220kgを超える大型のバイクでフルカウルのツーリング用のものです。
ところが、ツーリング用はツーリング用なのですが、これはヨーロッパなどで高速
道路を使用したツーリングを行う様に設計されているので、かなり前傾を強いられます。
ここのところ、そのような前傾で乗るバイクに跨って無かったため、かなり腰に負
担が係るようです。
それと、重量。やはり重いです。手に入れて数日でUターンに失敗してゴロンさせ
てしまいました。こういうときフルカウルは傷がめだつので悲しいです。と言いつつ
オウナーは「必ずこける」と確信していたためそれほどの痛手を被っていません。そ
れどころか「まだまだこける」と思っています。次は立ちごけだろうな。
まだ、慣らしの段階なのでエンジンの回転数はぜんぜん上げていません。それでも
、100km/hからトップギア(6速です)で“グンッ”と言う感じで加速するの
は感動ものです。
それから夏はとても暑いと言うより熱い代物です。とても乗っていられる物ではな
いと思います。
でも、楽しいです。ここらへんが自分でも「単車乗りは何考えているのかわからん
」と思ってしまうところです。
ところが、私としては単車に乗っているときのほうが気分が楽です。体に関しては
4輪に乗っているときのほうが楽なのですが。
あとねえ、4輪だと一般道路で60km/hも出すととてもこわいのですが、単車
だと80km/h位までは楽に出せるのがこわいですね。本当はそのほうがこわいの
ですけどねえ。自分が止まれる距離ではぜったいに後続の4輪は止まれませんからねえ。
あと、悪いのはこの単車が60km/h以下で走るようにはできていないと言うこ
とでしょう。とメーカの責任にしてしまおう。
そうこう言ううちにならしも終わりました。
いよいよ死期が近づいたようです。200km/hになると原形留めないだろうな
(笑)
「コンタクト」
ロバート・ゼメキス監督
ワーナーブラザース作品
「コンタクト」(カール・セイガン原作)の映画化らしいです。昔々読んだような気
がします。それとも読んだのは「コスモス」だけかな?
1997年の夏休み...じゃなくて、1997年の夏に見に行った映画(「ロス
ト・ワールド」、「もののけ姫」そして「エヴァンゲリオン」)が全滅だったため、
こんな凡作でも「ま、そこそこ良い映画じゃない」と思ってしまった。
特に良かったのが、“ハデン”の船とVTOL!
船はめちゃめちゃ高速航行してたし。VTOLはかっこ良いし。言うことなし!
後は、合衆国の大統領が出てたことくらいかな。
まあ、かっこ良かったのはそれだけなんだけど。
ポッドはまあ、許そうか。ちょっとちゃちいけど、あの程度でしょう。
しかし、ワーム・ホールはねえ。あれはバツですねえ。
それにつけても、目の前に21世紀があると言うのにいまだに「科学対宗教」とい
う図式も古すぎますよね。
それに、主人公達がいきなり「なぜ行くのか」なんてアホな会話をするし。
この映画には「人類だけが存在するには宇宙は広すぎる(つまりもったいない)」
と言うせりふが何度も出てくるが、私は根があまのじゃくなので「人類が存在できる
この地球を存在させるために広大無辺な宇宙が必要なのかも知れないじゃないか」と
思ってしまうのだった。
それにつけても、今年の夏の映画は話題作ばかりなのに不作だあねえ。
今回はこんなところでかんべんしておいてもらいましょう。
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_ 「日乃出堂通信」Vol.30 1997年...? _
_ 発 行:日乃出堂 _
_ e-mail:hig@fat.coara.or.jp _
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編集後記
29号30号ははっきり言って編集してません。来た原稿と自分の原稿をただ繋げ
ただけです。
実に久しぶりの発行です。まあ、これからはメールで発行すると言うこととしても
少し頻繁にアップしたいと思います。
ただ、私の個人史になるとは思いますが、それで良いでしょう。
後、29号と30号の間および30号を書いてからいろいろ変化があったのですが
、そこらへんはできるだけ無視するようにしました。わかりにくいところもあると思
いますが、勘弁してください。